学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

ネーミング・センスが駄目すぎる「礫岩国家」な人々

2021-11-20 | 新田一郎『中世に国家はあったか』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年11月20日(土)13時20分49秒

古谷大輔・近藤和彦編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)の目次に、

-------
第Ⅰ部:政治共同体と王の統治
 第1章 複合国家・代表会議・アメリカ革命……H.G.ケーニヒスバーガ(後藤はる美訳)
 第2章 複合君主制のヨーロッパ……J.H.エリオット(内村俊太訳)
 第3章 礫岩のような国家……ハラルド・グスタフソン(古谷大輔訳)

https://www.yamakawa.co.jp/product/64083

とあるので、「第3章 礫岩のような国家」が「The Conglomerate State: A Perspective on State Formation in Early Modern Europe」の翻訳なのでしょうね。
私は Early Modern を「近世」と訳してよいのかも分からないレベルの初心者なので、是非とも古谷大輔氏の翻訳を確認したいのですが、『礫岩のようなヨーロッパ』は版元品切れ、古書も出回っておらず、私が利用できる範囲の公共図書館にもないので、「礫岩国家」探究は暫らくお休みしようと思います。
それにしても「礫岩国家」というネーミングは何とも奇妙なものですね。
中澤達哉氏が要約するところによれば、「礫岩国家」は「近世国家の君主の支配領域に属する各地域は、中世以来の伝統的な地域独自の法・権利・行政制度を根拠に、君主に対して地域独特の接合関係を持って」いて、「非均質で可塑性のある集合体」であり、「服属地域の「組替」「離脱」のほか,離脱による国家の「解体」を視野に入れた考察」が可能で、「この服属地域(礫)の可変性こそ礫岩国家の特徴」なのだそうです。
しかし、ごく常識的に考えれば、礫岩というのは非常に硬いもので、およそ「可塑性」「可変性」はありません。
中澤氏は「礫岩」ではなく「「礫岩状態」というべきではないかと考えている」そうですが、「礫岩生成状態」ならともなく、「礫岩状態」は単なる固体であって、およそ「可塑性」「可変性」はなく、ハンマーとかで叩かなければ「組替」・「離脱」・「変形」は無理ですから、やはり譬喩として適切ではありません。
より適切な譬喩を探すとしたら、マシュマロが良いのではないですかね。
マシュマロは「ふんわりとしたメレンゲにシロップを加え、ゼリーで固めて粉をまぶした菓子」ですが、原料の砂糖・卵白・ゼラチン・水あめの配合を変え、更に香料や着色料、ジャムなどを加えれば無限の多様性が生まれます。
そして、もちろん、マシュマロには「可塑性」「可変性」があり、適度な「接着性」もあるので、「組替」・「離脱」・「変形」は自由自在です。
お口に入れれば溶けますから「解体」を視野に入れた考察にも便利ですね。

マシュマロ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%AD

試しに、中澤氏の文章中の「礫岩」「礫」をマシュマロに「組替」てみると、

-------
 さて,こうした「複合国家」「複合王政」論の延長線上に位置するのが,「マシュマロ国家」(marshmallow state)論である。「マシュマロ国家」とは,スウェーデンの歴史家 H・グスタフソンが提唱した概念である。彼によれば,近世国家の君主の支配領域に所属する各地域は,中世以来の伝統的な地域独自の法・権利・行政制度を根拠に,君主に対して地域独特の接合関係をもってマシュマロのように集塊していた(20)。Marshmallow とは「マシュマロ」を含む菓子を意味する料理用語であり,非均質で可塑性のある集合体ということになる(21)。グスタフソンの貢献は,ケーニヒスバーガおよびエリオットの複合国家・複合王政論がやや静態的であるのに対して,服属地域の「組替」「離脱」のほか,離脱による国家の「解体」を視野に入れた考察を行い,動態的な国家論を提示したことである。マシュマロ国家論は君主と複数の服属地域(または服属国家)の間に,集塊のあり方に関する複数の複雑な交渉が常に存在することを重視する。それゆえにこそ,マシュマロ国家的編成は,戦争など国家の存亡にかかわるような危機的な非常事態に明示的に現れ,それぞれの服属地域が異なる集塊(マシュマロの接着=続成)のあり方を可視化してくれるのである。つまり,マシュマロ国家論は,危機の際に復古であれ連合であれ統合であれ,どういう形態をとるにせよ,常に服属地域(マシュマロ)が組替えられたり離脱したり変形することを前提とする。この服属地域(マシュマロ)の可変性こそマシュマロ国家の特徴である。ちなみに筆者はこれを「マシュマロ状態」というべきではないかと考えている(22)。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/gendaishikenkyu/59/0/59_37/_pdf/-char/ja

となり、我ながら何と巧みな譬喩なのだろうと感動してしまいます。
ということで、中澤氏がグスタフソンの「礫岩国家」論をベースに新たな国家論を構想される場合には、是非とも「マシュマロ国家」概念の使用をご検討願いたいと思います。
その際、私は決して「マシュマロ国家」のネーミング・ライツなどを主張するつもりはありません。
もともと私が「マシュマロ国家」の着想を得たのは、中澤達哉氏のお名前でグーグルの画像検索をして、何だか『ゴーストバスターズ』のマシュマロマンみたいな人だな、と思ったことがきっかけです。
その意味でも使いやすい概念かと思いますので、是非とも「マシュマロ国家」概念の採用をご検討願いたいと存じます。

https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%AD%E6%BE%A4%E9%81%94%E5%93%89&sxsrf=AOaemvJzCcWxW_0-cqvGx5DXL04BqFR8ig:1637381345845&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjki-zriKb0AhWEHXAKHV_bA2YQ_AUoAXoECAEQAw&biw=1366&bih=568&dpr=1
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 呉座勇一氏『頼朝と義時 武... | トップ | 「細胞」国家  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

新田一郎『中世に国家はあったか』」カテゴリの最新記事