人生の旅で、人は沢山の悩みを抱えながら生きていきます。時として、この方なら、と期待しながら相談に行きますと、さんざんお説教されて、傷ついて、泣きながら帰った少年時代、ふと、道ばたのお地蔵様に手を合わせたら、その膝の上に蝮(まむし)が、尾っぽの鈴をカラカラ鳴らしながら、まさに私に飛びかかる体勢に気づき、恐怖で、後ろに、のぞけった想い出があります。あの中学時代の先生はお地蔵様のようで、蝮だ、と思いました。海外での心理療法修行時代は、膝に蝮を抱えたようなお地蔵様だけにはなるまい、と固い決意をしていたのを想い出します。本来のお地蔵様は、ただひたすらに、私と一緒になって苦しみ、暖かいまなざしを注ぎ、天国まで、共に歩んでくださる存在です。私の先生も、そうだ、と信じて相談に行ったら、お説教、しかも、生きる希望を失わせるようなお説教しかしませんでした。この先生は蝮だ、と、不良少年だった私は更に暴力少年になりました。お説教は以来、大嫌いになりました。心理療法はお説教は決してしません。ではお説教でなく、どんな方法で心理療法を展開するのでしょう。明日から、このお説教と心理療法の違い、蝮を膝に抱いたお地蔵様にならない方法を考えていきましょう。:<62-1>:
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