風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ハンブルク・バレエ団 『椿姫』 @東京文化会館(2月4日)

2018-02-09 01:01:25 | バレエ




ハンブルクバレエ団『椿姫』の最終日(コジョカルトルーシュ)に行ってきました。

2014年のパリオペ来日公演のオレリー・デュポン&エルヴェ・モローの椿姫は私にとって5本の指に入るバレエ体験の一つで、東京文化会館の舞台が一瞬で別世界になった奇跡は今もはっきりと覚えています。
その二人と比べるとコジョカル&トルーシュはゴージャス度という点では下がるため「一瞬で別世界」なあの感覚は味わえなかったのだけれど、今回の舞台ではそれが良かった。なぜなら今回の舞台、アッツォーニリアブコのマノン&デ・グリューのこの世ならざる存在感が素晴らしかったから。リアブコ達が神がかった表現力で表わした現実の存在ではない恋人達と、コジョカル&トルーシュのこちら側の世界の恋人達。それぞれの役を四人が見事に踊りきってくれたことでその対比が際立って、パリオペとは全く違うタイプの椿姫を堪能させてもらうことができたのでした。

もっとも、一幕は主役二人の地味さ(あくまでもオレリー達と比べると、ですよ~)に私がまだ慣れず、リアブコ&アッツォーニだけが別格に感じられてしまったのは事実です。紫のPDDも、小柄な体型と可憐な雰囲気のコジョカルはシャンゼリゼを歩くだけで男達の視線を集めるような高級娼婦には見えませんでしたし(華奢な感じは薄幸さが出ていてよかったですが)、二人の感情もぐわっとは迫って来ないなぁと思ったりしていたのだけれど。
二幕、三幕と物語が進んでいくに連れて、愛がはっきりと見えた・・・。

(マルグリットは)毎日つねに死を覚悟して過ごしているのです。・・・マルグリットの病気は本物で、絶望的で不治の、ひどく曲解される病です。そのため、アルマンが彼女をありのままに受け入れ、すべてをひっくるめてまるごと愛しているという考えにおよんだ最初のパ・ド・ドゥで、彼女は言葉を失うのです。そんなことそれまで誰一人として彼女に言ったことがなかったのです。パ・ド・ドゥが終わっても、彼女はまだアルマンを信じられませんでした。しかしストーリーが進むにつれて、彼を信頼するようになります。
(ジョン・ノイマイヤー。公演プログラムより)

白のPDDは、前回来日時に『ジョン・ノイマイヤーの世界』でやはりコジョカル&トルーシュで観たときに「コジョカルの白は切なさの色が濃いなぁ」と感じたのだけれど、今回観てもやっぱりそうでした。特に今回はスローテンポの寂しげな情感を湛えたピアノ演奏もその大きな理由だったと思う。二人だけの幸福の絶頂の時間というよりも、この先に待ち受けている悲劇のフラグが裏に立ちまくりのPDD。ノイマイヤーの指示なのか、コジョカル達の解釈なのかはわからないけれど、とても新鮮でした(というほど多くの椿姫経験はないけれど)。ここのコジョカルは緩くウェーブのかかった髪が可愛かったな。

そして三幕の黒のPDDの激しさ。強引なトルーシュがめちゃくちゃカッコよかった。ここのピアノ演奏は非常にドラマティックで、その音に刺激されて主役二人がどんどん高まっていったように見えました。そこにはっきりと見える愛に泣きそうになった。
黒のPDDの空気って露骨なほどの振り付けなのにいやらしさが全くなくて、この上なく純粋なんですよね。官能的なのに純粋。それが本当に素晴らしいと思う。パリオペの二人も、今回の二人もそうで。ノイマイヤーってすごい、と改めて感じました。

ここから夢にマノン達が現れて、舞踏会で札束渡して、それから次第に静かになってゆくフィナーレへのなだれ込みは、舞台上の四人から放たれる空気、感情に、息をとめて見入ってしまいました。
この日がロールデビュー2日目のトルーシュのアルマンの、若さゆえの勢いと情熱、そして未熟さ。
ボトルごとお酒ぐびぐびしている自暴自棄な姿(←なんか色っぽくてドキッとした)をバカバカ~(>_<)!と思いながらその先に続く展開を見守るしかできない客席のワタクシ…。
札束を渡されてショックで気を失ったマルグリットが運ばれていった後にトルーシュが見せた表情。バカバカバカ~~~!今そんな表情するくらいなら札束なんか渡すんじゃないわよ(>_<)!!!
と思うけど。
仕方がないんだよね…。だって彼はまだ若いのだもの…。自分をコントロールできなくて、愛する人を傷つけて、自分も傷ついて……。そんな若さがとてもよかったよ。

