生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分の魂を信じると、どうなる?

2007年06月15日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
愛そのものである自分の魂を信じる力は、これまた難しい所があります。信じる力、疑い深い人は、どんなものでも、中々信じません。現実吟味力が無いと、信じる相手を識別出来ないので、だんだんと信じなくなります。信じるに足る相手なのか、もともと信じてはならない相手なのか、ここが問題なのですが、自分の魂を信じる場合は全く問題はありません。自分の心と身体は魂ほどには信じられません。心は移り気な物ですし、身体は不安定で病気になりがちです。魂は病むこともなく、永遠不変なものです。例えば日常生活で嫌な相手が嫌みを言ってきた時、互いの心と身体は憎みあっていても、互いの魂だけは完全に愛しあっているんだ、ともし、信じる事が出来れば、破滅的な悲劇にはなりません。宗教心理学によれば、アメリカの大統領もイラクの大統領も心と身体は戦争はしていたけれど、魂同志は愛し合っていた、と言う事になります。良心の呵責はこの愛である魂が示唆する警告でしょう:<見神欲:144-4>:

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愛である自分の魂を信じるということ。

2007年06月14日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
哲学の中で、何を哲学するのが一番重要か、と言えば、愛そのものである自分の魂とは何か、を思索するのが一番重要ですし、楽しいものです。自分が死んだ時、果たしてどうなるのか、と言う問題です。比較文化では世界中の思想文化を研究しますが、魂についての定義を学問として学んでいくと、自分の好きな定義にぶつかります。世界の一流大学が論証する定義を選んだ方が良いと思います。私が選んだ結論は<魂は愛そのもの、老いることもなく、病むこともない、永遠不変で、生物体の死と共に、身体から離脱していく知的生命体>という定義のものに命を賭けて生きてきました。自分の魂は見えないものなので、この定義を信じて初めて理解出来るものでした。信じて見えてくるもの、その典型が自分の魂です。:<見神欲:144-3>:

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愛と見神欲の関係

2007年06月13日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
人類が持つ<神仏を見たい、感じたい、会いたい>と言うそんな欲を<見神欲>と定義しています。それは本能なので、どんなに否定しても消し去る事は不可能です。むしろ抑圧する事で、心の病を生む事例も非常に多いのです。ローマのヴァチカンは国連にも加盟している唯一の宗教団体ですが、そのローマン・カトリツクでは<神は愛そのもの>と定義されています。ですから見神欲が何故人間に与えられているか、と言う意味として、愛そのものである神様を知り、日々、幸せな愛に生きる事が出来るように、人々を愛に導く為のものが見神欲である、と教えています。人類誕生から今日まで、色々の神話、伝説、宗教、哲学、考え方が存在していますが、このローマン・カトリツクの考え方を一度、本格的に勉強しておくと、欧米の人々と交際する上でも、音楽、美術、文学を楽しむ上でも役立ちます。:<見神欲:144-2>:

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愛の世界での無防備

2007年06月12日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
長い人生の間で、男女は愛し合います。古来の神話、小説でも男女の愛は色々の姿で描かれています。愛の孤独から意に反する愛の生活を送る人もいます。案外知られていない人間の本能の一つに<見神欲:ケンシンヨク:desiderium>があります。人間の本能には性欲、食欲、それにもう一つこの見神欲があるのですが、19世紀から20世紀初頭に欧米の一流大学の世界から消えていった概念です。しかしオックスフォード大学、ケンブリッジ大学、ソルボンヌ大学にはいまだ健在ですし、また見直され始めています。これから5回にわけてこの見神欲について思索していきます。この知識を意識し知覚する事で、愛の世界が深まり、正しい愛での無防備になる事がいかに重要かを考えます;この思索が人間の愛をさらに深めます。:<見神欲:144-1>:

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あなたは、無防備派、自然体派?

2007年06月11日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
心理療法上<無防備か>、<自然体か>を識別する作業は重要なのですが、ピントこない人も多いと思います。<無防備>と言う言葉は裏をかえせば<人を疑う傾向のある人>に重要な言葉、<気取る、嘘をつく、見栄をはる傾向のある人>には、自然体は重要な概念となります。無防備は危険な事だ、と教育されていますし、プライド、信念を持つ事は大事な事、とも教育されがちです。<明るく、のびのびと、何物にも囚われずに、生き抜きたい、と思う人>にとって、初めて、この無防備と自然体を意識し知覚してもらう必要が生まれてきます。日々のどの場面に、無防備が必要か、どの場面で自然体を意識すべきか、この事を考えるだけで、人は上手な傾聴がいかに無駄をさせないか、に気づいていきます。:<無防備と心の傷:143-5>:

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人は考えた通りの人間になる!

