朝、ラーメン二郎の三田本店を通りかかったらジロリアンが並んでいた。まだ9時にもならないというのに
旺盛な食欲の人たち。でもぼくはラーメンを食べにきたわけじゃないので素通り。
寺へ・・・ (というか墓へ・・・)
二郎のあたり、やたら寺が多い。二郎には入ったことがあるけど、寺は素通りしてばかり。そこでたまには
寺寺を巡ろうと発心したでござる。二郎の向かいといっても、あながち間違いでない場所にある大松寺へ。
お掃除してる人に会釈して墓地に入る。
曽根吉正墓……これかな
サド奉行として寛文11年(1671)から延宝8年(1680)まで在任中、洪水によって停止していた佐渡金山
の復興や、生産増加など幕政に尽くしたとか、尽くさなかったとか。このあたり、寺も多いけど江戸の立派な
人の墓も多い。
マンションと一体
となりの長延寺はマンションの1階というのか、半地下というのか、ビルと一体になっている。都会だけに
不動産経営もなさっているのか、いないのか。それはわからない。次の寺へ……。
象の像かわいい
石像につられて足を踏み入れた慈眼寺。お庭にいろいろ石像があって楽しい。奥のほうにはミニ五重塔まで
ある。もっとも、じつのところミニというつもりでないかもしれない。
立派な五重塔
天上天下唯我独尊
これも象の石像
慈眼寺の手前、願海寺との間の坂を上り、つきあたりを右へずーっと歩いていくと左手に常林寺があるはず。
……あった。
丘の上の常林寺
そしてまた墓地に入り、「円理」の研究や「三斜三円術」など、直線と円の接触関係図形の研究をしたとか、
しなかったとかいう安島直円の墓を探す。直円って名前、研究内容そのもの。
「どちらへお参りですか?」
「あの、その、安島直円さん……」
お寺の方に声かけられて、しどろもどろに来意を説明したらお墓の場所を教えてくれた。教えてもらわないと
わからなかったかも。
安島直円墓
墓石の横に、花のようにも見えるし、直線と円の図形にも見える、浮彫がしてあった。常林寺から下りてきて
左にずーっと歩いていくと、つきあたりが玉鳳寺。そこには……!
御化粧延命地蔵尊
「更なる美人へ導いてください」「肌をきれいに!」といった美容系の願いや、「母の足がよくなりますように」
といった健康関連の願いなど、たくさん書き込まれたノートが横にあったので熟読。
私の心の傷も体の傷も
なおしてくださいお願い
します
ノートを読み終わったところで、玉鳳寺を出て左の細くて長い坂を下る。この坂もまた実に……いやなんでも
ない。(全力坂の見すぎ)
幽霊坂っていう名前だったのか
お寺ばっかりだから幽霊が出そうってことで、幽霊坂になったみたい。有礼坂の説もあるなんて木の立て札に
書いてあるけど、こじつけすぎるwww! 幽霊坂が都内に七つあるそうで、江戸の町は淋しかったっぽい。
こんどは上り坂
幽霊坂を下って左に歩いていくと、長松寺へ上る坂がある。曽根吉正も、安島直円も、正直よく知らないけど
長松寺に眠る荻生徂徠はそれなりに有名だから、なんとなく聞いたことあるかも。
……この古そうなやつかな?
なにやら墓碑を整理したようなこと書いてある
このあたりに十数基あったのを
三基にまとめたとか、そういうことらしい。荻生徂徠くらい有名な人になると、一族の墓がずらっと並んでいた
ということか。ふーん……と感心していると、また別の表示に何か?
さっきのはご令室のお墓みたい
荻生徂徠墓こっち
柳沢吉保に用いられ、将軍綱吉にもしばしば儒学を講義……臨終に際し枕頭の人に、「聖人が死ぬときは
5色の雲が出るから早く表へ出てみろ」といったとか、いわなかったとか。
三味線を初めて作った人?
長松寺から下りて左、魚籃坂を少し上ると大信寺。ここに三味線の始祖とされる石橋近江が眠るときいて、
やってきました。三絃、琵琶、三線、蛇皮線……いろいろあって三味線になった、その始祖?
立派な顕彰碑が!
なんか今日いちばん立派かも……これは墓石ではなく新しい顕彰碑だから、墓地に入って墓碑を探さねば。
( 探さなくてもいいんだけど )
本堂の裏かな?
愛猫塚しかない
これって皮を剥がれて三味線になった猫たちの塚? 石橋近江の墓を探し、見つからないのであきらめて
戻ると、さっきの顕彰碑のわきに墓石が移してあった。
これだったのか
そういえば……立派な顕彰碑の写真の右側に小さく写り込んでいる。そろそろお墓にも飽きてきたけれど、
最後にもうひとつ大久保彦左衛門の墓だけ見たい。
大信寺の向かいはピーコック
魚籃坂を下り、白金高輪駅のほうへ歩いて、陸橋を渡り、松秀寺に寄る。そこで一遍上人の銅像を眺める。
時宗の開祖。鎌倉時代の人だけど知り合いに似てる。
リアルだからか
松秀寺のすぐ先に、大久保彦左衛門の眠る立行寺……不遇をかこつ老人のイメージがある彦左衛門だけど、
お寺はずいぶん派手!
うるさ型のご意見番にしては
どちらかというと栄達してる感じ。荻生徂徠どころじゃなく、三味線の始祖より大々的に顕彰されてるかも。
昭和二年に建てられた石碑、でかい!
手前に一心太助
昭和の初めに講談で人気が爆発したのかな? 一心太助と大久保彦左衛門……講談あまり聞いたことない
から、よく知らないけど。そして大久保彦左衛門の墓、探すの大変かと思ったらとんでもない!
一目瞭然の立派さ
この奥に違いない
もしかして土葬?
