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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

六地蔵を歩いてきた6

2019年11月07日 21時12分07秒 | ウォーキング

この御陵の清掃をされていた方は、
少しこだわりのありそうな
感じでしたね。

醍醐天皇後山科陵の
「後」について聞いてみますと、
あれは「のちの」と読むそうなんです。

亡くなった時には陵には
入れられなかったのですが、
後に陵に入られました。

そういう意味で
「のちの」というのが
ついているようです。
説明をしてくれたおじさんは、
ほかにも皇后の墓の事とか
話してくれましたが、
ちょっと基本的な知識が足りないので、
頭の中でのつこつと話が
反響しておりましたな。



まあとりあえずこの御陵は
醍醐寺が管理する「円墳」です。

お参りの道を歩いていると、
なんとここはキノコ
だらけの道でした。





湿気が高いのかなあ。
醍醐の地下水で元気に
はぐくまれているのかなあ。

なんか不思議な感じの
するところでした。

御陵の横には普通に住宅が
密集しています。



住宅地の中の森のような御陵でした。

そこから道は昔の雰囲気のある
道となり、そこを進んでいきます。



というのもそのまま
まっすぐ行ったら
醍醐寺の北門へと
続いていく道ですから、
多くの人が歩いた道なんでしょう。

何となくそんな雰囲気で
あふれています。

そんな嗅覚が何となく
doironにもついたような
気がします。

すこし進むと、
御陵西浦公園というのが
すこし西側にあり、



資料にはその公園には
石仏があると書かれて
あったので寄ってみましたが、
ウロウロと探し回っても
石仏はありませんでした。

近くの家のこんな石仏で
我慢しておきましょう。



また、愛宕燈明のある神社では、



こんな灯明を見つけましたが、



それよりも何よりも、
境内の庭にうじゃうじゃと
たむろしているこんな毛虫には
ビックらこきましたね。



ウヒャヒャーと逃げていきましょう。





ここは「一音寺」

この先に「一言寺」というのがあって
一言の願いを聞いてくれるそうです。
なのでこの寺も関係あるかと思ったのですが
そんなんではなかったです。
阿弥陀様はたった一言で
我々の心にしみいる
という意味があるそうです。

コースの左手にはまた何やら
緑の場所がありますね。



ここが、「朱雀天皇醍醐陵」です。

朱雀天皇は醍醐天皇の長兄で、
醍醐天皇が崩御し
8歳で天皇となりました。
以後、平将門の乱があったり、
富士山の噴火や地震の災害
などがある大変な時期に
16年間在位しておりました。

その後30歳で崩御する
という若い天皇でした。

その御陵がここにあります。

中に入っていくと、
拝所はこんな感じ。



宇多天皇、醍醐天皇、朱雀天皇と
続く天皇一族はこのあたりを
中心に活動をしていたのでしょうねえ。

やがてコースは醍醐寺の
北門に到着します。



とはいえこのコースには、
周りにお寺もまだあります。



ここは理性院というところで、
中に入るとたくさんの
石物が出迎えてくれます。



また山の方には長尾天満宮もある
と書かれています。



そちらをのぞき込むと
まっすぐな参道の奥に、
長い登りの階段が
続いていますよ。



う~ん、ついつい立ち寄っていたら
時間がかかって仕方がありませんので、
ここはまあネットで
境内を見ておきましょう。



そしてここからは、
醍醐寺の三宝院の東側の
通路を進んでいきます。



そうちょうどこの壁の内側は、
いまから900年くらい前に
僧正勝覚によって創建された
僧正の坊である三宝院で
見事な庭が広がっています。

なかでもdoironが忘れられないのが
藤戸石で、



圧倒的な存在感を放っていましたねえ。

この石がとれた倉敷の場所まで
見に行ったものです。

この上醍醐時に続く
仁王門のところまで来たら、



右折して三宝院入り口の方へと
向かって行きます。
すると途中に見事な紋の
施された漆黒の門が見えてきます。



これが「国宝」となっている唐門です。

このあたりは大変多くの桜が
植えられています。
ちょうど秀吉がなくなる数か月前に
ここで開かれた
「醍醐の花見」の印象が
濃い所なのです。



そんな桜の木なんかに
はさまれた通路を過ぎてゆき、
三宝院の入り口の前の道を
左折していきます。

続く



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