散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

二郎から寺寺へ

2015-02-21 | Weblog
朝、ラーメン二郎の三田本店を通りかかったらジロリアンが並んでいた。まだ9時にもならないというのに
旺盛な食欲の人たち。でもぼくはラーメンを食べにきたわけじゃないので素通り。


寺へ・・・  (というか墓へ・・・)

二郎のあたり、やたら寺が多い。二郎には入ったことがあるけど、寺は素通りしてばかり。そこでたまには
寺寺を巡ろうと発心したでござる。二郎の向かいといっても、あながち間違いでない場所にある大松寺へ。
お掃除してる人に会釈して墓地に入る。


曽根吉正墓……これかな

サド奉行として寛文11年(1671)から延宝8年(1680)まで在任中、洪水によって停止していた佐渡金山
の復興や、生産増加など幕政に尽くしたとか、尽くさなかったとか。このあたり、寺も多いけど江戸の立派な
人の墓も多い。


マンションと一体

となりの長延寺はマンションの1階というのか、半地下というのか、ビルと一体になっている。都会だけに
不動産経営もなさっているのか、いないのか。それはわからない。次の寺へ……。


象の像かわいい

石像につられて足を踏み入れた慈眼寺。お庭にいろいろ石像があって楽しい。奥のほうにはミニ五重塔まで
ある。もっとも、じつのところミニというつもりでないかもしれない。


立派な五重塔


天上天下唯我独尊


これも象の石像

慈眼寺の手前、願海寺との間の坂を上り、つきあたりを右へずーっと歩いていくと左手に常林寺があるはず。
……あった。


丘の上の常林寺

そしてまた墓地に入り、「円理」の研究や「三斜三円術」など、直線と円の接触関係図形の研究をしたとか、
しなかったとかいう安島直円の墓を探す。直円って名前、研究内容そのもの。

「どちらへお参りですか?」
「あの、その、安島直円さん……」


お寺の方に声かけられて、しどろもどろに来意を説明したらお墓の場所を教えてくれた。教えてもらわないと
わからなかったかも。


安島直円墓

墓石の横に、花のようにも見えるし、直線と円の図形にも見える、浮彫がしてあった。常林寺から下りてきて
左にずーっと歩いていくと、つきあたりが玉鳳寺。そこには……!


御化粧延命地蔵尊

「更なる美人へ導いてください」「肌をきれいに!」といった美容系の願いや、「母の足がよくなりますように」
といった健康関連の願いなど、たくさん書き込まれたノートが横にあったので熟読。


私の心の傷も体の傷も
なおしてくださいお願い
します


ノートを読み終わったところで、玉鳳寺を出て左の細くて長い坂を下る。この坂もまた実に……いやなんでも
ない。(全力坂の見すぎ)


幽霊坂っていう名前だったのか

お寺ばっかりだから幽霊が出そうってことで、幽霊坂になったみたい。有礼坂の説もあるなんて木の立て札に
書いてあるけど、こじつけすぎるwww! 幽霊坂が都内に七つあるそうで、江戸の町は淋しかったっぽい。


こんどは上り坂

幽霊坂を下って左に歩いていくと、長松寺へ上る坂がある。曽根吉正も、安島直円も、正直よく知らないけど
長松寺に眠る荻生徂徠はそれなりに有名だから、なんとなく聞いたことあるかも。


……この古そうなやつかな?


なにやら墓碑を整理したようなこと書いてある




このあたりに十数基あったのを

三基にまとめたとか、そういうことらしい。荻生徂徠くらい有名な人になると、一族の墓がずらっと並んでいた
ということか。ふーん……と感心していると、また別の表示に何か?


さっきのはご令室のお墓みたい


荻生徂徠墓こっち

柳沢吉保に用いられ、将軍綱吉にもしばしば儒学を講義……臨終に際し枕頭の人に、「聖人が死ぬときは
5色の雲が出るから早く表へ出てみろ」といったとか、いわなかったとか。


三味線を初めて作った人?

長松寺から下りて左、魚籃坂を少し上ると大信寺。ここに三味線の始祖とされる石橋近江が眠るときいて、
やってきました。三絃、琵琶、三線、蛇皮線……いろいろあって三味線になった、その始祖?


立派な顕彰碑が!

なんか今日いちばん立派かも……これは墓石ではなく新しい顕彰碑だから、墓地に入って墓碑を探さねば。
( 探さなくてもいいんだけど )


本堂の裏かな?


愛猫塚しかない

これって皮を剥がれて三味線になった猫たちの塚? 石橋近江の墓を探し、見つからないのであきらめて
戻ると、さっきの顕彰碑のわきに墓石が移してあった。


これだったのか

そういえば……立派な顕彰碑の写真の右側に小さく写り込んでいる。そろそろお墓にも飽きてきたけれど、
最後にもうひとつ大久保彦左衛門の墓だけ見たい。


大信寺の向かいはピーコック

魚籃坂を下り、白金高輪駅のほうへ歩いて、陸橋を渡り、松秀寺に寄る。そこで一遍上人の銅像を眺める。
時宗の開祖。鎌倉時代の人だけど知り合いに似てる。


リアルだからか

松秀寺のすぐ先に、大久保彦左衛門の眠る立行寺……不遇をかこつ老人のイメージがある彦左衛門だけど、
お寺はずいぶん派手!


うるさ型のご意見番にしては

どちらかというと栄達してる感じ。荻生徂徠どころじゃなく、三味線の始祖より大々的に顕彰されてるかも。
昭和二年に建てられた石碑、でかい!


手前に一心太助

昭和の初めに講談で人気が爆発したのかな? 一心太助と大久保彦左衛門……講談あまり聞いたことない
から、よく知らないけど。そして大久保彦左衛門の墓、探すの大変かと思ったらとんでもない!


一目瞭然の立派さ


この奥に違いない


もしかして土葬?


一族と一緒に眠っている……
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 腹切りやぐら | TOP | 布袋が好き »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | Weblog