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神野潔氏「鎌倉幕府の本質と中世国家論」

2021-10-01 | 新田一郎『中世に国家はあったか』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年10月 1日(金)13時10分29秒

私は承久の乱を説明できないことが権門体制論の欠陥だと考えますが、かといって佐藤進一氏の東国国家論に賛成する訳でもありません。
私見をもう少し詳しく述べる前に、権門体制論・東国国家論に関する基礎的事項を確認しておきたいと思います。
そこで、法制史の概説書として最新の出口雄一・神野潔・十川陽一・山本英貴編『概説 日本法制史』(弘文堂、2018)の第四章から少し引用します。(p125)

『概説 日本法制史』
https://www.koubundou.co.jp/book/b355659.html

第四章は編者でもある神野潔氏(東京理科大学教授)が執筆されていますね。

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第2節 鎌倉幕府の基本的性格

第1項 鎌倉幕府の本質と中世国家論

① 権門体制論
 第1節では鎌倉幕府を中心に政治史的流れを概観したが、本節では鎌倉幕府の基本的な性格・構造について見ていきたい。
 そもそも鎌倉幕府とは何かという問いは、長いあいだ中世史研究における重要な課題であった。戦前の研究では、源頼朝が朝廷から「諸国守護権」を委任されたことを重視して鎌倉幕府を捉えようとする「委任制封建制度論」が有力であり、また、戦後しばらくはマルクス主義歴史学の理論を基礎に、鎌倉幕府は京都の古代政権を克服していく封建政権であるとする認識が広まった。
 そのような中、1960年代に提唱された「権門体制論」は、日本中世史の研究者たちに大きな衝撃を与えるものであった。この学説では、天皇を中心とした秩序は中世社会においても継続しており、天皇から国家の機能を分掌された諸権門(王家・摂関家・大寺社・幕府など)が、相互補完関係を維持しながら1つの国家権力を構成すると説明した。天皇を国政上の頂点とする1つの国家権力があり、鎌倉幕府は天皇から軍事・警察の機能を分掌された権門の1つであって、両者は対立的な存在ではないということになる。

② 東国国家論
 「権門体制論」とは異なる見方で示された学説が、「東国国家論」である。この説では、鎌倉幕府は律令国家の解体によって12世紀前半に現われた王朝国家と並立する別の中世国家と位置づけられている。源頼朝は、「寿永二年十月宣旨」によって朝廷から東国の支配権(東国行政権)を与えられ〔→第4章第1節第2項〕、これによって頼朝を中心とする東国の武士の連合体が朝廷から国家として承認され、ここに現れた2つの中世国家はお互いに不干渉・自立の関係を継続したというわけである。
 もっとも、治承4(1180)年以来実力で東国を支配していた頼朝が、「寿永二年十月宣旨」によって朝廷から支配権を認められたことについて、頼朝が権門体制に組み込まれたものと捉える反論もある。
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いったん、ここで切ります。
権門体制論は黒田俊雄氏、東国国家論は佐藤進一氏が提唱されたものですが、佐藤氏の『日本の中世国家』(岩波書店、1983)は、

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序章  律令国家について
第一章 王朝国家
第二章 鎌倉幕府
第三章 王朝国家の反応
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と構成されていて、「律令国家の解体によって12世紀前半に現われた王朝国家」との対比に重点が置かれ、承久の乱への言及は僅少ですね。

『日本の中世国家』
https://www.iwanami.co.jp/book/b496860.html

さて、続きです。

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③ 王権論
 「権門体制論」も「東国国家論」も、国家という概念を重視して、中世における朝廷や鎌倉幕府をどのように捉えるべきかを考えていた。しかし、この2つの学説に対して、近代国家のイメージに引っ張られて中世国家を語ることへの疑問が示され、その議論の中から登場してきた「2つの王権論」は、「東国国家論」を批判しつつも発展させたものであった。この学説では、朝廷・幕府を国家かどうかという点で議論すべきではないと指摘し朝廷と幕府の両方を「王権」と考えてその相互関係を考察した上で、鎌倉幕府は東国における独立政権としての性格と、軍事・警察を担う権門としての性格と、両方を合わせ持っていると考えている。
 これと関連して、「『公権委譲論』批判」も重要である。この学説は、「権門体制論」や「東国国家論」は、鎌倉幕府の性質を考察する際に、勅許・宣旨・官職など源頼朝が朝廷から何らかの権限を得る「公権委譲」を重視しすぎていると批判した。鎌倉幕府権力自体が実質的に形成されていく過程こそが重要だとするこの考えは、「2つの王権論」とつながりを持つものと言えよう。
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「二つの王権論」は五味文彦氏の見解ですね。
私は「近代国家のイメージに引っ張られて中世国家を語ること」は別に間違っているとは思わないので、基本的発想が「二つの王権論」になじめません。
また、「『公権委譲論』批判」は川合康氏の見解で、私は川合説の基本的発想は正しいと思っています。
ただ、川合氏も承久の乱はあまり検討されていないようですね。
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