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御岳行者皇居侵入事件のまとめ(その1)

2018-09-15 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 9月15日(土)10時24分58秒

昨日は「このあたりで一応終りにしたいと思います」などと書いてしまいましたが、『日本近代思想大系5 宗教と国家』以外の資料を特に見ていない段階でのとりあえずのまとめをしておきます。
今回の一連の投稿は、ブログ『学問空間』に頂いた、

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私たち、扶桑教として教派神道になる前の、富士講時代の行者や神主や坊さんや山伏たちがデモ隊を率いて廃仏毀釈反対の請願陳情に皇居にいったらライフル銃で撃たれて死んだんだよ

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0c4fdba133d1819f8db996c4b53606c0

というコメントがきっかけでしたが、基本的事実の点で、この方にも相当な誤解があったようですね。
まず、明治五年二月十八日に皇居に侵入したのは木曽御嶽山を信仰の中心とする御嶽講のグループであって、富士講とは全く関係ありません。
また、「デモ隊」は観衆を意識した示威行動ですが、早朝、密かに皇居侵入を試みた十人を「デモ隊」とは言い難いですね。
十人の目的は「廃仏毀釈反対の請願陳情」との点は全くの的外れではありません。
しかし、熊沢利兵衛の思想と行動に賛同するも「病弱」のために皇居侵入には加わらなかった「久宝丸船頭 角佐十郎」の供述によれば、利兵衛等の天皇への直訴の目的は、「天下神仏混淆に致し、経文・珠数を以て諸人拝礼致し候様、かつ夷人追討、神社仏閣・諸侯の領地旧に復したき旨、直に奏聞」することではあったもののの、「勅許これなき節は 玉体に迫り奉るべき心組み」です。

御岳行者皇居侵入事件(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1a84432b35477261c163cd06cddcf3db

この「玉体に迫り奉るべき心組み」は何かというと、明治天皇をハグしたいという意味ではなく、殺害を狙った訳ですね。
実際の供述ではもっと露骨な表現が用いられたのでしょうが、供述を聞きとって文書にした役人が、多少は穏やかな表現に変更したのだと思われます。
イギリス駐日代理公使のF・O・アダムスが外務卿の副島種臣からこの事件の供述書を受け取ってアーネスト・サトウが翻訳し、アダムスの書簡とともに供述書の翻訳を本国外務省に送付したのは、この事件が天皇暗殺未遂事件として受け取られたことを反映していますね。
そうした不穏な目的を持った集団が突然来襲した時に皇居を警備する側がどのような対応をしたかというと、そもそもこの集団の目的が分からなかったので、どこから来たのかと質問したら、我々は高天原から来た行者で天皇に直訴したいから通せ、という回答であり、暴言を吐いたり門扉を棒で叩くなど、「廃仏毀釈反対の請願陳情」とは受け取りにくい状況が生じます。
しかし、警備側も直ちに発砲したのではなく、最初は威嚇射撃に止め、それでも刀を振り回すなどの行動をやめなかった利兵衛等を射殺し、抵抗しなかった者は捕縛した、ということで、警備側には宗教弾圧の意図など全くなく、皇居に侵入しようとする武装した不審者への相応の対応をしただけですね。

御岳行者皇居侵入事件(その4)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8f53ec287f76da45b01086f892f7793e

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