ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 梅と海の南部 7

2015年02月23日 21時38分37秒 | ウォーキング

さて、千里観音を後にして、
今回最後の王子である
三鍋王子に向かいましょう。



あ、三鍋は当然「みなべ」と読みます。

自治法上地域の表記はひらがなの
「みなべ」町です。
ひらがな表記の町は和歌山県内では
他に「すさみ町」と「かつらぎ町」があります。
大阪にはありません。

ひらがなにするのは
わかりやすく、親しみやすく
目立つようにと言う自治体の意図を感じますねえ。
カタカナの自治体もありますが
アルファベットはないようです。

マラソン大会などでも
結果の表から自分の名前を
見つけやすいように
ひらがなで登録する選手もいるようです。

古い文書や旧跡の名前に使われている

「みなべ」

はこの王子名の「三鍋」のほか
「三名部」など20種類もあるそうです。

実は「みなべ」の名前は、
元はといえば「三鍋」からきているそうです。
和歌山の民話で3つの岩が
天から降ってきてそれを石神様として崇めた
という話がもとになっています。
その石が鍋のような形をしていたことから
「三鍋」という名になったといわれています。

天から降ってきた三つの鍋・・・
う~んなんだか未知との遭遇っぽいですねえ。



漢字で表記すると様々な字になるのは、
昔の人はあまり文字に親しみがなく、
口伝えが主だったんでしょうねえ。

そんな例は熊野古道に関わらず、
全国各地で見られます。

そもそもdoironの姓も
読みは同じで別の漢字がルーツなんだそうです。

親父が生前に語っておりました。

熊野もまた奥まったところと言う意味の「隈(くま)」野からきていることは
以前にも書いた通りです。

その熊野古道の歩行に戻りましょう。

千里観音から道しるべをたよりに歩いていきます。



お、これはかなりオンボロの放置自動車です。



昔、この道沿いでだんごでも売ってたのでしょうか。

なおも道は山の中を
縫うように続いています。



千里の浜に出た時に遠くに見えていた一団も、
古道歩きらしく、このあたりでは
道を探してウロウロしているようでした。

山の中は道しるべも肝心なところになかったりして、
地図と首っ引きで歩いていかねばなりません。



JRの高架をくぐると
梅畑の中を通るようになります。



う~ん、このあたりも花はまだちらほらです。
最近は夕刊に各地の梅便りが掲載されますが、
そこでもまだ梅は「咲始め」となっています。
満開まであと1週間くらいはかかりそうですね。

これは昔doironが描いた梅の絵です。



今描けばもう少しマシに描けるかもしれません。
この春にチャレンジしてみましょう。

花はまばらですが
それでも梅畑ではほのかに梅の香りがしていました。

みなべは「ひと目百万、香り十里」といわれています。

もちろん梅の生産は日本一です。
時間が迫っていなければ
ここらでコーヒーでも入れたのになあ。

あ、でもコーヒーはあかんか。

次回は梅こぶ茶でも持ってきましょう。

ようやく山道を脱けました。
狭い舗装路を歩いていくと
そこに「南部峠の地蔵堂」があります。



古くから骨折に霊験あらたかで、
「骨つぎ地蔵」ともいわれています。

このあたりが南部峠のてっぺんです。

登りつかれて眺めの良い場所でちょっと休憩
ということで、このあたりには茶店も多くあったそうです。

今はどうかといいますと、
地蔵のすぐ前にお茶屋ではなく・・・
ラブホがあります。



一人歩行でちょっと休憩とはいかないでしょう。
あ、いけるのかな?

ここの地蔵は古く、
400年くらい前のものと推定されています。



ここの案内には昔の書き物の記載が

「南陪(みなべ)峠」



「見那辺峠」

などと記載されていることが
書かれてありました。

この地蔵で右折して
みなべの町へと下っていくのですが、
このあたりは古代からあった道だそうです。



なかなかの雰囲気でしょ。

そしていよいよ、山中の梅の花越しに、
南部の町が見えてきました。



時間的にもここまで頑張って歩いてきたので、
ようやく間に合う目途がつきました。

山中には大きな池があります。



梅畑に供給する貯水池でしょうか。

カワセミもきっといるに違いありません。



いやそれどころかカッパもいそうな
怪しい雰囲気に包まれた池でした。

井正免池といいます。

あと1話続く。