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0118 兼好法師と堀川家の関係についての小川剛生氏の誤解(その3)

2024-07-14 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第118回配信です。


一、前回配信の補足

『金沢文庫古文書』
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一六六三 定有書状

先日推参之時、委細申奉候之
条、真実本意満足喜悦之外
無他候、抑、粗令申候、彼御方、御
捨子一人、両人之間、猶子事、預御秘計
候之条、可為何様候乎、彼黄門姉
女御代無一子候、又黄門母儀も、此卿之外、
無他子候、其□□□母儀者真乗院
一躰之条、定御存知候歟、任小坂禅尼
遺命、預扶持候、仍真乗院与彼卿、当
時無内外申奉候、旁以其寄候歟、
御女子多御座候之由承候、其中定

御捨子御座□□猶々御和讒候者、
喜存候、且以彼卿可申行当寺檀那
一分候、奥州玉造郡は国領候、於地頭
職者、代々当寺本願主御領候、仍
探題以下国方年貢御沙汰候、以彼年貢
寄進当寺候者、旁可宣候歟、若又此所
御所存候者、雖為他所申沙汰之条、一切不
可有子細候、且永代以彼年貢等、為当寺
寺用之条、自他可宣候歟、猶々相構、彼卿
成為悦之思様、御和讒候者、殊畏存候、
其間事、尚可参申候、恐々謹言、
  十二月五日  定有(花押)

    (切封ウハ書)
    『   
 称名寺方丈   定有』


二、堀川具守の弟・基俊について

永井晋氏『人物叢書 金沢貞顕』(吉川弘文館、2003)

p130以下
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 それでは、『徒然草』の作者兼好法師と鎌倉・金沢の関係はどのようなものだったのだろうか。兼好法師は、「久我カ徳大寺ノ諸大夫ニテアリシナリ」(「徹書記物語」)と伝えられていた。風巻景次郎氏は史料を博捜した結果、兼好が村上源氏堀川具守に家司として仕え、西華門院を通じて、後宇多上皇・後二条天皇・東宮邦良親王といった大覚寺統嫡系のもとに出入りしていたことを明らかにした(風巻景次郎「家司兼好の社会圏」『西行と兼好』所収)。風巻氏は言及されていないが、邦良・康仁二代の養母となった宗尊親王の娘永嘉門院の別当は堀川具守であり、堀川具守の弟基俊は将軍家久明親王に供奉して鎌倉に下向して亀谷家〔かめがやつけ〕をおこしていた。堀川家は、後二条天皇の外戚をつとめる京都の本家と、将軍家久明親王の後見として鎌倉亀谷に館を構えた分家亀谷家に分かれていた。このふたつの家が、京都と鎌倉との間で使者をやりとりさせた可能性は高いだろう。兼好の鎌倉下向は、堀川家と亀谷家が使者を往復させるなかで行われたと考えられる。
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堀川基俊(1261‐1319)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%B7%9D%E5%9F%BA%E4%BF%8A
金沢貞顕(1278‐1333)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E8%B2%9E%E9%A1%95

金沢貞顕は永仁二年(1294)に東二条院蔵人に輔任されている。
当時、十七歳の貞顕は鎌倉在住であり、東二条院蔵人はあくまで形式的な資格。
ただ、東二条院は後深草院の正室であり、久明親王は後深草院の息子。
東二条院蔵人補任に際しては久明親王(=堀川基俊)を通したはず。
この時点で金沢貞顕は堀川基俊と面識があったと考えるのが自然。

『徒然草』第99段.堀川相国は
http://web.archive.org/web/20150502062113/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-99-horikawano-shokoku.htm
『徒然草』第162段.遍照寺の承仕法師
http://web.archive.org/web/20150502055456/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-162-henjoji.htm

『とはずがたり』巻4.「新将軍久明の東下」
http://web.archive.org/web/20150918033341/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa4-4-hisaakirasinno.htm
『増鏡』巻十一「さしぐし」 新将軍久明親王の下向
http://web.archive.org/web/20150918073152/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu11-hisaakirashinno.htm
『増鏡』巻十二「浦千鳥」 後宇多院の後宮
http://web.archive.org/web/20150830053427/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu12-goudainno-koukyu.htm

福田豊彦「第八代 久明親王」(『鎌倉・室町将軍家総覧』、秋田書店、1989)
http://web.archive.org/web/20150512030150/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/fukuda-toyohiko-hisaakisinno.htm

「正妻格として出現したのが遊義門院姈子内親王」(by 三好千春氏)〔2019-05-05〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e0b691ccc5fa57eff6c585a2b8b1ce41

「巻八 あすか川」(その3)─「陵王の童も、四条の大納言の子」〔2018-01-28〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e774c169862151c1bd9cf00697464171
「巻八 あすか川」(その4)─富小路殿舞御覧〔2018-01-29〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dfa7af54134ac031a3daa1e82e4d01bb
『五代帝王物語』に描かれた「富小路殿舞御覧」と「後嵯峨院五十賀試楽」〔2018-01-30〕
コメント (3)
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