生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

気づいたら心の気鬱病になっていた!

2006年01月08日 | 第2章:心理療法の基本
<あーあ、私は何の為に生きているのかなあ>と嘆く私の親友は、今までは元気に世界を飛び歩いた商社マンでした。病院に行くと、色々の病名(不安神経症、躁鬱病、生き甲斐喪失症候群などなど)をつけられて、更に落ち込んで行きます。飲む必要のない薬まで飲まされていました。私がよくよく聞いていくと、それは病気ではなく、単なる<人生哲学上の気鬱>にすぎません。友人は定年退職後、やることがないので女房の買い物について回るので<何とか落ち葉>と言われ、嫌われています。微熱が出始め、焦ります。この心境は定年退職者だけの心理ではなく人間共通の(命の目覚め)の素晴らしい兆候でもあります。<ミネルバの神(知識の神様)は黄昏(暗く不明な心境)と共に旅立つ>と言う格言はギリシャの哲人の言葉ですが<ああ、生き甲斐が欲しい>と叫ぶ現象は一種の自分の心の病に気づいた素晴らしい現象なのです。<病識>が誕生すると<全快への道>を歩み出すのと同じ状況。この意識、気づきは極めて重要な幸福への条件。自分の心の気鬱病に気づかずに暗く生きる人々があまりにも多すぎます。<気づいたら心の気鬱病になっていた>と言う状況は素晴らし幸福へのステップです。

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