学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

定義不在のままの中世国家論

2021-10-03 | 新田一郎『中世に国家はあったか』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年10月 3日(日)09時40分24秒

権門体制論と東国国家論、二つの王権論の論争を眺めていて不思議に感じるのは、誰も「国家」とは何かをきちんと定義しないままダラダラと議論を続けていることですね。
黒田俊雄・佐藤進一の著書には「国家」の定義はなく、何となく「国家」を論じ始めて細かい話が続き、結局、最後まで黒田・佐藤氏が「国家」をどのように定義したのかが分からないまま何となく終わります。
五味文彦氏の場合はこれに「王権」が加わって、「国家」と「王権」の定義がないまま何となく「国家」「王権」を論じ始め、何となく終わります。
定義不在のままの中世国家論で特にダメなのは東京大学教授・新田一郎氏の『中世に国家はあったか』(山川出版社、2004)で、タイトルそのものにダメダメ感が溢れていますね。
しかし、新田著は中堅・若手研究者に多大な影響を与えていて、例えば桃崎有一郎氏は『中世京都の空間構造と礼節体系』(思文閣出版、2010)の「序論」で「日本中世史研究において「国家」概念を用いる事の適否について正面から議論する事は本書の射程を大きく逸脱するのでここでは措くとして」(p4)と述べ、更に注記で、

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(2)代表的なところでは新田一郎『日本に中世はあったか』(日本史リブレット19、山川出版社、二〇〇四)等で踏み込んで論じられているように、すぐれて近代的な概念である上に、実際には近代においてさえも定義が困難なまま用いられてきた「国家」という概念を、前近代たる中世社会の評価に持ち込むことがどれだけ妥当か、また仮に持ち込む事が必ずしも無益でないとしても、その概念をどのように用いれば当該期社会の理解の深化に資するのか、という疑問が、今日の日本史学に常につきまとう事はいうまでもない。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9a02f00dce47ee9db15da91b702e879a

と書かれています。
桃崎氏が新田著のタイトルを勘違いしたのか、それとも2014年の私が桃崎氏の文章を写し間違えたのかは分かりませんが、新田著のタイトルは『中世に国家はあったか』ですね。
ま、それはともかく、このように新田著は後進の研究者に多大な影響を与え、中世国家を廻る議論を混乱させていますが、同書の内容には相当に問題があり、後で具体的に検討する予定です。
さて、こうした定義不在のままの中世国家論の現状を厳しく批判されているのが水林彪(みずばやし・たけし)氏です。
私は以前、ネットで『戦国大名の「外交」』(講談社選書メチエ、2013)をめぐって著者の丸島和洋氏とプチトラブルになったことがあり、戦国大名を「国家」だとする丸島氏の見解に疑問を感じて、中世国家論についてあれこれ調べたことがあります。
その際、私にとって一番役に立ったのが水林彪氏の著書・論文で、特に『天皇制史論─本質・起源・展開』(岩波書店、2006)には、その論理の明晰さと一貫性に感銘を受けました。

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『天皇制史論─本質・起源・展開』

天皇制の本質とは何か,天皇制はなぜ時代を超えて持続しえたのか──本書は,この問いに法制史研究の立場から答えるべく,古代の律令天皇制から現憲法下の象徴天皇制にいたる歴史的展開を,一貫した視点のもとに通史的に叙述.中国・西欧との比較史的分析も交えつつ,この国の「支配と法の歴史」の特質を解明する.

https://www.iwanami.co.jp/book/b261389.html

水林氏は、同書「第1章 基本的諸概念」の「第四節 国家」で、

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1 多義的概念
 わが国の歴史学にきわめて大きな影響を与えてきた石母田正は、「律令制国家」─飛鳥浄御原令(六八九年施行)や大宝律令(七〇一年成立)を根本法典とする国家─の成立をもって、我が国における「国家」なるものの成立であると考えた。マルクスやエンゲルスの学説、とりわけ「国家」概念については、エンゲルスの『家族・私的所有・国家の起源』を重要な理論的基礎とする所論である(石母田71.とくに第二章におけるエンゲルス理論への言及)。しかし、石母田によるエンゲルス理論の援用の仕方には、根本的な問題があったように思われる。
 視野を歴史学全体に拡大すると、「国家」についての厳密な定義を欠いたままに、「国家」について論ずるものが少なくないという問題が存在する。一般に、重要な概念ほど、定義なしに、あるいは、意味がきわめて曖昧なままに使用される傾向があり、このことは不可避的に議論に混乱をもたらすことになるが─というよりも、定義が曖昧であるから厳密な意味での学問的論議・論争が成立しえない─、その典型の一つが「国家」概念ではなかろうか。最近では「初期国家」なる概念も提起され、ますます議論が錯綜してきているように見受けられる。議論の整理が必要である。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f5603cd54f52d84ac6b68d3a43525fb1

と書かれていますが、中世国家をめぐっては「定義が曖昧であるから厳密な意味での学問的論議・論争が成立しえない」状態が未だに続いているように思われます。
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