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『古典の未来学』を読んでみた。(その3)

2020-12-18 | 征夷大将軍はいつ重くなったのか
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月18日(金)10時48分3秒

前回投稿では谷口氏が引用するところの呉座勇一・亀田俊和氏の見解そのものは引用しませんでしたが、「太平記史観」の具体例として両氏とも建武政権の恩賞政策を挙げておられますね。
即ち、呉座氏は「一例を挙げれば、建武政権の恩賞配分が不公平で武士たちが不満を持ったという通説的理解も、『太平記』の記述に依拠しているのである」とされ、亀田氏は「特に功績のある人間に適正な恩賞が与えられなかったとする点は、まさに現代人が同政権に対して抱く普遍的イメージそのもの」と指摘されています。
さて、谷口氏が「「太平記史観」が本当に恐ろしいのは、批判者もまだ依然として「太平記史観」にとらわれている可能性が否定できないためである」としている「批判者」、即ちここでは亀田氏が本当に「太平記史観」にとらわれているのかを確認するため、谷口氏が引用する山田徹氏の書評をそのまま引用します。(p698)

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③山田徹「書評 亀田俊和著『観応の擾乱』」(『ヒストリア』二六八、二〇一八年)
 これまでにも著者は、師直像を再検討した前著『高師直』などで『太平記』の記述を取り上げて批判的に検討してきたが、本書でも、南北朝史に『太平記』の影響がいまだに強く残っている点を問題点として強調しつつ(…)随所でその記述を検討している(…)高師直が身分秩序を気にかけず専横な振る舞いをおこなった逸話などは、新勢力の勃興を内乱の基底にみいだす戦後歴史学の視角と適合的だったためだろう、近年に至るまで諸書で肯定的に引用されてきた。ところが、そのような著者の記述にも、気にかかる点がある。たとえば、観応二年七月の直義の越前没落を桃井直常の進言とする点(…)などは、直接的には『太平記』の内容を出典とするものではないかと思われるが、『太平記』の記述とは明示されていない。評者の見落としかもしれないが、もし『太平記』の記述が何の注記もないまま本書の叙述のディテールに入り込んでいるのだとすると、読者には注意が必要とされるところである(…)評者も、『太平記』などの軍記物を含む二次史料の記述を、もう一度本格的に検討の俎上に乗せる必要を感じており、そうした意味で著者の姿勢に共感する部分があるだけに、以上のような諸点が気になるところであった。
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『ヒストリア』268号を見たところ、「観応二年七月の直義の越前没落を桃井直常の進言とする点(…)」の「…」には「一四七・一四九頁」とあるだけで、別の例が省略されている訳ではありません。
この後、谷口氏は、

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 山田は、亀田の「太平記史観」批判に賛同しつつも、なお「太平記史観」にとらわれている部分があるのではないかとして疑義も呈している。このように、「太平記史観」批判の真の難しさは、それが我々のなかにすでに「常識」として存在してしまっていることにある。山田の批判は、亀田一人に向けられたものではなく、我々全員に放たれたものと心得よう。
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という些か物騒な感想を述べられる訳ですが、そもそも上記部分で亀田氏は「太平記史観」に囚われているのでしょうか。
谷口氏は「太平記史観」を「端的にいえば、『太平記』が紡ぎ出す物語・視座(物の見方・『太平記』的な見方)のこと」(p390)と定義されるので、亀田氏によって見直された高師直像などはまさに「太平記史観」の問題ですが、「観応二年七月の直義の越前没落を桃井直常の進言とする点」は単なる事実認定の問題であって、「太平記史観」のような「物の見方」とは特に関係がないように思われます。
谷口氏自身が明瞭に認めておられるように(p702)、「太平記史観」批判は史料として『太平記』を使うな、という主張では全然ありません。
「観応二年七月の直義の越前没落を桃井直常の進言とする点」の典拠が『太平記』以外に存在しないのかは私は知りませんが、仮にそうだとしても、典拠が『太平記』だと書けば何の問題もないように思います。
『観応の擾乱』は新書版の一般書ですから、学術雑誌に乗せる論文のようにガチガチに典拠を要求するのも無理があって、正直、私などは亀田氏の叙述に何の問題もないと思いますし、ましてそれが「「太平記史観」にとらわれている」などと非難されているのを見ると、目が点になるというか、開いた口が塞がらないというか、とにかく超びっくりですね。
さて、この後、谷口氏は「この点、筆者もかつて次のように述べたことがある。自戒を込めつつ、再掲しておこう」として「新田義貞は、足利尊氏と並ぶ「源家嫡流」だったのか」(『南朝研究の最前線』)から六行分引用されていますが、省略します。
そして、

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 以上、ここ最近急速に進展した「太平記史観」批判の現状をまとめると、以下のようになるだろう。要点は二つである。
・過去、『太平記』を慎重に利用するといいながら、実際、事実と虚構の判別は困難なため、結局、『太平記』に流され、結果、知らず知らずのうちに「太平記史観」に捕縛されてきた。
・現在、南北朝期研究では「太平記史観」の打破が目指されているが、しかし、それは我々の脳内も含めすでにありとあらゆるところに偏在しているため、実際に達成するのは難しい。
である。なお、これらの点につき、いくつか補足しておく。まずは、市沢哲の発言から。
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と続く訳ですが(p699)、「それは我々の脳内も含めすでにありとあらゆるところに偏在している」となると、ちょっと考えすぎではないかと思います。
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