「梶ヶ谷隧道」をくぐり
新しい道を100mほど行くと
左に見えてくるのが「赤橋」です。
この大仏鉄道について
研究や保存活動をされている
「大仏鉄道研究会」というグループがあります。
ホームページも作られていますので
一度チェックしてみてください。
そのグループが発行されている会報の名前が、
この「赤橋(あかばし)」なんです。
いわば代表的な遺構ということなんでしょうね。
隅は御影石で構成され、
レンガも長いものと短いものを
おしゃれに組み合わせた積み方になっています。
大仏鉄道遺構を単に保存するだけではなく、
周囲の景観ともあわせて
地域全体を保存したいという
地域の人達の熱い想いが乗り移っているようです。
おや?南側の側壁に
なにやら赤いものがこびりついています。
少し前から水路の水底が赤く色づいていました。
このあたりの土壌は鉄分が多いようです。
その鉄分の赤さびが
ここにも浮き出ているのかと思い、
よく見たら「スミレモ」のようでした。
地上で育つ珍しい藻類です。
なんか、「赤橋」の名にふさわしい植生ですねえ。
この橋の上は軌道敷きで、
人も通れる道になっています。
写真の赤線で囲まれた部分が
赤橋の上部に当たります。
その赤橋に別れを告げて、
大規模開発地を横目に見ながら進んでいきますと、
再びちいさな丘を越えていきます。
ああ、確かにここは朝、
車で通ったところです。
こんな時計台にも見覚えがあります。
おっと、ここでマンふたチェックです。
そこには木津川を行く船の絵が描かれていました。
そうしているうちに、
やがて井関川を渡る梅谷交差点に出ます。
この川にも大仏鉄道の橋が架かっていたそうですが、
これはもうどこにも痕跡はありませんでした。
線路はここから傾斜を避けて
少し右にふっていったそうですが、
道はまっすぐ続いていますので
頑張って登って行きましょう。
ところで、先ほど村Kさんにもらった地図は
トイレやコンビニ、バス停も書かれてある優れものでした。
これは大変ありがたいのですが、
doironくらいのお年頃になると
「トイレ」の文字を見ただけで
尿意をもよおしてしまいます。
と、あまりこんなことを書くと、
これからは「尿意ロン」と呼ばれそうですが・・・。
トイレの絵もありましたが、
そこには地図通りにコンビニがありましたので
迷わず飛び込みました。
やれやれです。
ついでに少し休憩もして歩きはじめると、ん?
と思ったのが歩道のデザインです。
中央に白い石がはめられ、
その横に二本の細い石が
平行にまっすぐ続いています。
大仏鉄道の線路は、
在来線の狭軌道ではなく、
新幹線並みの広軌道だったそうですが、
その軌道の模様が歩道に施されているのではないでしょうか。
それは反対側の歩道を確認した時に確信しました。
ほらこの通り。
まるで、向こうの方からシュポシュポと
機関車が走ってきそうです。
この歩道のある大きな道を
大仏鉄道はくぐっていました。
そのトンネルがこれ。
「松谷川隧道」です。
今はフェンスで閉じられ、
中に入ることはできませんが、
線路の下に水路を設けて、
周辺の水の流れも通す役割を兼ね備えたトンネルです。
ここの煉瓦の壁は、
焼成温度で色を変えた
長短の煉瓦を組み合わせた
一段とおしゃれな模様になっていました。
上の道に戻って、この地域一帯を
見渡せるところから写真を撮りました。
赤線の上の方からやってきた機関車は、
ここで急カーブをとって、
右の赤線の先にある松谷川隧道へと
進んでいく軌道だったそうです。
鉄道は先ほどの梅谷で右に迂回して
図の赤線のように回ってきた線路が、
ここでトンネルをくぐり、
京都府と奈良県の国境(くにざかい)に向かっていきます。
続く。