二ヶ月近く中断していたウォーキングを再開したことは、前記事で書いた通り。
寒中の外歩きは なかなか面倒なことではあるけど、どちらかと言うと、歩かない方がストレスになるような気がしている。
だから、“歩きすぎ”と左股関節の具合に注意しながら、また、日によっては休みながら続けていこうと思っている。
私のウォーキングコースは、主に二つある。
一つは会社の近くで、もう一つは自宅の近く。
早朝や夜間に歩くのは大変なので、回数的には、会社近くのコースを歩くことが圧倒的に多い。
時間帯を同じくすると、何人か同じ面々と重なる。
多いのは、高齢者。
時間があり、かつ健康が気になる年代だ。
あとは、犬の散歩で歩く奥さん方。
夕方、早い時刻だと、部活のトレーニングで走る高校生もいる。
その他、何かのトレーニングなのだろう、ハイスピードで駆けていく若者もいる。
筋力もなく、関節も痛め、心臓も弱く、とても走ることなんかできない私は、その若々しい姿を、羨ましく、また懐かしく思いながら眺めている。
今年の初めの頃だったか、会社近くのウォーキングコース近くで、私等 下々の者には縁のない利権がからんでいると思われても仕方がないような ある設備を設置する大規模な工事が始まった。
そして、現場周辺に何箇所かある工事車両通過ポイントにガードマンが立つようになった。
その中の一人に、60代後半くらいの男性ガードマンがいた。
男性の名は“Fさん”、胸元の名札に表示されていた。
毎日のように歩いていると、お互いに顔をおぼえ、そのうち挨拶を交わすようになり、次第に一言二言と言葉を交わすようになった。
そして、日が進むと、2~3分の立ち話をするように。
工事のことや天気のこと、たいして意味のない会話だけど、顔を合わせる度に何かしらの話をするようになった。
そうして、春・夏と季節は過ぎていき、仲秋になって、私はウォーキングを中断した。
そして、最近、二ヶ月近くぶりにウォーキングを再開。
再開初日、コースを進んでいくと、変わらず警備の仕事をするF氏の姿が遠くに見えはじめた。
更に進んでいくと、F氏も私に気づいて、
「最近、目が悪くなっちゃって・・・どっかで見たことある人なんだけど・・・誰だっけ?」
と、久しぶりに姿を現した私を、目をこすりながら冗談でイジり、
「久しぶりじゃないのよぉ! 何かあったのかと思って心配してたんだよ!」
と、笑って迎えてくれた。
「いや~・・・ちょっと・・・また股関節の調子が悪くなっちゃって、歩くの しばらく控えてたんですよぉ・・・」
と、私も笑いながらペコペコし、
「でも、最近、少しよくなったんで、ぼちぼち再開しようと思って・・・」
と、その場で高く腕を振り、軽快に足踏みをしてみせた。
積もる話があるような ないような妙な間柄だけど、とりあえず、股関節の具合を説明したり、工事の進捗具合を聞いたり、11月24日の雪が大変だったことを話したり、しばし、とりとめのない話をして後、
「じゃ、また近いうちに!」
と、私はF氏に浅く敬礼。
一方のF氏は、万歳をするように両腕を上げ、
「がんばって!」
と、再び歩き始めた私を見送ってくれた。
私は、F氏の正確な年齢や家族構成、この仕事に就くに至った動機や経緯などは一切知らない。
ただ、工事現場のガードマンって、決して楽な仕事ではないはず。
しかも、F氏は身体も小柄で若くもない。
夏の暑さや冬の寒さは、相当、身体に堪えるはず。
それでも、生活のため・・・生きるために頑張っている。
この工事は来春まで続くらしいから、F氏は、まだしばらくそこで頑張るのだろう。
そして、これからも、F氏と顔を合わせることは何度かあるだろう。
私は、“社交辞令かもしれない”とはいえ、自分のことを気にかけてくれる人がいることを、とても嬉しく思うと同時に、F氏が頑張って働く姿を励みにもしているのである。
腐乱死体現場の検分依頼が入った。
依頼者は、地元の不動産会社の社長。
悪く言えば「無神経」、良く言えば「腹蔵ない」、そんなニオイのする人物だった。
「店番する者が他にいないから、鍵を取りに来て」
とのこと。
現地に鍵を持ってきてもらうケースが多い私は、“面倒臭いなぁ・・・”と思いつつも、
「はい!承知しました!」
と、商売返事をして、不動産会社の住所を訊いた。
出向いた不動産会社は、小さな商店街の中にある、これまた小さな店舗。
造りも古く、店頭に掲げられている宅地建物取引業の免許更新番号も大きく(古く)、業歴が長いことがうかがえた。
狭い店に入ると、老年の男性が一人。
この人物が、依頼者である社長。
私は、客用なのかスタッフ用なのか判断つかない古い椅子に座らされ、一通りの話を聞かされた。
現場は、社長の会社が所有し賃貸しているアパートで、かなりの老朽建物。
ガタガタの木造二階建、風呂はなくトイレも共同。
部屋は四畳半で、押入とモノ凄く小さな流し台がついているだけの簡素な造りだった。
