大和川沿いを歩いて
宴会に行った話を昨日書いたら
のんさんから、
日本の果てまで
歩いていきそ~だとコメントをいただいた。
たしか数年前、定年退職後
北海道は宗谷岬まで
歩いていきはった人がおられましたねえ。
あの人は今どうされているんでしょう。
そして、もう一人
源流まで行ってくださいとコメントをいただいたのは
kaisan。
かつて、この川の清流化を目指したお仕事を
されており、今も部署は変わっても
関わってはるようです。
かつては、BOD測定値で
東京の綾瀬川と
全国ワースト1争いをしていたこの川も
最近は随分ときれいになり
汚名返上をすることが多くなったようです。
で、そんなkaisanがせっかく源流まで・・という
コメントをくれたので
少し源流について調べてみたら
これが奈良県桜井市にある
貝ヶ平山(かいがひらやま)
というところだそうです。
kaisan同様「貝」がつくんですねえ。
その源流まで河口からは
約68kmあるんだそうです。
源流にも石柱が立ってたらすごいですね。
「河口から68km」と書かれてあったりして。
まさかね。
これは、先日も掲載した藤井寺市の
大正橋付近に設置されている石柱です。
こうして川についていろいろと考えたのちに
この写真を見てみますと
疑問に思うことがふたつあります。
まず、
河口あたりは埋め立てが進んでおり
地形がどんどん変わっているように思うのですが
「ここが河口」みたいな地点があるんでしょうか。
先日歩きながらミセスdoironにリポートを送ったら
今度連れていけとのお達しでしたので
その折には一度探ってみないといけないと思っている。
そして、もうひとつの疑問は・・・
どうして距離表示が
「河口から・・・」なんでしょう?
「河口まで・・・」じゃだめなんでしょうか。
河川法で決まっている、なんてことはないように思います。
たまたまdoironは川を遡ったので
その時は違和感はなかったのですが
よくよく考えたら
水は上流から流れてくるのだから、
流れに沿って考えるのであれば
「河口まで」が自然ですよねえ。
どんどん近づいて行って
最後が「ここが河口です」になってたりして。
で、これはこうじゃないかと思ったのが
川に流されるのではなく遡るという行為が
だらだらと流されるイメージじゃなく
きちんと向き合っているよ
そしてきちんと川を管理しているよ
という思いにつながるんじゃないか
その思いを表現したいがため
無意識に遡行を前提とした
「河口から」という書き方に
なっているのではないか、とね。
そもそも大和川はその昔
人の手によって流れをおおきく付け替えられた川で、
下流はいわば人口の河川です。
人の手によって生まれたこの川。
今もスーパー堤防の工事や
水面の清流化実験など川のいたるところで
人の手が入り、人が育てているからこそ
「河口から」ここまで適正に管理された流れがあるんだ
という思いがこう表現させたのではないでしょうかねえ。
とにかく、川は広々してて
滔々と流れる様が気持ちいですねえ。
もっと寒くなる前か、それか
春先のあったかくなった日に
もう一度、今度はテクテクではなく、
お弁当でも持って
ボチボチと歩いてみたいと思っている今日この頃です。