ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 梅と海の南部 4

2015年02月20日 21時18分40秒 | ウォーキング

海の方向に道が開けると、
梅や山の緑と違ってビニールハウスが目立ちます。



中を見ると今の季節はやはりスターチスが多いかなあ。



中にはカスミソウもあったかな。



そうそうスナップエンドウらしき
豆も栽培されているようでした。

ちなみに、この「スナップエンドウ」を、
doironはかつて「スナックエンドウ」と言ってました。

ところが最近スーパーで表示をみて
それは勘違いだと判明し、
「恥ずかしいなあ」と思っていたのですが、
ここに書くにあたってもう一度調べてみたら、
それも商品名としてちゃんとあるそうで、
ホッと胸をなでおろしています。

榎木峠を下りてきた分岐点に、
そんなビニールハウス越しに海を眺めるように、
徳本上人の名号碑が立っていました。



そこに刻まれた字体は
これまで何度も紹介しましたが、
観光案内には行き倒れの熊野詣の旅人の
供養塔であるにもかかわらず、
「ギャル文字風」なんて書かれてあったりするから、
観光業界もなかなかのものです。



ガードレールに沿って歩く道端に
ひっそりとこんな道標地蔵がありました。



比較的新しいようで、
「右紀三井寺 是より十四里」
の文字が刻まれていました。

なおも山すそに伸びる道を進んでいきますと、
山側に庚申堂が見えてきます。

石を積み上げて作ったお堂の四隅には
隅鬼瓦風に大きめの石を置いているのが
ちょっとほほえましい姿でした。



祀られているのは「馬頭観音」でしたから、



スタンダード庚申さんですねえ。

このあたりは陽光も気持ちよく注いでいて、
キラキラした海を臨める気持ちのいい道でした。

集落に入っていくと、
飛び出しサッカー少年がいる
狭い道になっていきます。

おおここは、網でも販売しているのでしょうか。



これを現代では「ネットショップ」といいます。

んなわけないか。

ここはまた、狭い空間を目いっぱい使っています。



タイヤが半分はみ出てるし~。

そんなつっこみをいれながら歩いている
お気楽な旅人です。

岩代万葉歌碑の案内が出てきました。



前方にもそれらしい緑が見えてきます。



若い有間皇子がこの道を通って
白浜に幽閉され、
後に藤白神社の近くで処刑されたことは、
有間皇子の墓のところで紹介しました。

ここでは、白浜への護送中に
海が見下ろせる岡の上の
松の枝を引き結び、
自分の身の平穏無事を祈って
そこで和歌を詠だんだそうです。



「岩代の 浜松ヶ枝を 引き結び 
真幸くあらば また還り見む」

若い皇子の命への執着が伺えますね。
なにせ17歳で即位して
19歳で退位したのだから
無理もないかもしれません

還りにはここを通っているので
見ることができたかもしれませんが、
残念ながらその先で終焉を迎えました。

切ないですね。

ここにはもうひとつ歌碑があります。

中皇命(なかつすめらみこと)が
白浜温泉に旅した際に詠んで、
万葉集にも掲載されている歌です。



「君が代も わが代も知るや 岩代の 
岡の草根を いざ結びてな」

有間皇子の歌がこの時、
中皇命の念頭にあったのは言うまでもありません。

今年の歌御会始で天皇陛下が詠まれた歌を
お側のものが詠みあげる光景を思い出しました。

「夕やみの~~~~~」と
一節ずつ語尾をすごく伸ばして
詠みあげているのがとても印象的でしたが、
ここでもあのように詠みあげられたのでしょうか。

もしそうだとしたら
海から吹き上げる風に乗って
岩代の地に響き渡ったことでしょう。

こちらの歌碑は万葉学者の犬養孝の
揮毫によるものとされています。

彼が朗唱する万葉歌は独特の旋律を持ち
「犬養節」として有名で、doironも
かつて聞いたことがあるような
かすかな記憶がありますが、思い出せません。

歌御会始のあの朗唱とは違うのでしょうか。

なんてことを考えながら、
万葉歌碑を後にして



その結んだ松のある場所に向かいます。

続く。