ピィーナツ育ててるんは黒い土やで、
せやのに「白」浜はないやろ。
和歌山のまねするのんも
ほどほどにしとかな関西人は黙っとれへんで。
その先にあったんが、
アチャー、紀州鉄道房総白浜ホテルやて。
紀州鉄道言うたらあんた、
熊野古道の通ってる御坊にあった
「日本一短い私鉄」やで。
その名前にこんなとこで逢うやなんて
どないなってんねんて感じやね。
ほんでスマホで調べてみたら、
どうやらこのへんは、
昔江戸に幕府があった頃に
爆発的に増えた人口を養うために
漁業を振興させようとしたそうなんや。
ほんで、どうもその時に
徳川御三家のひとつ紀州から
漁師をここへ呼んできて
漁業を教えさせたさかいこんなことになってるそうや。
今もタイ釣りで「紀州びしま釣り」たらいう漁法が
伝わってるてネットに書いたったしな。
そんな紀州からここへ来た漁師さん達が、
故郷を懐かしがって
「白浜」やら「勝浦」なんちゅう名前をつけたんやそうや。
そうやそれから、なんでもこの房総半島の先っぽの市には
熊野神社が6社もあるそうやけど、
このへんたりの人のDNAを考えたら、
それも無理もない話やったんや。
なるほどな、これで謎が解けましたわ。
それにしても、御坊であんなに素朴に営業しとった
紀州鉄道はんも
ここではホテル経営なんちゅうハイカラなことして、
えらい羽振りでおますなあ。
房総半島を日本地図で見とくれやす。
半島のいっちゃん先のところで
大阪と同じくらいの緯度てわかりまっしゃろ、
せやのにぬっくいとこに咲く花が
ここにようさんあるんはなんでやろな。
黒潮はんの仕業なんやろかね。
その半島の南の先っぽにあるんが、
この「野島埼灯台」。
明治2年に初点灯され、
大正14年に改築された灯台やそうや。
おお、うちの亡くなったおとんより若いんや。
合掌。
て、なんでやねん。
南には太平洋が広がっとるで~。
こっからは朝日も夕日も見えるんやと。
せやけどそんなん潮岬も一緒やんなあ。
とかなんとか憎まれ口叩いてるけど、
ほんまは、この灯台が今回のひとつの目的地やったねん。
じっくり見ていきまひょ。
眺めのええ、なかなかええとこでした。
帰りは厳島神社を抜けて行ったで。
これが七福神。
関西人好みやねえ。
ようさん儲かるようしっかり拝んで行きまひょか。
あらら、これはブロ倫にひっかりそうな社でんな。
なんやて?
「男根七不思議」やて?
う~ん、終わりの方で若干反論したいとこもおますけど、
だいたいあったりまえでな~んも不思議なことあらへんで~。
ほてからこっから宿に行くまでに、
もうひとつ灯台を訪ねましてんで。
それが大正8年に初点灯したちゅう
「洲埼灯台」。
ん?「灯台と海が見えるみち」
と書いた案内板が立ってるで。
「灯台が見えたらたいてい海が見えるやろ」と、
イチビリ親父の突っ込みも鋭いでっしゃろ。
階段が続きます。
何段あるか数えてみまひょ。
「ぼ・ん・さ・ん・が・へ・を・こ・い・た」
10段以上はあるようでんな。
さっきの灯台岬が最南端やったら、
こっちはゆうてみたら
房総半島の最西端。
紀伊半島でゆうたら御坊の日御碕
みたいなとこですわ。
天気が良かったら、富士山も見えるちゅーのに
生憎の曇天で残念、ラーメン、ヒヤソーメン。
ぐるっと見回して、これでまあ、
今日の訪問地はしまいだす。
宿は近頃こってる「休暇村」。
琵琶湖や加太の合宿や
コウノトリを見に行った丹後でも使わしてもろた
宿のお仲間はんですな。
一宿二飯の「飯」は全部バイキングやねんけど、
温泉がまあまあええらしいんで、
楽しみにチェックインしまひょか。
続く。