特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

Gambler

2016-12-27 09:26:27 | 特殊清掃
唯一年の今年も残り少なくなってきた。
唯一生の私の人生も残り少なくなってきた。
「どうすれば、なりたい自分になれるのか・・・」
と苦悩しているうちに時間ばかりが過ぎている。
「この先、どう生きていくべきか・・・」
と思案しているうちに時間ばかりが過ぎている。

そんな年の瀬にあって、先日、不気味なくらい暖かい日があった。
日中も20℃近くまで気温が上がり、夜になってもほとんど下がらず。
車中だと暑いくらいで、とても12月の下旬とは思えないような気候だった。
冬の温暖と地球温暖化を直結するのは見識がなさすぎるのだろうけど、人知を超えた力が人類の望まない方向へいっていないことを願うばかり。
ただ、このところは冬らしい寒さが再来し、身体は縮こまっている。
プラス、年末の物入りで、懐まで寒くなっている人が少なくないのではないだろうか。

そんな真冬にあって、あちこちの街を走り回っている私は、先日まで、ある光景をよく目にした。
それは、宝クジの売店とそれに並ぶ人々。
売る側はアノ手コノ手で宣伝し、庶民の金銭欲をかき立てる。
過去に当選クジがでたことがある店は、派手な看板を掲げて大々的にPR。
そして、その看板の下には、厚着をした人々の長蛇の列。
お金は万能ではないけど、大きな力を持つのも事実。
この世には、お金で解決できる悩みが多すぎるため、一攫千金を夢見る庶民は1000万分の1の紙切れに人生の大逆転を懸けてみる。
同類の私にとっては、それは、微笑ましいような、また苦笑いがでるような光景だった。

列に並ぶ人達の気持ちはよくわかる。
私だって、お金は大好き。
楽して手に入れられるものなら手に入れたい。
しかし、稼金の王道は労働・・・働くしかない、一生懸命に。
“楽して稼ぎたい”という欲望を消すことはできないけど、労働意欲も失わないでいたい。
働かずして得る富は楽しいものだけど、働いて得る富は喜ばしいもの、そして尊いものだから。



出向いた現場は、公営団地の一室。
建物はかなり古く、近年、大規模修繕がされた様子もなし。
公営住宅は定期的に修繕がなされるのだが、それがされていないということは、その建物に“取り壊し・建て替え”の計画があるケースが考えられる。
となると、役所は、住人が退去した後に新たな入居者を入れたりはしない。
つまり、空室が多くなる。
同時に、建物や他住人に対して使う神経も少なくて済み、作業もやりやすくなる。
空室の有無や数は、建物全体をベランダ側から眺めたり、集合ポストを見たりすれば一目瞭然。
私は、約束の時刻まで時間があったので、その辺のところを確認するべく、建物の周囲をブラリと歩いた。

案の定、建物には多くの空室があった。
建物をベランダ側から眺めると、カーテンのないガランとした部屋がいくつもあり、1Fの集合ポストエリアには、テープで口をふさがれたポストがたくさんあった。
あとは、住人が一人もいなくなるのを待つのみ・・・
建築物としての“死”を待つばかりの老朽建物が醸し出すもの悲しさは、そこに暮す人々の人生と重なって、私に、時の移ろいの寂しさと切なさを感じさせた。


約束の時刻の少し前、依頼者の男性は、私が待つ玄関の前に姿を現した。
その玄関前には例の異臭が漏洩。
それが共用廊下に漂っており、何とも不快な状況をつくりだしていた。
「かなりニオイますねぇ・・・」
「そうですね・・・」
我々は、そんな言葉を交わし、それを初対面の挨拶とした。
ただ、幸いなことに、両隣は空室で、同じ階に住む住人もまばら。
苦情がきても不自然ではない状況でありながら、どこからも苦情はきていなかった。

玄関を開けると、異臭濃度は急上昇。
それでも、私に気を使ってだろう、男性は私と一緒に部屋に入ろうとした。
が、男性にとって、それは相当に酷なことのはず。
だから、私は、
「私は慣れていますから・・・」
「服にニオイもつきますし・・・」
と、一人で入ることを示唆。
すると、男性は、
「申し訳ありません・・・」
「正直・・・見たくないもので・・・」
と、申し訳なさそうに、私に頭を下げた。


