散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

芦花公園

2011-11-20 | Weblog
いやぁよく降りますねー、きょうは雨が……。この雨の中を歩いて芦花公園まで萩原朔太郎展を
見物にいきました。歩いてといっても、電車に乗りますけどね。


世田谷文学館で12/4までやっております (月曜休館)

生誕125年なのだそうです。年表を眺めていたら、詩集『月に吠える』が世に出たの、31歳のとき。
ちょっと遅咲きかな……? 


『青猫』が37歳、『氷島』が48歳、『猫町』はアラフィフ

自筆原稿や書簡がいっぱい展示されている。29歳のころ「浄罪詩篇ノオト」に詩を書きつけていて、
そのノオトこそ『月に吠える』の原型なんだけど、奇妙に震える文字のつらなりを先入観なく見たら
たぶん「気持ち悪っ」と思うんじゃないかな。髪の毛が絡まるような文字。


雨だからか空いていて、ゆっくり見られる

ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、

という例の詩がノオトでは、ますぐなるもの地面に立ち生え、するどき青きもの地面に立ち生え、
……「立ち生え」って書いたあと「立ち」を消してあったり……

なみだたれ、
なみだをたれ、

の部分も、ノオトでは

なみだをたれ、
なみだをたれ、

と書いたあとで前の行の「を」を消してあったりして、じつに興味深い。やっぱり推敲後のほうが
音律が調っている気がするし。

読点(、)の打ち方に関心を持ったの、萩原朔太郎の詩を見てだったような、そうでなかったような、
もう無意識の底に沈んで思い出せないけど、ことばに出会ったころの感じが少し蘇った。


自筆原稿の文字にも、年齢と共に変化が

かすかにけぶる繊毛みたいに不揃いだった文字が、『氷島』のころになると堂々たるペン使いで、
原稿用紙のマスいっぱい安定感ある太字が並ぶ。(詩の印象もずいぶん変わった)

自作朗読コーナーで「沼沢地方」や「乃木坂倶楽部」を本人が読み上げる音声が繰り返し再生
されていた。玉音放送かと思ったくらい棒読みで感情の抑揚がなく、これが萩原朔太郎の声かと
びっくりした。リズムもなく強弱もない。晩年の録音かもしれない。


音楽や写真の展示が目を引いた

詩を作る前に、音楽活動をしたり、立体写真(ステレオスコープ)に凝ったりしていたみたい。
短歌も作っていたし、本のデザインにも興味があったみたいだし、いろいろな表現活動をへて、
アラサーで詩作にたどりつき、アラフィフで散文に重心が移ったかな。

さびしい字面の詩作と、堂々たる字面の散文。……その違いは自筆原稿だからわかることで、
いまみたいにテキストデータだと全然わからないだろうなー。展示する手記がない代わりに、
デジタルで画像や音声や映像がいっぱい残るのかなー。

晩年に録画された棒読みの3D映像が永遠に残ったりしたら悲劇ですね。喜劇か。


併設の喫茶どんぐりで猫カステラをひとのみ
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