ヴァリエテ座の『マノン』から逃げるように部屋へと帰った後、マルグリットがマノン、デ・グリューと三人で踊る場面。個人的に黒のPDD、その後の場面と並ぶ今日の白眉でした。見ていて辛くて辛くて…。でも三人が作り出す世界の息をのむ素晴らしさは神々しくさえあって。
人生の最期にデ・グリューの愛に包まれ魂が救われたような表情を見せるマノン。デ・グリューはマノンだけを抱いて去っていく。マルグリットが伸ばした手をとってくれる人はいない。あんなに拒否していたマノンになりたいと願ってしまうマルグリット。こちらの世界の人間じゃないのにリアブコが優しげだから、そんな彼がマノンだけを抱いて去って、マルグリットが一人残されるところ、マルグリットが本当に可哀相で…。コジョカルのマルグリットって可憐なんだけど芯の強さも感じさせるから、そんな彼女の心が揺れるこの場面は見ていて胸が締め付けられました。
そしてここのリアブコとアッツォーニはほんっとーーーーーーーーーに神がかってた。。。この世のものじゃない感がしっかりあるのに人間としてのマノン&デ・グリューの深い深い感情が伝わってくるって、この人達の表現力ってどれだけ凄いの…!!!配役を知ったときにマノンとデ・グリューか~主役で見たかったな~とか思ってごめんなさい。ものすごいマノンとデ・グリューを拝ませていただきました。
物語後半でアッツォーニのマノンがマルグリットに見せるようになる表情も切なかったなぁ…。彼女の心を理解しているような表情。このマノンとデ・グリューはマルグリットとアルマンの心の鏡でもあるのかな。主役二人より年が上のダンサー二人が踊ったマノン達は、ノイマイヤーの真夏の夜の夢の妖精王達を少し思い出させました。異世界の、でも心のどこかでリンクしている存在。

コジョカルが時折みせる少女のような駆け方、原作のマルグリットの年齢(確か二十歳そこそこなんですよね)を思わせて切なかった。
そういえば紫のPDDのトルーシュは、自分の心の内をすべて曝け出してマルグリットへの愛を表現する爽快なほどの真っ直ぐなアプローチが、ガラで観たリアブコのアルマンを思い出させました。

ピアノとオケ。ブラボーでした。今回オケがシティフィルじゃなかったことがどれほど嬉しかったか…(ごめんなさい。でも本心です…)。オケが安定しているだけですごく安心して舞台に集中できました。これからもずっと東フィルにしてほしい…。そしてエルヴェがこの作品は音楽に身を任せていれば感情がおのずから引き出されると言っていた意味が、今回よくわかりました。音楽がその時々の人物の感情をあんなにもはっきりと表している。その点だけでもノイマイヤーの振付ってすごいと思う。
ピットでメインで弾いていたピアニストのミハル・ビアルクさん、華麗にドラマティックに情感豊かに盛り上げてくださってありがとうございました。

カーテンコールでは、今回もノイマイヤーさんがご登場。
リアブコが(珍しく?)満面の笑顔でしたね~。
まだこっちの世界に戻っていないような表情のコジョカルにトルーシュがキス
本当に、とてもいい舞台でした。ノイマイヤーさんもきっと満足してくださったのではないかな。

来週は『ニジンスキー』に行ってきます


◆主な配役◆
マルグリット・ゴーティエ:アリーナ・コジョカル(ゲスト・アーティスト)
アルマン・デュヴァル:アレクサンドル・トルーシュ
ムッシュー・デュヴァル(アルマンの父):カーステン・ユング
マノン・レスコー:シルヴィア・アッツォーニ
デ・グリュー:アレクサンドル・リアブコ
プリュダンス:菅井円加
ガストン・リュー:ヤコポ・ベルーシ
オランプ:フロレンシア・チネラート
公爵:ダリオ・フランコーニ
伯爵N:コンスタンティン・ツェリコフ
ナニーヌ(マルグリットの侍女):パトリシア・フリッツァ

演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:マルクス・レーティネン
ピアノ:ミハル・ビアルク、オンドレイ・ルドチェンコ 

◆上演時間◆
第1幕  14:00 - 14:50
【休憩 20分】
第2幕  15:10 - 15:50
【休憩 20分】
第3幕  16:10 - 16:55







 椿姫の前にお隣の動物園でこんなの↓も見てきました笑 

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