そこで、部屋の住人が、ひっそりと亡くなった。
そして、その肉体は、長い時間をかけて溶解。
発見されたときは、ほとんど原形をとどめていなかった。
狭い室内は、ゴミだらけ。
床なんて、まったく見えておらず。
壁際や隅の方にいたっては、ゴミがパズルのように結構な高さに積み上がっていた。
遺体痕は、部屋の中央、ゴミが一番低い部分に残留。
その部分だけは、使用済みの機械油をぶちまけたように変色・変質。
更には、そこを住処にするウジ達が、我が物顔(どこが顔だかわからないけど・・・)で、這いまわっていた。
当然、部屋には悪臭が充満。
しかも、恐ろしく濃厚。
干渉し合わないのがアパート生活の暗黙のルールとはいえ、これで他住人が気づかなかったことを不思議に思った。
一通りの検分を終えた私は、鍵を返すため、再び不動産会社へ。
身についた悪臭をにわかに漂わせつつ、そのことを先に断ってから店の中に入った。
そして、室内の状況を説明しつつ、必要な作業と費用を2~3パターン提示した。
部屋は、一度、社長も見ており、大方の状況は把握していた。
しかし、“気持ち悪い”やら“クサイ”やらで、室内には一歩も足を踏み入れることはできず。
何をどうすればいいのか、何からどう手をつければいいのか、見当もつかないようだった。
私の提案を聞いた社長は、
「次、人に貸す予定はないから、最低限の仕事でいいんだけど・・・」
「おたくだって、こんな大変なことやらされて儲からないんじゃ、やってらんないだろうしねぇ・・・」
と、配慮をみせてくれ、私の要望も寛容に受け入れてくれた。
「仕事とはいえ、大変だねぇ!・・・」
「俺も、仕事で散々苦労してきたクチだけど・・・」
私の身体から漂い出る“ニオイ”に苦笑いしながら、社長はそう言った。
そして、
「こっちから頼んどいて こんなこと言っちゃ悪いけど、“なんで、そんな仕事やってんのかな”って思っちゃうよ・・・」
「その金額じゃ、そんなに儲かるとは思えないしねぇ・・・」
と、溜息まじりの呆れ顔でそう言った。
これは、多くの人が抱く、率直な疑問だと思う。
これまで、似たようなことを訊かれたことは数知れず。
きれいな言葉を使って遠まわしに探られるよりは、よっぽど気分が悪くない。
だから、この時も、「まったく」と言っていいほど気分は害さなかった。
私は、
「詳しく話すと長くなりますから・・・」
と前置きしたうえで、この仕事に就いた動機や経緯、そして、続けている理由をできるだけ簡略に伝えようと試みた。
が、要点があまりに多すぎて、たいして話を短くすることはできず。
それでも、社長は、真正面からジーッと私の目を見つめ、最後まで黙って私の話を聞いてくれた。
一応の話が済んだところで、私は、引き上げることに。
私が席を立つと、社長も席を立ち、手振りで私を制止。
そして、
「いい話を聞かせてもらったから、これは、その御礼だ」
と言ったかと思うと、
「○○君(私のフルネーム)の前途を祝して、万歳!万歳!万歳!」
と、大きな声で万歳三唱。
そして、
「これからも頑張んなよ!」
と、豪快な笑顔で励ましてくれた。
私は、社長の思いがけない行動に、ちょっとビックリ。
そして、しばし唖然。
しかし、そのうちに、胸の内に熱い喜びがジ~ンと込み上げてきた。
そして、目の前の問題や人生の不安が解決したわけでもないのに、晴々とした気分が身を覆い、また、“元気に頑張ろう!”と自分に思わせる力が身体の芯から漲ってきたのだった。
もう何年も前の話になるけど、あの時の万歳三唱は、今でも、思い出すと笑みがこぼれる。
誰かに気にかけてもらえたこと、励ましてもらったことは、とても嬉しいことだから。
また、社長がそれを知ったうえで声を張ってくれたのかどうかわからないけど、「万歳」という言葉には“生きろ”という意味もあるらしい。
それ思うと、一時的な喜びを超越した、自分に対する責任感のようなものが湧いてくる。
このブログにだって、同じようなことが言える。
その根底には、「生きろ」というメッセージが流れている。
もちろん、特定の誰かを意識して書いているものではないけど(あえて言うと“自分”だけど)、それでも、読んでくれる誰かのことを気にしながら書いているのも事実であり、読んでくれる誰かのことを励ましたいと思いながら書いているのも事実。
そしてまた、読んでくれる人の存在と、また、何の応答もしないのに、わざわざ書いてもらえるコメントに、私も、大いに励まされている。
共に笑い、共に泣き、
共に考え、共に悩み、
共に生き、共に生かされ、
自分の人生のひと時、誰かの人生のひと時、この小さなブログが、その舞台になるとするなら、それは、私にとって万々歳!なことなのである。
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