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「小秋元段君は、初めから大器だったのではないか、と今でも時々思う」(by 長谷川端氏)

2020-09-28 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 9月28日(月)10時25分46秒

小秋元段氏の「特別インタビュー 文学か歴史書か?『太平記』の読み方」、前回投稿で引用した部分の続きに、

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 かつて、文学や絵画をも歴史研究の資料として活用していこうという一時期がありました。そのとき、ちゃんと各伝本を見なければいけないと、論文にもそういう姿勢が現れていたかと思うのですけれども。あの時期に比べると歴史学の方々の文学の研究状況に対する関心は、やや後退しているように私には見えますね。
 最近、南北朝関係の本がたくさん出ていますが、そのなかで文学研究の成果が参考文献リストに載ることは極めて少ないと感じています。文学研究のほうでも実証的研究が進み、歴史学の研究に参考にしていただける成果はたくさん出ています。先ほど言いましたように、『太平記』では巻ごとの本文の古態が明らかになりつつあり、そこを踏まえていただくと、歴史学のほうでも『太平記』をひとつの着眼点として活用してもらえるのかなと思いますね。その一方で、一次史料を重視する姿勢をあくまでも貫くのなら、『太平記』など一切使わずに南北朝史を語る本が現れてもよいのかもしれません。
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とあります。(p41)
この後、「一次史料を重視する姿勢をあくまでも貫く」タイプとして呉座勇一氏の『応仁の乱』が絶賛され、最後は、

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 要するに、私の立場は、歴史研究に携わる方には文学研究の成果にもっと学んでもらいたいという気持ちがある一方で、南北朝史を語るにあたっては、『太平記』など一切用いないストイックな仕事が現れることを期待するという矛盾したものなのです。   (談)
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と締められています。
私も『太平記』に関しては「文学の研究状況に対する関心」が薄かったので、まずは小秋元氏の主著『太平記・梅松論の研究』(汲古書院、2005)でも読んでみるか、と思って同書を入手し、パラパラ眺めてみたのですが、歴史学の研究者には些か煙たいであろう雰囲気も漂っていますね。

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南北朝の動乱を描いた 『太平記』の複雑な成立過程を踏まえて作品の構想・諸本の展開を詳細に考察する。 また、同時代に成立した 『梅松論』の成立・特質を論じ、 『梅松論』は 『太平記』とどのような関連・差異を持つのかを明らかにする。

http://www.kyuko.asia/book/b10784.html

まず、巻頭に長谷川端氏の「『太平記・梅松論の研究』に寄せて」という一文があるので、それを引用してみます。

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 小秋元段君は、初めから大器だったのではないか、と今でも時々思う。慶應の文学部長・大学院文学研究科委員長をしていらした関場武氏から、「小秋元君を育てて欲しい」と電話で依頼され、平成六・七年度(一九九四・五年)、非常勤講師を務め、学部と大学院(修士・博士両課程いっしょ)の二コマを担当した。学部では『太平記』の講義を、大学院では同書を院生の発表形式で読み進めた。毎週金曜日、名古屋から通い、大学の研究室前あるいは中で、小秋元君といっしょになり、コーヒーを飲んでから第一校舎の教室へ出向いて、六、七十名の学生を前にした。小秋元君は、資料があれば用意しておいてくれ、助手に徹してくれた。平成六年度は、確か博士課程の三年次で、秋の終りには江戸川女子短期大学への講師就任が決まっていたのではなかったか。翌年も、金曜日には必ず三田に現われて、小生の世話をしてくれた。帰りは三田通りにあった蕎麦屋に入って、ビールを少々と焼酎を一杯(それ以上は小秋元君が飲ませてくれなかった)飲み、板わさな何かをつまんでから、蕎麦を食べるのが、習いになっていた。小川剛生・神田正行君も、よくお相伴してくれた。このあと、小秋元君は私を東京駅まで送ってくれるのだった。今、考えてみると、小秋元君に励まされて東京通いを二年間やったようなものだとも言える。お陰で楽しい二年間だった。
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こんな具合に暇な年寄りの駄文、失敬、エッセイが巻頭に恭しく掲げられている訳ですが、奇異な感じは否めません。
もちろん長谷川氏の文章はこれで終わりではなく、この後に「初めから大器だったのではないか、と今でも時々思う」理由として小秋元氏の研究の概要が少し紹介されてはいますが、まあ、狭い世界での緊密な人間関係をアピールすることに主たる狙いがありそうなこの種の文章を巻頭に載せるというのは、歴史学の世界には存在しない慣習ですね。

長谷川端(中京大学名誉教授、1934生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E7%AB%AF

そういえば遥か昔、国文学界の雰囲気を知りたいと思って、和歌文学会の大会に行ってみたことがありますが、演台には花瓶があって、美しい花がてんこ盛りとなっており、良く言えば実務的、悪く言えば殺伐とした歴史学の学会とは全然違うなあと感心したことがあります。
やはり国文学と歴史学の間には、なかなか越えがたい深い谷がありますね。
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