今日、村の人が亡くなった。
わしは自治会の役員なので、
お通夜、告別式に携わらなければならない。
週末の予定はすべてキャンセルだ。
もとより、
ジャズマラソンはお袋のこともあって、
キャンセルをし、
参加賞をセイゾーに託していたので、
どちらにしても参加できなかったのだが・・・。
実はこのお葬式で、
興味深いことがひとつある。
不幸ごとで興味深いというのも
不謹慎なのだが、実は亡くなった人の息子が、
わしの幼馴染で、
これが親不孝な放蕩息子なのだ。
家を飛び出し、
風の噂で仕事もやめて
行方をくらましていると聞いている。
10年くらい前に
村の盆踊りに来ていたのを最後に、
まつりにも一切姿を現さなくなった。
子どもの頃は、
いつもみんなの中にいて、
おおはしゃぎで
だんじりを一緒に曳いていた。
数年前、
市内の居酒屋で働いているという噂も聞いて、
一度覗きにも行ったが
会うことはなかった。
以前は、
「彼がいたらまつりや自治会の役員の回りも
余裕ができるのに」などと
村の連中たちも話したりしていたのに、
近頃はまったく彼の存在も影が薄く、
他の幼馴染の口から
彼の名前が出ることもほとんどなくなっていた。
この夏、
地蔵講の石板に
年齢順に刻まれた名前の中にも、
彼の名前は刻まれなかった。
そんな彼だが、
さすがに親父の葬式となれば
顔を出すだろう。
いや、
それどころか喪主ということもある。
いやでも、
村の連中は久しぶりに
彼と顔を合わすことになるはずだ。
彼になんと声をかけようと
村の連中は考えているはずだ。
そして何より、
彼がどんな顔で
わしらと接するのか。
それがとても興味深いことなのだ。
願わくば、
みんなにも彼本人にも、
何もなかったように
昔の幼馴染として接してほしい。
少なくともわしは、そういう風に接してやろうと思っている。
そして、次のまつりには一緒にハッピを着て、
だんじりを楽しめたら最高じゃないか。
まつりや盆踊り、
村の様々な行事でみる見慣れた顔の中に
入っていない息子の顔。
幼馴染たちとなじみきれなかった息子を、
亡くなった親父はきっと不憫に思っていただろう。
自らの命の終焉、
人生の最後の最後に
幼馴染たちの前に
息子を引きずり出した
親父さんの遺志は、
きっと息子が昔のように、
幼馴染たちと屈託なく
笑ってつきあえる関係で
あってほしいと願っているだろうと、
わしは思っているのじゃ。
わしは自治会の役員なので、
お通夜、告別式に携わらなければならない。
週末の予定はすべてキャンセルだ。
もとより、
ジャズマラソンはお袋のこともあって、
キャンセルをし、
参加賞をセイゾーに託していたので、
どちらにしても参加できなかったのだが・・・。
実はこのお葬式で、
興味深いことがひとつある。
不幸ごとで興味深いというのも
不謹慎なのだが、実は亡くなった人の息子が、
わしの幼馴染で、
これが親不孝な放蕩息子なのだ。
家を飛び出し、
風の噂で仕事もやめて
行方をくらましていると聞いている。
10年くらい前に
村の盆踊りに来ていたのを最後に、
まつりにも一切姿を現さなくなった。
子どもの頃は、
いつもみんなの中にいて、
おおはしゃぎで
だんじりを一緒に曳いていた。
数年前、
市内の居酒屋で働いているという噂も聞いて、
一度覗きにも行ったが
会うことはなかった。
以前は、
「彼がいたらまつりや自治会の役員の回りも
余裕ができるのに」などと
村の連中たちも話したりしていたのに、
近頃はまったく彼の存在も影が薄く、
他の幼馴染の口から
彼の名前が出ることもほとんどなくなっていた。
この夏、
地蔵講の石板に
年齢順に刻まれた名前の中にも、
彼の名前は刻まれなかった。
そんな彼だが、
さすがに親父の葬式となれば
顔を出すだろう。
いや、
それどころか喪主ということもある。
いやでも、
村の連中は久しぶりに
彼と顔を合わすことになるはずだ。
彼になんと声をかけようと
村の連中は考えているはずだ。
そして何より、
彼がどんな顔で
わしらと接するのか。
それがとても興味深いことなのだ。
願わくば、
みんなにも彼本人にも、
何もなかったように
昔の幼馴染として接してほしい。
少なくともわしは、そういう風に接してやろうと思っている。
そして、次のまつりには一緒にハッピを着て、
だんじりを楽しめたら最高じゃないか。
まつりや盆踊り、
村の様々な行事でみる見慣れた顔の中に
入っていない息子の顔。
幼馴染たちとなじみきれなかった息子を、
亡くなった親父はきっと不憫に思っていただろう。
自らの命の終焉、
人生の最後の最後に
幼馴染たちの前に
息子を引きずり出した
親父さんの遺志は、
きっと息子が昔のように、
幼馴染たちと屈託なく
笑ってつきあえる関係で
あってほしいと願っているだろうと、
わしは思っているのじゃ。