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パンヘレニックの祭り

2017-01-08 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月 8日(日)20時51分3秒

井原ワールドから暫し離れて、古代オリンピックについての予備的な投稿を少ししておきます。
古代オリンピック関係の入門書としては村川堅太郎(1907-91)に『オリンピア─遺跡・祭典・競技』(中公新書、1963)という碩学の悠然たる風格を感じさせる好著がありますが、さすがに情報が若干古くなってしまっていますね。
そこで、代わりにと言っては恐縮ですが、桜井万里子・橋場弦編『古代オリンピック』(岩波新書、2004)から少し引用させてもらいます。

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『古代オリンピック』

裸の走者が駆け,戦車が競技場を揺るがす.熱狂する観客,勝利者の頭上の聖なるオリーヴの冠―紀元前8世紀のギリシアからローマ時代に至るまで,実に千二百年近くの命脈を保った古代オリンピック競技会を,最新の考古学・歴史学の成果を踏まえて語る.競技の詳細,会期中の休戦,優勝者の得る利益についてなど,興味深い話題は尽きない.

「プロローグ」で、桜井万里子氏はアテネのパルテノン神殿に言及された後、次のように述べます。(p3以下)

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 ところで、現在のオリンピック大会の起源である古代オリンピックは、そのアテネで開催されたわけではないのである。
 古代オリンピックは、アテネから遠く離れた、ペロポネソス半島北西部エリス地方の山間の地オリンピアで開催された。オリンピアはゼウス神の神域である。前一〇世紀のテラコッタの神像が出土していることから、すでに前一〇世紀初めからゼウスがこの地で祀られていたと考えられている。ゼウスは山々や天候の神であったからか、一般的にその神域は、人里はなれたところにあることが多い。たとえば、クレタ島のゼウス神域は、イダ山山頂の洞窟であり、ゼウスの神託で名高いドドナの神域は、ギリシア本土西の内陸部、今でも訪れるのに苦労する地点に成立した。オリンピアも山間の谷間に位置したが、主要な交通路の近傍にあったためアクセスが容易で、後にギリシア各地から人々が訪れる聖地となる条件を備えていた。
 そのオリンピアの祭典としての古代オリンピックは、国という枠を超えて全ギリシア世界から選手が参加する、全ギリシアを挙げての祭りという意義を持っていた。祭典は、紀元前八世紀から紀元後四世紀に至るまで、途絶えることなく営々と四年に一度開催され続けた。その長い歴史のなかに古代ギリシア人の、そしてローマ人の心意気を窺うことによって、今に生きる私たちは古代地中海世界とのあいだを結ぶ橋を渡ることができるであろう。
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「全ギリシアを挙げての」には「パンヘレニック」とのルビが振られています。
古代オリンピックと近代オリンピックの最大の違いは、言うまでもなく前者がゼウス神に捧げられた宗教的な祭典であるのに対し、後者には宗教的要素が存在しない点ですね。
クーベルタン男爵の宗教的背景は追々検討するつもりですが、まあ、個人としての信仰はどうであれ、オリンピックを世界的な行事とするためには特定宗教色の排除は必然です。
また、古代オリンピックは「国という枠を超えて全ギリシア世界から選手が参加する、全ギリシアを挙げての祭り」ですからナショナリズムとは無縁ですが、近代オリンピックは1896年の第一回アテネ大会からナショナリズムとは切っても切れない関係にあり、これも古代オリンピックと近代オリンピックの重要な違いのひとつですね。
ま、そのあたりも追々検討します。

>筆綾丸さん
>夏目琢史氏
「researchmap」を見ると夏目氏の研究分野は日本近世史となっていますが、学部は「東京学芸大学教育学部国際理解教育課程日本研究専攻」で、最終学歴が「一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程」ですから、歴史学に関しては研究者というより歴史愛好家みたいな感じがしないでもないですね。
一橋の社会学って、変な若手評論家を次から次へと送り出している迷惑施設みたいな感じがして、あまり良いイメージがありません。


夏目氏の主著らしい『アジールの日本史』については松岡正剛氏が縷々、というかダラダラ書かれていますが、個人的には些か食傷気味のテーマです。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

網野ワールド 2017/01/08(日) 17:25:42
書店の一角では真田丸が女城主に乗っ取られたので、一冊くらいは、と夏目琢史氏の本を読んでみました。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-4062883945
『井伊直虎―女領主・山の民・悪党』は、副題から予想されるように、第一章はともかくとして、第二章は網野ワールド全開でした。
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 先に述べたように、直虎の周囲には「ヤマイヌ」がごく当たり前のようにうろついていた。遠州地方の江戸時代の古文書のなかには、夜道、「ヤマイヌ」に襲われたという記録もたまに見かけるが、直虎の時期の引佐地方には、確実に「ヤマイヌ」がいた。彼女もおそらく「ヤマイヌ」のことを聞いていただろうし、もしくは目撃していたかもしれない。幼少期の彼女は、そうした過酷な自然のなかで暮らしてきたと考えられる。
 この話を拡張していくと、直虎の暮らした世界は、まるで、映画『もののけ姫』の世界そのものであったことがわかってくる。『もののけ姫』とは、宮崎駿監督の代表作の一つであり、自然と人間の調和と戦いを描いた国民的映画である。
(中略)
 さて、映画『もののけ姫』のなかで、ひときわ目をひくのは、「タタラ場」が女性中心の社会であったこと。そして、そのリーダーが、「エボシ御前」といわれる女性であったことである。
 「エボシ御前」には、井伊直虎と共通するところがいくつもある。彼女は、非農業民を率いて、自然と隣接する場所に拠点をおきながら、自然の克服を目論む。
(中略)
 今日を生きる私たちは、自然なるものが、やがて、文明なるものに制服されていく歴史を知っている。自然なるものの代表格であった「もののけ姫」や、自然を克服しようと試みる「タタラ場」の生活も、やがて滅ぼされてういく運命にある。網野善彦氏の言葉を借りるならば、遍歴型の社会(未開)から定住型社会(文明)への転換ということになるだろう。中世の社会をある意味で象徴する。自然に寄り添いながら成長してきた一族である井伊氏もまた、滅亡する運命にあった。(143頁~)
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引用するのも恥ずかしくなるような網野ワールドですが、夏目少年はアニメ『もののけ姫』の大ファンのようで、なんともいじらしい。この本と大河ドラマは無関係のはずですが、たぶん見ないと思います。
三方ケ原で戦死した武将に夏目吉信という人が出てきますが(114頁)、少年の先祖でしょうか。
「地元出身の有名な歴史家・作家である白柳秀湖」(109頁)と「引佐町出身の著名なジャーナリスト松尾邦之助」(138頁)は、恥ずかしながら、知りませんでした。

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kumokiri3/
もののけ姫直虎とは何の関係もありませんが、私は雲霧仁左衛門のファンです。
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