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小秋元段氏「特別インタビュー 文学か歴史書か?『太平記』の読み方」(その2)

2020-09-26 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 9月26日(土)10時13分54秒

『太平記』での足利直義の描かれ方ですが、例えば第十三巻の「兵部卿親王を害し奉る事」では、直義は淵野辺甲斐守(義博)に護良親王を「死罪に行ひ奉つれと申す勅許はなけれども、この次でに、失ひ奉らばやと思ふなり。御辺急ぎ薬師堂谷へ馳せ帰り、宮を差し殺し奉れ」と命じており(兵藤裕己校注『太平記(二)』、p323)、その後には淵野辺による陰惨な殺戮場面が執拗に展開されます。
『太平記』が直義により検閲されているならば、こうした部分はもう少し柔らかく脚色されるのではないかと思いますが、小秋元氏の「直義・玄恵を中心とした視点」からはどのように説明されるのか。
ま、それは後で小秋元氏の論文で確認するとして、次の部分などは素直に納得できますね。(p40以下)

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 我われ国文学研究者は、文学作品、とくに軍記物語については、大きな歴史の流れや骨格はほぼ間違いなく維持されていますが、各場面の描写はフィクションだと考えています。
 『平家物語』にしろ『太平記』にしろ、今でいう大河ドラマと同じものと考えるべきだと思うのです。大河ドラマだって歴史の流れはほぼ間違ってないですね。だけどそのシーンごとには脚本家や演出家が創作したものが入っている。軍記物語はそれと同じものだと思います。
 たとえば『太平記』に、高師直が天皇は面倒くさいからどこかへ流しちゃって、代わりに木か金属で作ればいいと発言する場面があります。師直の人物像を説明する際によく引用される場面ですが、師直がそんな発言をしたなんて証明できる史料なんてありません。『太平記』の作者が、師直だったらこういうことをいうだろうとか、こういうことをいわせたら面白いと思い、こういう場面が作られたわけです。
 なので、『太平記』が、歴史学者が使う史料になるかというと、私はならないだろうと思います。ただし歴史的事実を究明するためではなくて、この時代の人たちはこういうことを考えていたとか、この時代の知識人の政治に対する見方はこうだったということを探るための資料として使うのは適切だと思います。場面場面や情報において、もしかすると史実にかなり近いものもあるかもしれないけれど、前提としてこれは創作物であるということを押さえて扱わないといけないでしょうね。
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私は『増鏡』については、どこまで「史料」として使えるかを「場面場面」で相当考えているのですが、少なくとも『太平記』よりは使える部分が若干多そうですね。
鎌倉・南北朝時代を専門とする歴史研究者は、『増鏡』の全体像を掴む努力をしないまま、自分の個別的な関心に関連する部分だけ、それも自説の見通しに合いそうな場面だけをつまみ食い的に利用することが多いように見受けられますが、『太平記』でも同様の傾向はありそうです。
現在の私の実力では『太平記』全体を論じることはできませんが、一つの練習として「高師直が天皇は面倒くさいからどこかへ流しちゃって、代わりに木か金属で作ればいいと発言する場面」、もう少し正確に言うと、妙吉侍者の讒言の中で高師直・師泰兄弟が言ったとされている当該発言を素材に、それを「歴史的事実を究明するためではなくて、この時代の人たちはこういうことを考えていた」ことを「探るための資料として」少し検討してみたいと思います。
ちなみに歴史学者による『増鏡』のつまみ食いの代表的な例としては、熊谷隆之氏の「六波羅探題考」(『史学雑誌』113編7号、2004)を挙げることができますね。

六波羅の「檜皮屋」について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5949ae29a3a1e352b87f78f1801a0258
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