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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

奇なり

2013-11-01 08:33:58 | 特殊清掃
今日から11月。
秋涼というより秋寒の季節。
台風の連打に国土は疲れ気味。
忘れられつつある大地震だって、いつまた起こるかわからない。
奇妙な自然現象は、人間の無力さを露にする。

世の中に奇なることが起こるのは常。
珍事や奇跡めいた出来事は、いつの世にも絶えない。
奇なる仕事をしている私の目の前は、奇なることばかり。
一般の目には、衝撃的なものだろう。

「大変な仕事ですね」
と、他人によく言われる。
「どんなに金をもらっても、それだけは絶対にできない!」
と、友人に言われたこともある。
それでも、私としては、
「いい仕事ですね」
と言われるよりはマシかも。
何をもって“いい仕事”と言えるのか・・・・・
お金をもらって誰かの役に立つことをしたり、誰かを助けたり、誰かに喜びや満足感を与えたりするのなんて当り前のこと。
仕事とは、本来そういうもの。そんな仕事、他にもたくさんある。
私がやっていることは、ボランティアでやるにはいいかもしれないけど、仕事としてやるには決して“いいもの”ではない。
事実、私自身も、“いい仕事”だなんて全然思っていない。
“特別視≒特蔑視”と思ってしまうことがあり、ヘソ曲がりな私は「いい仕事」と言われると、バカにされているような気がしてしまうのだ。

ま、そんな仕事でも、大事な生活の糧。
決して、やりたくてやっているわけじゃないけど、その時の状況や諸事情があって私はこの仕事に会い(遭い?)、時々の状況や色々な事情があって、未だに続けているわけである。
“生活の糧”という部分では、感謝と喜びをもって取り組まなければならない。


奇なる経験といえば・・・・・
遺体処置の業務で、老夫婦が立て続けに亡くなり、数日の間をあけて同じ家に行ったこともある。
中年の夫婦が心中し、一軒の家で二人の遺体を同時に処置したこともある。
自殺腐乱現場に行ってみたら、故人が知人だったこともある。
床下に二匹の無毛の猫が折り重なって死んでおり、何日も経っていたのに腐っていなかったこともある。
また、同じ東京都内であったが、某市の腐乱死体現場で関わった依頼者女性と、数ヵ月後、まったく離れた某区の路上でバッタリ会ったこともある。
女性も私と会って驚いた様子。
そして、“コイツが現れるところに死人あり”と思ってかどうか、
「貴方がここにいるっていうことは、この近くでまた?」
と、悪戯をする子供のような笑顔でそう訊いてきた。
「えぇ・・・まぁ・・・」
事実そうだから、私はそう応えるしかなく・・・
別に悪いことをしているわけでもないのに、何となく気マズい思いをしたのと同時に
「俺って、死神みたいだな・・・」
と、内心で苦笑いしたのだった。



特掃の依頼が入った。
依頼者は、マンションの大家。
大家によると、以前にも当社に特掃を依頼したことがあるとのこと。
会社が過去の業務歴を調べたところ、前回の作業担当は私。
特に指名があったわけではなかったが、“関わったことがある人間のほうがいいだろう”という判断から、本件も私が担当することに。
私は、会社から指示された日時に指示された場所へ出向いた。

現場マンションの近くに行くと、過去の記憶がすぐに甦ってきた。
そして、マンションの前に着くと、以前の現場がハッキリと思い出された。
大家とは、建物の前で待ち合わせ。
会いたくない相手(私)と再び会うことになってしまった奇なる境遇が、大家の顔に苦笑いを浮かべさせていた。

「どうも、お久しぶりです」
「いや~・・・まいりましたよ・・・またこんなことが起こるなんて・・・」
「災難ですね・・・」
「それがね!前と同じ部屋なんです・・・」
「え!?同じ部屋なんですか!?」
「えぇ・・・そうなんですよぉ・・・」
「えー!同じ部屋とは・・・」
「よりによって・・・困ったもんです・・・」

現場の部屋が前回と同じ部屋ときいて、さすがの私も驚いた。
そして、大家が、二度と会うことがないほうがいい私と会うことになってしまったことと、また、その原因が同じ部屋で起こった災難を気に毒に思いつつ、現場の部屋の鍵を受け取った。

部屋には、そこそこの腐乱臭が充満。
汚染はミドル級。
それよりも、私は、本当にそこが以前に私が携わった部屋かどうかが気になった。
ただ、1Kの間取りはどこにでもあるようなタイプ。
この部屋に限った特徴はなし。
本当にそこが前回と同じ部屋であるかどうか、部屋を見たたけでは判断できず。
私には、そこが同じ部屋であってもなくても関係のないことだったのだが、野次馬的好奇心が抑えられず、部屋の中から会社に電話。
そして、同じ部屋であることを確認したのだった。

