ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

東海道、亀山宿から関宿へ5

2019年11月18日 21時32分14秒 | ウォーキング

鈴鹿川は大海人皇子が東国へ向かう途中、
洪水に難渋しているところに
駅路鈴をつけた鹿が現れ、
その背に乗って川を渡った
という伝説から付けられた川で、
全長38キロの三重県の1級河川。
今は大半が国道一号と並走している。
そんな川の堤防の上を
まっすぐつながっているのが
「大岡寺畷」という名前の道です。



川の風は気持ちいいですよ。
この季節は徐々に河原の
緑を秋の景色に変えていくところです。



亀山は結構楽しかったなあ。
関の方はどうなんでしょう
と歩いていきます。



あ、東名阪自動車道の下には
木枯し紋次郎みたいな
イラストと浮世絵が並んでいますよ。



ああ鈴鹿川の風が
「誰かが風の中で」を
奏でているようですよ。

ちょっと眺めてみましょう。



これが亀山のすぐ東の
「庄野」というところです。

雨風が大変な感じですねえ。



四日市では旅人の頭の傘が
風で飛ばされていますねえ。

そうそうその右横にいる旅人の姿が、
ここに書かれてあった
木枯紋次郎の姿ですねえ。



鏡像になっています。

それから、これが今回先に
報告した亀山の絵です。



なんかこの辺は、
ちょっと自然が厳しい感じで
描かれていますねえ。



京都は近くなったけど、
まだまだ油断しちゃいけないよ
ということなんでしょうか。

車の全く通らない高架下で、
浮世絵を写真撮影しながら
へらへら笑っていた
doironなのでした。

そこからまだ大岡寺畷を
歩いていきます。



田んぼの稲刈りはもう済んではいますが、
ああ亀山はお茶の産地でもあるんですね。

ところどころに茶畑がありました。
こういう農業地域を守っていくためにも
鈴鹿川は大切にされているんですね。





道端でイタチの死骸を発見。



こんなに車もほとんど通らない道なのに。
車に引かれたんでしょうねえ。
なんとまあ運の無いイタチなんでしょう。
ごめんなさいね、人の都合で
こんな目にあって。
成仏してくださいね~。

旧東海道の印のある道が、



ここではJRをわたって行き、

国道に出たところを50mほど
歩けば右に登っていく道があります。



ここが東海道関宿の東の入り口です。



広い休憩所がありますので、
休憩していきましょう。

横には広い畑地があるのですが、
何も植えられておらず、
キリン草が大集落を作っています。





ああ、これは時期が来たら
花粉がすごいぞという感じです。
花粉にまみれて咳が出るぞ、
ああそれで関宿かあ、
なあんてことはありません。

ここには「関の小萬のもたれ松」という
案内がありましたよ。

昔、夫の仇を討とうと
関塾に居た女性が、
なぜかここで「小萬」という
女性を生みました。
う~ん、なんか物語の一部に
飛躍的な裏物語が
隠れているような気がしますが、
それは横に置いといて。
その小萬が亀山城で武術を磨いて、
父の仇を討ったという話があります。

その小萬が村の若者から離れて、
ここの松に持たれていた
という話が残っているそうです。

大きな松はありませんが、
切株がありました。
これかなあ。



鈴鹿馬子唄にこんな
一節が残っています。

「関の小萬の亀山通い 月に雪駄が二十五足」。

街道のはずれの場所に
こんな話があるのは、
なんか興味深いですねえ。

それを思ってかどうかわかりませんが、
こんな石像なんかも残っています。



さあ、ではここから関宿へと
入っていきます。

関宿はもうずっと以前の
7世紀に登場します。

東海道の47番目の宿として、
民家も多く本陣なんかもありました。

その当時の様子は浮世絵にも
こんな風ににぎやかに
描かれています。



また東海道だけでなく、
東の追分は伊勢参りの街道との
分岐点も表しています。



この絵はその追分あたりを
描いているんじゃないでしょうか。



式年遷宮に合わせて
今も鳥居が新調されるんだと
そこの説明書きに書かれていました。

続く



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