- 今回の表題を見て、これ以降にどんな文章が続いていくのかは容易に想像できると思う。
食事中の方、そしてこれから食事をしようと思っている方は、一旦このページを閉じて食事を済ませ、一息ついてからあらためて読んだ方がいいかもしれない・・・イヤ、読まない方がいかもしれない(うまい誘い方でしょ?)
読者に避難するチャンスを与えるために、少し行間を空けておこう↓
期待通り?今回は腐敗液のお話。
人間が腐乱していく過程で液状のなることはご存知の通り(残念ながら、知ってしまったね)(6月30日掲載「お菓子な奴」その他参照)。
この腐敗液が放つ悪臭にはモノ凄いパワーがある(6月15日掲載「臭いなぁ」その他参照)。そのパンチは鼻にくるのは当然、それ以上に腹をえぐってくる。
一般の人には「臭い」ということは分かっても、「腐乱死体の臭い」ということは分からないらしい。ま、当然と言えば当然か(笑)。
私は、かすかな臭いでも、ただの悪臭と腐乱死体臭とを区別することができる(自慢にもならないけど)。
たま~に、街を歩いていると、それと似た臭いが漂ってきて「ん!?」と思うこともあるが(結構怖いでしょ)、仮に自分で腐乱死体でも発見しようものならやっかいなことに巻き込まれる可能性が高いので、それ以上の深追いはしないことにしている。
冷たいかもしれないけど、発見したとしても既に手遅れなのは確実だしね。
腐敗液の原料は大きく分けると脂と血肉の二つに分かれる。
脂は黄色がかったもので、濁ったオリーブオイルみたいな感じ。
時間経過とともに、色が濃くなり粘度が増してくる。
血肉は赤茶色で、チョコレートに少し赤味を加えてみたいな感じ。
時間経過とともに、黒ずんで固くなってくる。
フローリング床等で薄く広がって乾燥した場合は、薄く伸ばした飴のようにパリパリになって剥がれる。
また、それが厚い場合は、コーヒーの出し殻に脂を染み込ませ粘性を足したような感じになって残っている。
余談だが、どうも私は、食べ物に例えるのが好きみたいだ(最近、自覚)。
食は生に直結したものであり、死と対極にあるものだからかもしれない。
故人の死んだ場所で、この腐敗液痕の態様も異なる。
畳やカーペット等、浸透するもの上だと当然染み込む。
深刻なケースだと、畳を通り抜け、床板から梁まで汚染されている。
ここまでいくとリフォームも大掛かりになり、アパート・マンション等の集合住宅の場合は大変なことになる。
大掛かりでも梁で済めばまだ何とかなるが、基礎コンクリート部分まで汚染されていると、もうお手上げ。
さすがに、建築基準法に違反した改装はできないので。
フローリングやビニールクロス等、浸透しないものの上だと当然溜まる。
「オエッ!」ときやすいのはこっちの方。
何故なら、液体になった人間を拭き取らなければならないから。
しかし、拭き取りで済めばまだマシな方。
汲み出し、吸い取りレベルまでいくと、経験を積んでいてもかなりツライものがある。
こういう現場では、脳の思考を停止させ、「この液体は元々人間だった」という現実を完全に消去しないと作業ができない。
強引に自分の感覚をコントロールし、液体を単なるモノとして捉える。
しかし!ちょっとでも油断すると「液体=人体」という事実が頭をよぎる!
すると、たちどころに「オエーッ!!」とくるわけである。
ちなみに、どっちがいいかと言われると難しい(普通はどっちもイヤーッ!)
浸透性のものだと清掃作業は楽な分、ゴミ処分が大変。
不浸透性のものだと清掃作業が大変な分、ゴミ処分は楽。
どっちもどっちだし、「どっちがいい?」なんてバカな質問をし合うのは仲間内だけ。
特に、気温の高い夏は人間が液体になりやすい。
チョコレートやアイスクリームと同じように・・・おっと、また食べ物に例えてしまった。
この季節は、ただでさえ食欲が減退しやすいのに、このブログでもっと食欲を落としてしまったら申し訳ない。
我々の肉体は放っておくと液になり、そして消えていく。
髪と骨と爪と、思い出だけを残して。
そしてまた、思い出も時間とともに消える。
人生は夢幻なり(しんみり)。
トラックバック 2006/07/11 08:19:03投稿分より