一族と一緒に眠っている……
旺盛な食欲の人たち。でもぼくはラーメンを食べにきたわけじゃないので素通り。
寺へ・・・ (というか墓へ・・・)
二郎のあたり、やたら寺が多い。二郎には入ったことがあるけど、寺は素通りしてばかり。そこでたまには
寺寺を巡ろうと発心したでござる。二郎の向かいといっても、あながち間違いでない場所にある大松寺へ。
お掃除してる人に会釈して墓地に入る。
曽根吉正墓……これかな
サド奉行として寛文11年(1671)から延宝8年(1680)まで在任中、洪水によって停止していた佐渡金山
の復興や、生産増加など幕政に尽くしたとか、尽くさなかったとか。このあたり、寺も多いけど江戸の立派な
人の墓も多い。
マンションと一体
となりの長延寺はマンションの1階というのか、半地下というのか、ビルと一体になっている。都会だけに
不動産経営もなさっているのか、いないのか。それはわからない。次の寺へ……。
象の像かわいい
石像につられて足を踏み入れた慈眼寺。お庭にいろいろ石像があって楽しい。奥のほうにはミニ五重塔まで
ある。もっとも、じつのところミニというつもりでないかもしれない。
立派な五重塔
天上天下唯我独尊
これも象の石像
慈眼寺の手前、願海寺との間の坂を上り、つきあたりを右へずーっと歩いていくと左手に常林寺があるはず。
……あった。
丘の上の常林寺
そしてまた墓地に入り、「円理」の研究や「三斜三円術」など、直線と円の接触関係図形の研究をしたとか、
しなかったとかいう安島直円の墓を探す。直円って名前、研究内容そのもの。
「どちらへお参りですか?」
「あの、その、安島直円さん……」
お寺の方に声かけられて、しどろもどろに来意を説明したらお墓の場所を教えてくれた。教えてもらわないと
わからなかったかも。
安島直円墓
墓石の横に、花のようにも見えるし、直線と円の図形にも見える、浮彫がしてあった。常林寺から下りてきて
左にずーっと歩いていくと、つきあたりが玉鳳寺。そこには……!
御化粧延命地蔵尊
「更なる美人へ導いてください」「肌をきれいに!」といった美容系の願いや、「母の足がよくなりますように」
といった健康関連の願いなど、たくさん書き込まれたノートが横にあったので熟読。
私の心の傷も体の傷も
なおしてくださいお願い
します
ノートを読み終わったところで、玉鳳寺を出て左の細くて長い坂を下る。この坂もまた実に……いやなんでも
ない。(全力坂の見すぎ)
幽霊坂っていう名前だったのか
お寺ばっかりだから幽霊が出そうってことで、幽霊坂になったみたい。有礼坂の説もあるなんて木の立て札に
書いてあるけど、こじつけすぎるwww! 幽霊坂が都内に七つあるそうで、江戸の町は淋しかったっぽい。
こんどは上り坂
幽霊坂を下って左に歩いていくと、長松寺へ上る坂がある。曽根吉正も、安島直円も、正直よく知らないけど
長松寺に眠る荻生徂徠はそれなりに有名だから、なんとなく聞いたことあるかも。
……この古そうなやつかな?
なにやら墓碑を整理したようなこと書いてある
このあたりに十数基あったのを
三基にまとめたとか、そういうことらしい。荻生徂徠くらい有名な人になると、一族の墓がずらっと並んでいた
ということか。ふーん……と感心していると、また別の表示に何か?
さっきのはご令室のお墓みたい
荻生徂徠墓こっち
柳沢吉保に用いられ、将軍綱吉にもしばしば儒学を講義……臨終に際し枕頭の人に、「聖人が死ぬときは
5色の雲が出るから早く表へ出てみろ」といったとか、いわなかったとか。
三味線を初めて作った人?
長松寺から下りて左、魚籃坂を少し上ると大信寺。ここに三味線の始祖とされる石橋近江が眠るときいて、
やってきました。三絃、琵琶、三線、蛇皮線……いろいろあって三味線になった、その始祖?
立派な顕彰碑が!
なんか今日いちばん立派かも……これは墓石ではなく新しい顕彰碑だから、墓地に入って墓碑を探さねば。
( 探さなくてもいいんだけど )
本堂の裏かな?
愛猫塚しかない
これって皮を剥がれて三味線になった猫たちの塚? 石橋近江の墓を探し、見つからないのであきらめて
戻ると、さっきの顕彰碑のわきに墓石が移してあった。
これだったのか
そういえば……立派な顕彰碑の写真の右側に小さく写り込んでいる。そろそろお墓にも飽きてきたけれど、
最後にもうひとつ大久保彦左衛門の墓だけ見たい。
大信寺の向かいはピーコック
魚籃坂を下り、白金高輪駅のほうへ歩いて、陸橋を渡り、松秀寺に寄る。そこで一遍上人の銅像を眺める。
時宗の開祖。鎌倉時代の人だけど知り合いに似てる。
リアルだからか
松秀寺のすぐ先に、大久保彦左衛門の眠る立行寺……不遇をかこつ老人のイメージがある彦左衛門だけど、
お寺はずいぶん派手!
うるさ型のご意見番にしては
どちらかというと栄達してる感じ。荻生徂徠どころじゃなく、三味線の始祖より大々的に顕彰されてるかも。
昭和二年に建てられた石碑、でかい!
手前に一心太助
昭和の初めに講談で人気が爆発したのかな? 一心太助と大久保彦左衛門……講談あまり聞いたことない
から、よく知らないけど。そして大久保彦左衛門の墓、探すの大変かと思ったらとんでもない!
一目瞭然の立派さ
この奥に違いない
もしかして土葬?
一族と一緒に眠っている……