仕事で遅くなったり
ジムに行くほど時間がないときなどには
ウォーキングや散歩に出かけたりする。
え?ウォーキングも散歩も同じじゃないかって?
違うんだなこれが
「散歩」にはなんとなく
寄り道的な意味が
含まれてますねえ。
「散」の字づらからもどことなく
散漫な、集中力を欠いたような
雰囲気が漂うからかもしれません。
でもこれも大間違い!
この「散」には歴史的な意味があるのです。
えへん
よろしいですか。
その昔、中国のお偉い方々の間に
自然由来の漢方薬的な
軽いドラッグのようなものが
流行ったことがあります。
体内に溜まった、これらの悪い物質を
体温を上げて発散させることを
散発といっておりました。
この散発がないと身体によくないので
歩くことで体温をあげようとした
というのが”散”歩の語源だといわれて
おるようです、はい。
で、doironが隙間を縫って
あちこちを歩き回るときは
紛れもなく「散歩」。
公園の樹を眺めたり
空を見上げたり
知り合いと話をしたりと
ぶらぶらと歩き回る。
体温が上がるとまではいかないけど
身体に溜まった
フラストレーションは
十分散発するよん。
よく行くのは
家の近所の遺跡公園
公園の一角には
弥生時代の建物を再現したりしてあるが
広場中心のシンプルな公園で
休日は大勢の人が歩いたり走ったり
遊んだり、フリーマーケットも
頻繁に開催されている。
こんなところをぶらぶらと歩いているわけだ。
こんな散歩も
気分が乗ってくると
ウォーキングに変わって
すたすた歩き始める。
そもそも、散歩と
ウォーキングという言い方が
あるということ自体
二つは異なる。
では、ウォーキングを日本語にすると
どうなるのか。
歩きながら考えた。
「散歩」に対して
「直歩」というのはどうだろうか。
なあんて考えながら
歩くのが「散歩」なんだな。