ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

骨折!

2008年10月14日 21時44分13秒 | 生活
戦慄の出来事・・・それは骨折だ。
わしじゃないよ。
おふくろが骨折したんじゃ。

だんじり祭りも2日目の
午前中のクライマックスである

「宮入」

を終えて、
幼馴染たちと談笑をしているときに連絡が入った。

100mくらい離れた家に
慌てて帰ると、玄関先でお袋が倒れていた。
意識ははっきりしているが、
足を動かすことができない。

聞けば、家の前を通る宮入のだんじりを
ひとしきり見物したあと、
家の中に入ろうとしたときに、
バランスを崩して転倒したらしい。

うつぶせに倒れているお袋のその姿は、
5年位前に散歩の途中で自転車に当て逃げをされ、
連絡を受けて駆けつけたときに
大腿骨骨折で動けず、
うつぶせに倒れていた親父の姿と
見事にオーバーラップした。

これは素人が動かしてはいけないと即座に判断し、
救急車を呼ぶことにした。
幸い、今、家の前の道にはだんじりはいない。
みんな神社に入っている。
しかしあと20分もすれば、
その道は帰町に向かう
5~6台のだんじりと人々で埋まってしまうはずだ。

念のため、
警備に来ていた警察官に救急車が入ってくる旨を伝え、
万一の場合はだんじりをとめてもらうことにし、
祈る思いで救急車の到着を待った。

ウ~、カンカン

じゃなくて

ピーポー、ピーポー

音を鳴らして近づいてくるのがわかったな。
それにしても
一刻を争う状況の中で、
到着するまでの約5分間の長かったこと、長かったこと。

よりによって
一年で一番多くの村の人が
外に出ている祭りのときの出来事だから、
お袋を乗せ、
受け入れ先の病院が決まるまで、
その場に待機していた救急車に、
近所の人がいっぱい集まってきた。

ようやく受け入れ先が見つかって、
救急車が病院に向かったのは、
だんじりが次々通り始める10分前だった。

間一髪である。

わが町は、神社のいわば宮本なので、
宮出の後はほとんど曳かずに昼に突入する。
だから副責任者の立場をいっときだけ人に頼んで、
搬送先の病院に向かうことにした。

さすがに、
無茶な祭りの筆頭に挙げられる
だんじり祭りの地元の病院だけあって、
休日にもかかわらず
フロアには法被を着てる人間が何人もいた。

肩がはずれたという者、
捻挫をした者、
あまりの脚の痛さに
痛み止めを打ってほしいといってくる者等々だ。

廊下の奥のX線室の前で待機し、
お袋が出てくるのを待って
一緒に診察室に入った。

怪我は、やはり

「大腿骨頸部骨折」。

年配の女性がよくやる怪我らしい。
特にお袋は
骨粗しょう症気味なので、
レントゲンを見たら、
素人のわしでもわかるくらい、
ものの見事に折れていた。

息子はだんじりの役員で
村のために骨を折って、
お袋は転んで骨折なんて、
しゃれにもならんわ。

入院することになり、
あとを奥さんにまかせて、
午後からは、
わしが責任者として
だんじりを切り盛りしないといけないので
午後の曳行に戻ることにした。

さすがに、
だんじりには乗らなかったけどね。

え?だって、身内が骨折した人間がだんじりに触って、
もし関係者が骨折などの事故、
怪我にあったらこちとらの気が悪いっしょ。

それに、もしわしがだんじりから落ちて、
足を骨折なんてことになったら、
親子そろってベッドに横たわらねばならんしね。

これも笑い話やないっちゅうねん。

だもんで、
ずっとだんじりの横について、
切り盛りすることにした。

おかげで?けが人もなく
無事パレードを終えてから、
再び病院に戻った。
夜間曳行は、歩くだけなので、
本当の責任者にすべてを任せることができるから、
帰町だけお迎えして、
あとはパスをさせてもらった。

患者着に着替えて、
足を伸ばすために
紐で引っ張られているお袋の様子は、
痛みよりも精神的にショックを受けているようじゃったなあ。

それもそのはず、
春から痛めていた腰が
ようやく治り始めていた矢先の出来事やもんなあ。

思えば、
わしの体調が戻り始めたのも
春先じゃった。
そして
いよいよようやく練習が
そこそこできる身体になり、
さあこれからというときに
お袋のこの事故じゃ。

まるで、母親が息子の身体の悩みを
一身に引き受けてくれているかのような、
奇妙な符合を感じるのは考えすぎじゃろうかねえ。

今日、無事に手術も済んだので、
あとは傷口の治癒を待って、
リハビリの闘いが始まる。

ま、そういう意味じゃ、
家にいるより、
整形外科のあるその病院で
リハビリに専念できるのもいいのじゃないかと、
プラスに考えることにしよう。

がんばれ、スーちゃん!