「南北はその土地の匂いを出しています。・・・南北の役は、なぜかわからないけれど、すっと入ってくる」
(仁左衛門が語る、歌舞伎座『絵本合法衢』)
※3階1列目中央
た~のしかった~~~
終演後に漏れ聞こえるおばさま達の会話に、いちいち思いっきり頷いちゃいました。
ニザさんお元気&熱演!!
噂には聞いていたけれど、ここまで出ずっぱりとは。
仁左衛門さんってほんっとうに上手い役者さんだよねぇ。。。。。もう最初から最後までずーーーっとその至芸に見惚れっぱなしでした。
言い換えればこの演目って話の中身は殆どなく大学之助/太平次の役者に全てがかかってるように思われるから、仁左衛門さんと同じくらい客の目を引き付けられる芸と華と色気と凄みと愛嬌と存在感をもつ役者がいないと今後の上演は難しいのではなかろうか・・・。
彌十郎さん(高橋瀬左衛門/高橋弥十郎)と時蔵さん(うんざりお松/弥十郎妻皐月)の二役早替りは、歌舞伎の早替りものの楽しさがようやくわかった気がいたしまする。
でもお松の最期はちょっぴり気の毒ね。
立場のばっちさ!!
歌舞伎のぼろ屋敷のばっちいセットはどうしてこんなに観てて楽しいのかしら。
錦之助さん(与兵衛)はこういうお役が本当にお似合い。
大詰は笑っていいところ、よね。真っ赤なでっかい閻魔さまの後ろからの堂々のご登場も、や否やあっさりやられちゃうのも。わざわざご自分から姿を現してさっくり倒されるラスボス大学之助様。マヌケすぎる・・・。
仁左衛門さんの切り口上、見応え&聞き応えがあって大好き!!!
Kさ~ん、ニザさんすごい熱演だったよ~。すごくお元気で渾身の一世一代だったよ~。
苦手な受かれ町人物のはずの神田祭を「すごくいい!」って言っていた彼女だもの。以前観て苦手と言っていたこの演目も、絶対に今回も観に行ったにちがいないと思うし、このニザさんを観たらきっと感動したと思う。そしてストーリーはやっぱりツッコミどころ満載って言ったと思う笑。でもそれは全部私の想像でしかないから。やっぱりいつもみたいに感想を話したかったよ。
ニザさんの一世一代、一等席で楽しんでいますか?
今回も花横の上手前方を思わず見てしまったよ。
――『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』には、町人の太平次と武士の左枝大学之助という二人の悪人が登場し、どちらも仁左衛門さんが演じられます。2役の違いをお教えください。
太平次はフットワークが軽く、悪知恵が働き、目的のためには平気で人を殺します。それでいて、どこか愛嬌があります。太平次は、おりよ、お松、お道、お米、孫七を手にかけます。「倉狩峠一つ家」で、首筋の蚊を叩きつぶしますが、彼にとっては、蚊を殺すのも、人を殺すのも一緒。
鶴屋南北の描いた町人の悪人でも『於染久松浮名読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』の鬼門の喜兵衛は、どんとしていて物事に動じないし、『霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)』の八郎兵衛は、太平次ほど機転はききませんが、女に惚れ、そのために努力もします。おそらく太平次は本当に女性に惚れたことがないでしょう。お道と夫婦になったのも便宜上で、太平次に惚れ込んだお松も利用したあげくに殺してしまいます。
大学之助も冷酷無比ですが、大名の子で権力を持っています。南北作品に登場する悪人でも『霊験亀山鉾』の藤田水右衛門は浪人者。大学之助のほうがスケールが大きいです。
――平成4(1992)年、新橋演舞場で『絵本合法衢』を初演された際に、重視されたのはどんなことでしょうか。
サブタイトルに「立場の太平次」と付くように、太平次にウエイトを置いて、前後をどうするかということですね。
――大学之助と太平次。どちらがお好きですか。
それは太平次ですね。武張った役よりも、等身大の役のほうが演じていて楽しいですね。
――南北作品の魅力はどこにありますか。
泥絵具で描いたような楽しさでしょうか。どろどろしているところです。
――今回は「一世一代」と銘打たれています。
私が一世一代と言ったわけではないんですよ。大阪松竹座でやらせていただいたときに(平成27年7月)、このお芝居は2役で、出ずっぱりなものですから体力的につらく、これが最後かなと思いました。今回、どうしてもとお話をいただき、お受けしましたが、本当に、これで最後にしようと「もうこれっきりやらないからね」と申しましたら、松竹さんが「一世一代」と付けたということで…。
俳優というのは、年を重ねれば重ねるほどよくなってくる部分と、体力的に衰えていく部分があります。その兼ね合いが難しいんです。時間を割いて劇場に来てくださるお客様の期待を裏切らないように、2役を25日間連続して勤めるのは、これが限界かなと思いました。
――最後にされる寂しさはありませんか。
それはあります。まだまだ伸びしろが残っているお役ですからね。
――新橋演舞場、国立劇場、大阪松竹座で演じてこられ、歌舞伎座で締めくくることになりますね。
歌舞伎座で最後というのは、歌舞伎俳優としてはうれしいです。もちろん、ほかの劇場も好きですよ。ですが、やはり歌舞伎座は歌舞伎の殿堂という思いがあります。
――今後、演じたいお役はありますか。
どんなお役でもこれで完成というのはありませんし、体力があればまだまだ追求していきたい。ほかの役もこれからです。『吉田屋(廓文章)』にしても、父(十三世仁左衛門)の域には達していないですし、言い古された言葉ですが、死ぬまでが修業です。いろいろな役をやりたいですね。
(ようこそ歌舞伎へ)
「吉田屋(廓文章)にしても」