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あなたの「国家」はどこから?─中澤達哉氏の場合(その5)

2021-11-18 | 新田一郎『中世に国家はあったか』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年11月18日(木)11時01分5秒

ウィキペディアによれば、

Although the family was Lutheran Christians, they were classified as Jewish by the Nazis: both of his grandfathers had been non-practising Jews.

https://en.wikipedia.org/wiki/Helmut_Koenigsberger

とのことですから、ケーニヒスバーガの家族は彼の祖父母の代で既にユダヤ教から離れているのに、ナチスによってユダヤ人として迫害され、イギリスに逃れると、今度はユダヤの裏切り者としてユダヤ人団体から白眼視される訳ですね。
従って、ケーニヒスバーガは否応なく民族とは何か、宗教とは何か、という問題を突き詰めて考えざるをえなくなり、それは彼の学風に甚大な影響を与えることになったのでしょうね。
ま、それはともかく、彼のアカデミックな経歴も概観しておくと、ケンブリッジ大学の博士課程に在籍中、「1647年に起きたスペイン統治に対するパレルモの反乱」と「17世紀のナポリとシチリア島における英国商人」というタイトルの論文を書き、博士論文の「スペインのフィリップ2世の統治下でのシチリア政府:帝国の実践の研究」はモノグラフとして刊行されたとのこと。
1948年、経済史の講師としてベルファストのクイーンズ大学に職を得て、1951年にマンチェスター大学に移り、経済史の上級講師(?)、そして1960年から1966年までノッティンガム大学で近代史の教授を務めた後、アメリカ合衆国に移り、1973年までコーネル大学教授。
その後、英国に戻り、1984年に引退するまでキングスカレッジ・ロンドンで歴史学の教授ですから、後半生は学者としてなかなか恵まれた人生、という感じですね。
以上、長々とウィキペディアの記事を紹介してしまいましたが、私はもともとドイツの改宗ユダヤ人にちょっと興味を持っています。
近代ドイツの宗教事情はなかなか難解なので、深井智朗氏の著作には大変お世話になったのですが、深井氏もすっかり社会的に抹殺されてしまいましたね。
今は何をされているのでしょうか。

「心を高くあげよ」(by 第三三代院長 深井智朗)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d23bbbe1da5c66070fafdbe13348ffc1
「編集者は学者ではない。著書内容の文献として挙げられている文書までチェックせよ、というのは酷だ」(by 元岩波の編集者)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e3f944f526eaf4c4dfa58e6f59857d63

さて、些か脱線気味でしたが、中澤論文に戻ります。(p41)

-------
 日欧間の相違は,ケーニヒスバーガの論点を国家論から引き継ぐエリオットが存在したことである。「複合王政」はイギリスの歴史家エリオットが提唱した概念である。彼は,中世とは異なる,しかも絶対主義とも異なる,主権を持った新たな国家・政体に着目し,近世君主の支配領域の多くが,古来の法と権利を持つ独立した国家ないしは政体の「集合体」であったと論じた(19)。実際に,君主または王朝間の連合は,スペイン王国,グレートブリテン王国,ポーランド = リトアニア共和国,ハプスブルク帝国などに顕著にみられる現象であるとした。近世ヨーロッパは実のところ,中央集権的な絶対王政型の主権国家からなるのではなく,服属するさまざまな地域との合意のもと緩やかな統治を行う主権国家あるいは政体の集合体であり,そうした複合王政のほうがむしろヨーロッパでは常態であったとの主張であった。この見解にしたがえば,いわゆるフランスの絶対王政はむしろヨーロッパではきわめて特異なケースということになる。ここから敷衍すると,18 世紀にフランスを除くヨーロッパの多くの複合国家(プロイセン,オーストリア,ロシア,スペイン,スウェーデンなど)が着手する啓蒙絶対主義は後進地域に特有の絶対主義などではなく,実はヨーロッパの一般的な姿だということになる。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/gendaishikenkyu/59/0/59_37/_pdf/-char/ja

ケーニヒスバーガを知らなかった私は Sir John Huxtable Elliott(1930生)も知りませんでしたが、こちらはケンブリッジ卒業後、ケンブリッジやキングスカレッジ、プリンストン高等研究所を経て、オックスフォード大学の Regius Professor of History とのことですから、歴史学者としての王道を驀進した超エリートのようですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Elliott_(historian)

Regius Professor(欽定教授)というのは何だかよく分らない制度ですが。

欽定教授
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%BD%E5%AE%9A%E6%95%99%E6%8E%88

ま、そんな超エリートの人生を細かく見てもつまらないので省略しますが、1994年に歴史学への貢献を理由にナイトの称号を授けられたというのはいかにもイギリス的ですね。
また、スペイン政府から Commander of Isabella the Catholic(イザベラ女王勲章?)と Grand Cross of Alfonso the Wise(アルフォンソ賢王大十字章?)を、カタロニア州からは Creu de Sant Jordi(サン・ジョルディ十字章?)を授与されているそうで、スペインの歴史を解明した功績はスペイン側からも非常に高く評価されているようですね。
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