亡くなったのは70代の男性。
依頼者の男性はその息子。
ただ、故人と妻(男性の母親)とは、もう何年も前に離婚。
以降、関係は疎遠になり、特段の要がない限り連絡を取り合うようなこともなかった。

故人と家族の別離の原因は、金銭問題。
故人は、真面目な職業人であったのだが、大のギャンブル好き。
家族に隠れて借金をしてまでギャンブルをするような人だった。
そんな生き方が明るく想像できないのは私だけではないだろう・・・
結局、それが祟って、家庭は崩壊。
以来、故人は、この部屋で一人暮しをしていたのだった。

定年で職を辞した後、故人は年金生活となったのだが、それでもギャンブルをやめず。
生活費を切り詰めてでも、ギャンブルにつぎ込んでいたよう。
そんな故人の生活ぶりを表すかのように、部屋は荒れ放題。
水回りはカビだらけ、床はゴミだらけ、この件(遺体腐乱)を除外したとしても相当に汚損。
また、部屋には、多くの公営ギャンブルのグッズや購入券をはじめ、消費者金融の明細書等も目障りなくらい散乱していた。

社会や人に迷惑をかけることなく、自分が責任をとれる範囲内でギャンブルを楽しむのは悪いことではないと思う。
けど、家族に迷惑をかけたり、借金を返さなかったりするのはよくない。
ただ、私には到底 理解できないけど、世の中には、借金をしてまでギャンブルをする人がいるのも事実らしい。
これは、薬物のような、一種の中毒みたいものなのだろうけど、どう考えてもマトモなこととは思えない。

「これまで、家が一軒建つくらいスッたんじゃないでしょうか・・・」
「それがなきゃ、いい父親だったんですけどね・・・」
男性は、諦め顔でそう言った。
そして、
「それでも、本人は好きなように生きたんでしょうから・・・」
「家族は迷惑しましたけどね・・・」
と、苦い過去は全て水に流して、良い父親だった故人だけを残そうとするかのように、薄い笑みを浮かべた。



「人生はギャンブルみたいなもの」
そう思える局面は多いし、そう考える人も多いだろう。
確かに、人は、日々、小さな選択 大きな選択を繰り返し、そして何かに懸けて生きている。
それが、吉とでるか凶とでるかわかならい中で。
しかし、ギャンブルとは少し違う。
人生は、ギャンブルとは違い、勝ち負けがハッキリ区別できない。
また、仮に負けたと判断したとしても、ゼロにはならない。
一生懸命やったこと、頑張ったこと・・・それらは“ゼロ”ではない。
目当ての“勝ち(価値)”がもたらされなくても、何かが残る。
それは、違うときに活き、違うかたちの“勝ち(価値)”を残す。

「自分に懸けてみる」
そう言えばカッコはいいけど、この俺(自分)は人生を懸けるに値する者かどうか・・・自信はない。
しかし、自分の人生を他人に懸けることはできない。
他に懸ける者はいない・・・誰にも懸けないで終わるか、自分に懸けて生きるか、どちらかしかない。
どうせなら・・・一度きりの人生なら、自分に懸けてみたいような気がする。
自分に懸けて“ゼロ”はないのだから。
せっかく、自分として生まれ、自分として生かされているのだから。

“自分に懸ける”とは、大きな夢や高い目標を持つことばかりではない(もちろん、それらを持てたほうがいいけど)。
自信の持てる自分をなろうとすることでもなければ、誇れる自分になろうとすることでもない(もちろん、そんな自分になれたほうがいいけど)。
夢や目標が持てなくても、自信がなくても誇れなくても、まずは、目の前の役割に誠実に取り組み、日常の使命を頑張ることが大切。
休肝日を守り、ウォーキングを心がけ、汚仕事へ いの一番に走り、駄欲を遠避け・・・
笑えるくらい些細なことをコツコツと着実にこなすことで、見えてくるものがあり、作られてくるものがある。
そして、それらは配当となって、人生の各所にもたらされるのだと思う。


ケチで小心者の私は、ギャンブルには向かない。
神経質で臆病者の私は、ギャンブルには向かない。
しかし、人生の終盤にさしかかり、ようやく、私は「自分に懸けてみようかな」と思えるようになってきている。
浮き沈みのある気分の中で、ときには恐れや躊躇いも覚えるけど、自分に期待しつつ、自分なりの力量で、日々の時間=人生を懸けてみようと思っているのである。



特殊清掃についてのお問い合わせは
0120-74-4949

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