風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

私たちは春の中で

2021-05-11 21:34:30 | 旅・散歩




4月の歌舞伎座の感想とか色々書きたいことはあるけれど、仕事が忙しく余裕がなくて、なんとなく日々が過ぎてしまっています。

先日TVをつけたら、サバンナのチーターの番組をやっていたんです。群れの元リーダーだったオスが色々あって群れの下位に落ちるんですよ。で、昔は弱かったチーターから情けをかけられて優しくされたりもするのだけど、彼には昔のプライドが残っているのか、せっかく優しくしてくれる仲間のチーターに嚙みついたりしちゃうんです。そして現リーダーから怒られてしまう。その場面しか観ていないので、その後どうなったかは不明なのですけど。

動物にもプライドというものがあるのだなあ、と。それは人間の持つプライドと同じものなのだろうか。
人間という生き物が持つ感情の中で最も厄介なものの一つは、「誇り」というものではなかろうか、と思うことがあります。
自分自身のことだけではなく、様々な人達を見ていてそう思う。
どんなにのろまであったり、あるいは世間的に底辺と呼ばれる生活をしている人であっても、いつも顔を上げていたい、人から笑われたり恥ずかしい思いはしたくない、何かに怯えることなく生きていたい、という感情は必ずあるはずで。それは自分で捨てようと思って捨てられるものではないと思うし、捨てる必要もないものだけれど、でも、とても厄介な感情だ。捨てることができればどんなに楽か。
自殺をしてしまったり心が病んでしまう人は、自分で自分自身のことがどうしようもなく嫌いになって、自信を失くして、他の人と同じように生きられない自分が辛くて、消えてしまいたくなって、死を選んでしまう、あるいは心が病んでしまう、そういう人も多いのではないだろうか。

私たちは春の中で 遅れることに怯えていた

中島みゆきさんの「私たちは春の中で」。

もしも1人だったならば 
もしも孤独だったならば
もしも虚ろだったならば
もしも自由だったならば

(こんな風に苦しまずに済んだのに)、そんな言葉が後に続いて聞こえる気がします。
そうではないから、そうなれないから、なりたくはないから、人は苦しむ。
でももしそうであることができたとして、私達は幸福なのだろうか。
京極夏彦さんの『魍魎の匣』や『嗤う伊右衛門』のあのラストシーン。「人」であることをやめて、「幸福」になった人達。ずっと終わることも巡ることもない永遠の春の中で生きる人達。
だからどうというわけではないし、答えなんて出ないのだけれど。

私たちは春の中で 失くさないものまで失くしかけている



「私たちは春の中で」が主題歌の『大いなる完』は田中角栄元首相をモデルにした映画だそうですが(私は未見)、この写真は大磯にある吉田茂元首相の邸宅です。GWに地元の魅力再発見ということで行ってきました。同じ県内でも江の島や鎌倉は大混雑だったようですが、大磯はガラガラでした

近代の大磯は軍医・松本順によって海水浴場が開かれ、政財界や華族、文士など様々な人々が集う別荘地として発展してきました。

吉田と大磯とのつながりも明治までさかのぼります。茂の養父であった健三が、明治17年(1884)大磯町の西小磯に土地を購入し、別荘を構えたのがはじまりです。健三亡きあと、吉田家唯一の継子であった茂は健三の財産を受け継ぎました。

吉田は養父が築いた莫大な財産を外交官時代に使い果たしたといわれていますが、それでもこの大磯の邸宅は手放すことがありませんでした。

総理大臣時代、激務だった吉田の気分転換は、週末を大磯で過ごすことだったといいます。吉田自身が言うように、大磯の開かれた海、明るさ、暖かさは、戦後日本のかじ取りという大きな使命を担った吉田を癒しました。

昭和20年(1945)頃より、吉田茂は大磯を本宅として暮らすようになりました。

昭和29年(1954)内閣総理大臣を辞任し大磯に隠棲したのちも、吉田のもとには政財界の要人を筆頭に様々な人々が訪れました。吉田邸を訪れる人が絶えないために「大磯詣(もうで)」という言葉ができたほどです。

また、吉田は自身の邸宅を海外の賓客を迎えるための迎賓館として改築し、世界各国からの賓客を多く受け入れました。
(公式サイトより)



母屋は2009年に火事で焼け2017年に再建されたものですが、サンルーム(写真右奥)は焼失を免れたためオリジナルだそうです。


「金の間」(賓客のための応接室)からの眺め。
右を向けば雪を頂く富士が見え(写真右奥の雪山が富士山。少し雲がかかっていますが。)、


左を向けばキラキラと光る相模湾。
吉田茂はこの部屋から見える富士山を大層気に入っていて、毎日のように眺めていたそうです。
そりゃあこんな眺望の部屋が自分の家にあったら最高だよねえ。
でも一緒に行った友人はこういう家は好みじゃないそうで、住むなら同じ大磯にある質素な島崎藤村邸の方がいいそうです(笑)。とはいえ藤村も当時のサラリーマンの約30年分の給料の値段であの家を買ったそうですが。
上の写真に写っている礎石部分は、再建されていない部分(全体の3分の2が再建されているそうです)。
ダイヤルのない首相官邸直通の黒電話が置かれたプライベートの書斎(掘り炬燵の和室)や、大磯の船大工が作ったという舟形の風呂、広い庭園には吉田茂が飼っていたワンコ達のお墓などもあり、何気に見所は多いです。
吉田茂は1945年頃から20年以上この家を本宅として暮らし、1967年にここで亡くなりました。その寝室も見学できます。

死去前日の10月19日に「富士山が見たい」と病床で呟き、三女の和子に椅子に座らせてもらい、一日中飽かず快晴の富士山を眺めていたが、これが記録に残る吉田の最期の言葉である。
(wikipedia「吉田茂」)


邸内では、ただいまこんな↑パネル展が開催中。このデレデレな表情 
吉田茂は大のワンコ好きだったそうで、周囲からはワンマン宰相ならぬワンワン宰相と呼ばれていたとか。
展示では、自作の「ワンちゃんのアルバム」(←本当にそういう名前。可愛いつき)などを見ることができます。
サンフランシスコ講和会議の際にはケアーン・テリアという珍しい犬種のつがいを連れ帰り、つけた名前は「サン」(♂)と「フラン」(♀)。二匹の間に生まれた仔は「シスコ」。他に「ブランデー」、「ウィスキー」、「シェリー」なんていう名前の仔も

吉田茂邸の近くには伊藤博文、大隈重信、西園寺公望、陸奥宗光、山縣有朋などの邸宅やその跡地が一ヶ所に集中して残っていて、「明治記念大磯邸園」として整備が進められています。
大磯は空気が開放的で時間がゆっくりと流れるとてもいい町なので、ご興味のある方はコロナが落ち着いた頃にぜひ



今回訪れた場所の中で唯一密だった(といってもこの程度ですが)のが、こちらのパン屋さん。大磯駅からすぐ近くにある、アメリカ人女性がオーナーの人気のパン屋さんです。
自分用に買って帰りましたが、良い意味で個性的な味で、とっても美味しかったです

吉田茂と旧吉田茂邸について
邸内各部屋のご案内

旧吉田茂邸 邸内紹介編



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