2007年06月10日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
数千年前の古代ヒンズー教の言葉として有名な<人は考えた通りの人間になる>は色々の領域で使われています。今回は<無防備と心の傷>がテーマですが、あまりにも無防備だと心が傷つく、或条件では、無防備でないと心が成長しない、と難しい問題です。愛している人に無防備では、愛は深まらず、かえって愛を失います。互いに子供であっても愛は成長せず、で、では、どうしたらいいのでしょうか?答えはただ一つ、考え方として<あるがままの森羅万象をそのまま、いったん受け入れ(現実を認め)、その上で、自分の信じる道を、堂々と生き抜く事しかありません。傷つこうが、傷つくまいが、恐れる事なく、堂々と居直り、明るく素直に生き抜いていきましょう。>:<無防備と心の傷:143-4>:

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進軍ラッパ、さあ進め!

2007年06月09日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
何か事をなそうとすると、そこに心優しい同志が必ず現れてくれます。旗振りにとって、こんな嬉しい事はありません。旗振りは自分の生き甲斐にもなりますが、この事は世のため、人の為、と信じて行動するので、色々と同志に無理を要求する結果となります。旗振り人物への深い信頼と愛情から、自分の生活を犠牲にして行動を共にしてくれます。そんな過程で人を傷つけていた自分にふと気づくと、その事を遂行する迫力を欠いてくる自分に気づきます。人を傷つけないように、時々、立ち止まり、相手の深層の世界での辛い叫びを傾聴する必要がありますが、それでも信じた道を歩きたいものです。:<無防備と心の傷:143-3>:

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小心者の悲劇

2007年06月08日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
小心者とは<いつもおろおろしている人>とここでは定義して話を進めます。私の事でもありますので、心配しないでお読み下さい。さて政治家、医者、どの世界にも存在しています。<何故おろおろするか>を分析すると、<人への優しさ>が原因の場合も多いのですが、ここでは人の話を傾聴する事に興味が無い場合から生じる<小心者>を考えます。人の話、特に友人、恋人、神仏を愛する、愛される分野の傾聴(会話ばかりでなく心の奥深い領域での愛を聴く事)に興味を持つと、すぐこの<小心者>の汚名を返上出来ます。おろおろする人の大半は人の話に興味の無い人です。どっしりと構えて一度人の話を真剣に傾聴すると<小心者>から<大人の風格>へと変身していきます。:<無防備と心の傷:143-2>:

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無防備による心の傷とは何?

2007年06月07日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
大人に成長する過程で、人生は思い通りにならない事を学習していきます。そんな人生で、或日、無防備だった為に、心と身体に傷を負わされる悲劇が時々生じます。さて無防備による傷は本人の責任なのですが、この傷は必ず癒やす事が出来ます。傷だと思っている事件を心静かに対処するには愛情にみちみちた人で心理療法の基本を心得た人なら必ず出来ます。基本中の基本は本人が傷だと信じた事件の体験の解釈を上手に説明出来る人、その傷のお陰で今日の幸せが手に入っている真実をきちんと説明出来る人、しかし中々出会えない場合は、自分自身でこの傷の体験の解釈をもう一度挑戦してみましょう。人生のどんな傷でも体験の解釈を魂の愛を信じて明るい方向、生き抜く方向へ解釈していきましょう。:<無防備と心の傷:143-1>:

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心は自由、何と軽やか!

2007年06月06日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
心の世界は自由な世界です。しかし本気でそう思っている人は少ないようです。難しい病気、過去の忌まわしい思い出、将来の不安から神経症になる人が沢山います。さて本来の心は、このような事情があったとしても、非常に自由な世界です。人間の心だけは、その気になれば、いつも自由でのびのびした世界です。囚われさえなければ、心は犯される事はありません。心は一日、5分でけでいいので、本来は何物にも侵入される事のない世界である事を、時々立ち止まり意識し知覚して生きていきましょう。希望、欲望、忌まわしい事に囚われ出すと、その自由な心の世界が不自由になりだします。希望に燃えていきいきと生きる事は大切ですが、時々森の散歩、旅、お風呂、トイレで、本来、心は自由なのだ、と改めて意識すると毎日素晴らしい知恵の泉がこんこんと湧き出します。:<無防備論:142-5>:

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過去を捨てよう!

