ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

東海道、亀山宿から関宿へ4

2019年11月17日 20時53分19秒 | ウォーキング

水を飲んだりして休憩してから
またしばらく歩いていきますと、
右手に大きな木が見えてきました。



これが東海道の一里塚です。



三重県内には12の一里塚があった
とされていますが、今も残っているのは
ここのみだそうです。

幹回りが5mで
高さは20mの椋(むく)です。
doironが氏子代表をやっている
近所の神社にはこの椋がたくさんあって、
黒くて甘い実を着けるので、
子どもの頃はよく食べたものです。

昔の子どもにはこんな知識も
知らず知らずあったのですねえ。

ここの一里塚は南北に塚があって
木が植えられていたそうですが、
いまは北側にしか残っていないそうです。

あ、東海道の一里塚というのは
徳川幕府が作らせた里程道標
みたいなものです。
熊野古道を歩いた時も
いくつかありましたねえ。

このあたりは特にお店とかはなく
普通の町の様子です。



でも会社まわりとかには
こんな花が植えられていたりします。

それとなく地域の人々も
私たちの家は東海道沿いにあるのよ
というような誇らしい気持ちを
持っているような気がします。



まだまだすこし高台にある道も
この辺りは少しくねくねしています。
地形的な制約があったのでしょうねえ。



右に大きく曲がるこの道の
さきにあったのが、



布氣皇舘太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)です。



むむ、むつかしい名前の神社ですねえ。

主祭神は天照大御神、豊受大神、伊吹戸主神で、
布氣神社がのちに神様と
関係の深い布氣皇舘太神社となったもの。



灯篭の並び立つ長い参道を抜けていくと、
こんな本殿があります。



静かな神社です。
きっと静かに神様を祀ってきたのでしょう。
doironも静かにお祈りして
次に向かいましょう。



ここにはねえ、昼寝観音もいる
と書かれてありましたが、
残念見つけられません。

見つけたかったなあ。
今後の昼寝の参考にするのになあ。
お家で絵を描いたり
ブログをやったりしているときは
必ず昼寝観音に変身している
doironなのですからねえ。



おっ、この郵便局はシックですねえ。

そうそう亀山で郵便局といえば
マニアなら真っ先に浮かんでくるのが、
亀山から関に向かうのと
反対側にある井田川の郵便局です。

ここの局番号がなんと
「22222」なので、
平成22年2月22日に
貯金をする人が大行列だったそうです。

なので、じゃ次のチャンスはというと、
令和2年の2月22日ですね。
でもねえ、残念。
この日は土曜日でした。

令和22年2月22日まで
待たないといけませんね。

なんとこの日は水曜日で、
大安の日でしたよ。
なのでこのシックな郵便局も、
局番号が「22◇※△」
なんでしょうねえ。



そしてこんな下り坂をくぐっていきますと、
東海道沿いに赤く塗られてあった道も、
自動車道のところで消えています。



東海道五十三次の四十六番目の
亀山宿も一応ここが
西の果てになるようです。

では次の四十七番目の関宿に
向かって行きましょう。

JRでいただいた地図では、
ここからしばらく鈴鹿川沿いを
歩いていくことになります。



ここでこんな橋脚をわたって
JRをこえていきますと、
田んぼに囲まれた田舎道に出ていきます。



へえ、案内の地図はなんで
こんな道につないでいるのかなあと
思うと理由がありました。

このあたりの鈴鹿川沿いの一直線の道は
「大岡寺畷」といわれています。
東海道が約2キロ鈴鹿川沿いの堤防を
通るからです。



この地域にあった大岡寺から
つけられた名前だといわれていますが、
まあ諸説はあるようです。

しかし車もほとんど通らない、
鈴鹿川沿いの道は、
風も気持ちよくてとても気持ちいです。



京を目指して江戸を出てきた旅人は
もうすぐだと、さわやかな気持ちで
ここを歩いていたんでしょうねえ。

続く



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