その後、この部屋の特殊清掃と消臭消毒は私が担当して施工することに。
ベッドの上の汚腐団をウジごと梱包搬出、床に垂れた腐敗液を拭き掃除。
その上で、本格的な消臭消毒作業に入っていった。
通常、消臭は日数をかけて複数回の作業を重ねながら行うもの。
したがって、私は、このマンションに何度も足を運んだ。
そして、その都度、「二度とこんな経験することないだろうなぁ・・・」としみじみ思ったのだった。


消臭の依頼が入った。
依頼者は、アパートの大家。
二階の一室で住人が亡くなり腐乱。
家財生活用品は遺族が片付け、部屋は空になっている。
ただ、遺体汚染と異臭がそのままになっているから何とかしてほしいという依頼だった。

私は、前もって大家に伝えておいた日時に現場に出向いた。
現場のアパートは古い木造、建て替えてもいいくらいの様相を呈していた。
「鍵は開けてあるから勝手に入っていい」とのことだったので、私は躊躇いなく玄関ドアを引いた。
間取りは1DK。
玄関を入ってすぐの台所の床には隙間なく新聞紙が敷き詰められており、遺体汚染がその下にあることは一目瞭然。
私は、糊で貼り付けたようになった新聞紙の片隅をペリペリとめくりとった。
すると、下からは半乾き状態の腐敗液が顔をのぞかせた。

観察を終えた私は玄関をでて、共用通路へ。
外の新鮮な空気で鼻と肺を洗ってから、ポケットの携帯電話を取り出した。
そして、依頼者の大家へ電話をかけ、部屋の現況と必要な作業内容を説明し、一通りの話を終えた。

「もう一つみてもらいたい部屋があるんですけど・・・」
「え?もうひとつですか?」
「そうなんです・・・」
「大家さんも大変ですね・・・じゃ、そこの住所を教えて下さい」
「それが・・・今いらっしゃるそのアパートなんです」
「え!?ここですか!?」
「えぇ・・・」
「え!?ここのどこですか!?」
「今みていただいた部屋の左隣の部屋です・・・」
「隣!?ですか!?」
「そこでも一人亡くなってまして・・・鍵はかけてないので、ちょっとそこも見てもらえませんか?」
「はぁ・・・じゃ、とりあえず、みてきます・・・」

「ってことは・・・隣同士でほぼ同時に亡くなって、同時に腐乱していたってことか?」
百戦錬磨(?)の私は怖れる必要は何もなかったのだが、恐る恐る玄関ドアを開けた。
すると、少し前に嗅いだばかりの臭いと同種の異臭が鼻を突いてきた。
が、それでも、私は目の前の現実がいまいち飲み込めず。
普段ならさっさと室内に入り現場観察するのだが、このときは狐につままれたような感じがして、とりあえず、会社に報告の電話を入れた。
そして、会社の人間と話すことで落ち着きを取り戻した私は、部屋に入り、人型の一部を残した畳を目にしたのだった。

その後、この二部屋の特殊清掃と消臭消毒は私が担当して施工することに。
前の一部屋は台所床のCF(クッションフロア)を剥離撤去、後の一部屋は汚染畳を撤去処分。
その上で、本格的な消臭消毒作業に入っていった。
前記の通り、消臭は日数をかけて複数回の作業を重ねながら行うもの。
したがって、私は、このアパートにも何度も足を運んだ。
そして、その都度、「二度とこんな経験することないだろうなぁ・・・」としみじみ思ったのだった。



世の中に奇なることが起こるのは常。
一人の人間が生まれて、それが私になったこと。
私になる前から私が私であったこと。
それが今、こうして2013年の世に生きていること。
これもまた奇なることのように思える。

往々にして、一般の理解はこう。
「生は奇ならず、死は奇なり」
しかし、実は違う。
「生は奇なり、死は奇ならず」
人はいつ死んでもおかしくなく、実際、老若男女を問わず、多くの人が多くの事情で亡くなっている。
それだけ、生は脆く儚いものなのである。
それだけ、死は固く明確なものなのである。

自分が自分として生まれてきたこと、生きること、生きていることは奇なり。
二度とない人生に立ち、この奇なる出来事をどう楽しもうか、どう楽しんだらいいか、暗中模索と試行錯誤は続いているのである。



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