雪が強くなってきました。
このままでは榎木峠死の彷徨です。
あの遠くに見えていた雪雲が、
すごい勢いで流れてきて
このあたりに覆いかぶさってきたようです。
カメラを出すのも憚れるほど振ってきましたので、
今回はそんな時のためにリュッ君に忍ばせてきた、
別のカメラを取り出します。
普段の街道歩きに使っているEOSは
仕事にも使っているので、
故障させるわけにはいきません。
大切にバッグにしまいました。
まだ合羽に着替えるほどではなく、
とりあえずは街道ウェアのフードをかぶって
歩行を続行です。
ときどき振り返って
海の方を見ながら登りきると、
宝篋印塔が見えてきました。
室町時代の作だそうです。
林の縁の一段高くなったところに、
二基が鎮座しオーラを放っていました。
雪の中で見るその室町時代のものといわれる塔の景色は
とても幻想的だったなあ。
その塔からすぐのところにあるのが、
切目中山王子跡と言われる
「中山王子社」
です。
この神社が足神さんと言われるのは、
昔熊野詣の途中で山伏が足をいためて
何とかこの地にたどり着いたものの
そこで亡くなり、地元の人が手厚く葬ったそうです。
するとその亡くなった山伏の頭のところに
大きな石が現れたそうで
その石を足の神様の御神体として
崇めたのが始まりだそうです。
その石は村はずれに今もあるそうですが、
詳細はわかりません。
その神社を合祀したのが、
この中山王子社だったそうです。
今は「やまぶしさん」「やまっさん」として
地元の人に崇められていますが、
もともとは熊野詣の王子社を
この地に移設したのが始まりだそうです。
でもまあいただける御利益はいただいておきましょう。
現在、トリプル喪中の身なので、
鳥居はくぐれません。
横から入って足の健康、旅の安全を祈ったところ、
雪が小降りになり木々の間から陽光まで射してきました。
その陽のぬくもりは、まさしくdoironにとっての
「影向」以外の何物でもないという気がしましたな。
早速の御利益です。
カメラを元のEOSに戻して、
さあ嬉々として歩行を継続しましょう。
ここからはカエルの描かれた道案内板から一変して、
道標が大変素朴なものになりました。
こんなのや、
こんなのも建っていますので
道を間違えることはないでしょう。
それに導かれ、榎木峠の山道へと入っていきます。
山道沿いには梅の木がいっぱい植えられており、
管理用の道路としても使っているのか、
道は荒れるでもなくむしろ
どことなく整備されていました。
この梅は、写真ではよくわかりませんが、
枝のあちこちに栄養ドリンクの便が吊るされています。
樹形を恰好よく整えているんでしょうねえ。
ちょっと梅が気の毒なような・・・
なおもどんどん山道を行くと、
突然古道が民家の軒先をかすめます。
しかもそこには今も人が住んでおられるようです。
いやもしかしたら梅畑管理用の作業場に
使っているのかもしれません。
いずれにしても時代に取り残された
昭和の民家という感じでした。
ところがそのさきの梅畑の電柵には、
ソーラーの仕掛けがあるではないですか。
ふむふむ、あるものは活用し、
ない電気はおてんとうさまからいただくというわけか。
エコですねえ。
ちらほら花の咲き始めた梅を見ながら歩き、
ふと梅畑の地面に目を向けた時、
驚いたのが「ノビル」の大群落でした。
昨年家の近くの公園で採取し、
「ノビルチジミ」なる珍料理を作ったあのノビルです。
こんなに繁っているとは驚きました。
これはもう帰ったら早速
昨年の採取場所へ確認に行かねばと思いましたね。
その公園の梅を見て訪ねてきた地で
逆にその公園を思い浮かべるなんて、
春の交換日記みたいです。
しかし、ここではあまり深入りは禁物のようです。
右に、狼煙山がそびえるようになってきました。
万葉集では切目山と詠まれている山です。
この山の向こうは海岸線になっており、
その斜面は一時別荘ブームで開発されたようで、
太平洋に少し突き出た半島のような地形が、
海の絶景を作り出しているそうです。
ここを抜けたら、岩代に入っていきます。
続く。