2007年06月05日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
どんなに幸せな過去だろうが、不幸せな過去だろうが、今日と言う日、今ここでの自分の心が不安感、怒り、鬱、乱れた心、病気の悩みに支配されていたら、日々は何となく楽しくありません。過去と未来は私達には大切なものですが何故か人は今日と言う日を過去と未来に支配されていて、折角の今日と言う幸せに気付かない人がいます。心が自由でないからです。さてその心の自由は練習をすると簡単に自由な心を保持する事が出来ます。その方法はイメージの世界で過去をすてる事です。美しいこと、幸せだった事、全てを5分間だけ捨てる練習です。ポイントはたった5分間だけ自分の全ての過去を捨てるのです。凄く面白い練習です、捨てる前の恐れ、こだわり、往生際の悪さ、人物の器の小ささへの気付き、思わぬ発見の連続です。これはメメントモリの練習として古代の賢者の修業方法です。ここで味わう開放感が私達を自由にしていき自律神経のストレスを癒してくれます。<無防備論:142-4>:

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どこを無防備にしたら、楽になるか?

2007年06月04日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
人生での理想と日々の目的を持てば持つ程に忙しくなり、努力が必要となるのは当然ですが、ふと疲れを感じます。温泉にでも入り、のんびりする必要も出てきます。その人生での一番癒やしは<同志>です。同じ志の仲間が出現した時の感動は何とも言えない大きな喜び、生きる意欲が誕生する時でもあります。一人では何も出来ません。高い理想をもつNPOの仕事、難しい精神的な技を鍛える太極拳、いづれも暖かい心を持つ仲間が私を支えてくれています。<愛の孤独感>は人を極度の緊張感に追い込みますが、その孤独感を癒やすばかりでなく、逆に生きる意欲に燃え立たせてくれる同志の愛情が人を幸福に燃え立たせてくれます。少しづつ増えてきた同志は正に人生のオアシスです。:<無防備論:142-3>:

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信じた場合、信じなかった場合、どう違ってくるか?

2007年06月03日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
親、友人、恋人、神仏、いづれも深層心理学としては、類似した精神作用ですが、或人の愛を信じた場合、その平安感は、信じなかった場合と比較して、数倍は違います。一人の人の愛を信じると、幸福曲線(平安感、友好的な感情、健康観、幸福感、統御感の5つ)は数倍も増えてきます。愛を信じると心の奥での防衛が解放され、無防備となり、知恵の泉、色々の気づきが、こんこんと湧いてくる傾向があります。愛を信じないと、無意識の世界では緊張と警戒心がいつも作動しているので、大変疲れやすくなります。:<無防備論:142-2>:

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愛する人を信じる範囲

2007年06月02日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
人格形成上の重要な事ですが、赤ちゃんの頃、お腹がすけば、お乳を母さんが与えてくれ、おむつが汚れれば、新しいものに交換してくれる、この営みが人を信頼するか、しないかの原型を作ります。赤ちゃんが嬉しそうにお母さんを見て、バタバタ喜びを見せる現象が人を信頼しているあかちゃん。冷戦時代のロシアは国家の命令を素直に聞く習慣を赤ちゃん時代から養成する方針となり、殆どの国立産科病棟の赤ちゃんは全身をコケシのように包帯でぐるぐる巻いて寝かせていました。ですから表情はあまりなく、不気味な光景でした。さて人を信じる喜びについて、これから5回にわたり思索していきます。<無防備論:142-1>:

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良心の呵責と、その浄め

2007年06月01日 | 第4章:人の心を上手に傾聴する方法
長い人生で蓄積した色々の罪悪感から老人ホームでの質問<俺が死んだら、俺は地獄や>。この問いかけに知らんぷりをするヘルパーさん達。私の大学病院での対応をヘルパーさんに強要は出来ませんが、良心の呵責からの神経症治療は困難ですが大半は治療出来ます。愛情で徹底して傾聴する以外、方法はありません。上手な傾聴を受けた患者さんはあとは自分の心の奥底で<心と身体が感じている良心の呵責>を<病むこともなく死ぬ事もなく愛そのものである自分の魂>に素直に許しを乞う、その考え方さえ確立させられれば、安心して死んでいかれます。一人静かに、自分の魂に許しを、祈りを捧げる方法が最高の手法でしょう。:<傾聴で癒やす:141-5>:

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