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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

遺骨と自分

2024-11-05 06:25:05 | 特殊清掃
自分が死んだ後、その骨をどうしてほしいか、考えたことがあるだろうか。
火葬された後に残される自分の骨の行く末をだ。

私なりの自論なのだが・・・
骨になった状態は既に自分であって自分でないようなもの。
したがって、骨がどこでどうなろうと、知ったことではない・・・と思う。
しかし現実には、そう思いながら、なかなかそう割り切れないものがある。
やはり、遺骨の状態でも、自分の肉体であることの感覚は捨てにくいものだ。
生きている今は、自分の身体を自分そのものとしている訳なので、なかなか自分と別物とは考えにくい。

アノ世というものがあるなら、そこはコノ世の理解を超越した異次元の世界なのだろう。
それを考えると、「自分の骨をどうするか」なんてたいして大事なこととは思えなくなる。

集合墓地の「永代供養」だって「永久に面倒みます」ということではなく、「しばらくの間は面倒みます」という意味だし、一般の墓だって子々孫々がいつまでも面倒みれるものでもないだろう。

でも、まぁ、墓(遺骨)は、亡くなった本人のためというより、残された人の癒しのために必要でもあろうから、私のように一義的な考えに偏らないは方がいいね。

既婚女性の話に限ってみると、嫁ぎ先の墓に入るのが旧来からの習慣としてあると思う。
核家族化がすすんでいる昨今でも、夫の家の墓に、または夫と一緒の墓に入るのが一般的だろう。
ただ、「夫と一緒の墓なんて、まっぴらゴメン!」こんな奥様方も増えてきているような気がする。
逆に、「妻と一緒の墓に入りたくない!」という男性がいても自然なことだ。
もちろん、これは少数意見に変わりはないのだろうが、その数自体は増えているのでは?
近年の離婚の増加が、何となくそんな気を起こさせる。

だいたいの場合、遺体は専用の火葬場で焼却される。
そして、遺骨は火夫によって選別され、遺族の前に出される。
直接見たわけではないので、軽はずみなことは言えないが、おそらく骨壷に入りきるくらいの大きさと量になるよう、作為的に調整されているものと思う。
少なくとも、細かい残骸は遺族には渡らないはず。
そうすると、燃え残った遺骨の100%が遺族に渡される訳ではないということになる。

では、残った骨(遺族に渡らない骨)はどうなるのだろうか。
きちんと検証した訳ではないが、東海地方の某県某市に全国の火葬場からでた遺骨の残骸が集められているという話を聞いたことがある。
もちろん、ゴミとして捨てるのではなく、きちんとした処分方法が執られていることだろう。

そんな現状を考えると、遺骨(墓)は故人本人のためではなく、残された人のためにあるように思える。

今までに何度が書いたように、たまに特掃現場から骨がでてくることがある。
もちろんレアな状態、腐敗液や腐敗肉片が着いている。
当然、臭い!ベタベタネチョネチョ!

見つけた骨は拾って保管する。
そして、遺族に返す訳だが、とてもそのままで返せるような代物ではない。
汚いうえに、とてつもなく臭いから。
私は、返す前に骨をきれいにする。
時には洗うし、時には磨く。

これまたバカの自慢話として聞いてもらいたいが、この作業は私くらいしかやらない。
結構、骨が折れる面倒な作業なのだが・・・。
他の者ができない理由は、「面倒」というより「気持ち悪い」らしい。

「故人だって、自分の骨が汚くて臭いままで残されるのは残念だろう」
「遺族だって、汚くて臭い骨を渡されたって困るだろう」
私は勝手にそう考える。
ま、もともと、私はレア骨を気持ち悪いなんて感じないから平気なのだ。

一見、心優しい人間に映るかもしれないが、私は、そんな骨を見る度にKFCを思い出してしまうような人間である。


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2006-09-16 10:30:54
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戦う日々

2024-11-01 05:59:06 | 特殊清掃
「死んだ方がマシだ」「死んでもいい」「もう死にたい」「死んでしまえ」「死ぬー」etc

自分の伝えたいことを強調するために、こんなセリフを使うことはないだろうか。
「死」と言う言葉を織り交ぜて、感嘆詞として無意識に使っている人は案外多いと思う。
そんな日常に心当たりはない?

私は、この仕事を始めてから「死語」(死という言葉を混ぜた感嘆句)を軽はずみに使わなく、イヤ、使えなくなった。
本当の死が、多くの死があまりに身近になったから。
誰しも本当の死を考えて吐いているセリフではなく、特に深い意味もないのだろうが、私の場合は、本来そう簡単に使えるような言葉ではないことに気づかされている。

以前にも書いたが、この仕事を始めて最初に出会った遺体は、おじいさんの亡骸だった(遺体処置作業)。
まるで生きている人が眠っているだけのような遺体を見つめながら、
「この人、死んでるんだなぁ」
「この人、死んでるんだよなぁ」
と、心の中で繰り返し呟いたのを憶えている。
そして、人が死ぬという不可解な現象を漠然とながらも重く受け止めたものだった。

特掃に行くのは、それからしばらく先のことになるのだが、不思議なことに初めての腐乱現場を憶えていない。
初期の頃の現場はいくつか記憶しているが、最初の現場がどれだったのか記憶が定かではないのだ。
あまりにインパクトが強過ぎたため、脳の防衛本能が働いて憶えていないのかもしれない。

遺体処置・遺体搬送・遺品整理・遺骨葬送etc、死体業の仕事は色々あるが、ショック度やインパクトの強さは特掃が他を圧倒している。
仲間にも、「他の作業はできても特掃だけは無理!」と言う者が少なくない。
バカの自慢話として聞いてもらいたいが、私は他の仕事にも増して特掃に燃える。
グロい現場であるほど、私の出番になる。
「特掃隊長」と呼ばれるだけのことはある(だだの自称だけど)。

特掃作業は誰か他の人に気を散らすことなく、ひたすら作業に集中できる。
敵は汚物・ウジ・ハエ、そして自分。
本ブログの表題、「戦う男達」が意味するところはここにある。
戦いの相手とは、本当は自分なのだ。

これは、何も死体業にかぎったことではなく、どんな職業にも当てはまることだと思う。
イヤ、仕事だけじゃなく、生きている人、一人一人全員に当てはまるものだろう。

生きることは自分との戦い。
真の敵は、他人や社会ではなく自分。

私にとって特掃作業は、自分の敵である真の自分が極めて露骨なかたちで現れ、その格闘が自覚できる貴重な場・・・うまく表現できなくて申し訳ないが、少しは分かってもらえるだろうか。

人間の腐敗液に滴り落ちる自分の汗。
静まりかえった腐乱現場に聞こえる自分の荒い息づかい。
それぞれの死を思いながらも、凄惨な汚物に脳が拒絶反応を起こす。
身体に着いた悪臭が、弱い私を自己嫌悪の穴に突き落とす。

今でも、逃げたくなることは何度もある。
気分が落ち込んで、何日も抜け出せないこともある。
「いつかは俺も死ぬんだ」と、開き直る。
そんな負けっぱなしの毎日だ。

自分との戦いはまだまだ続く、生きているかぎり。
最終的な勝敗は死に際になってみないと分からなそうだが、せめて、最期は引き分けくらいで終えたいものだ。


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2006-09-13 08:58:44
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ハイ、チーズ!

2024-10-27 08:09:30 | 特殊清掃
写真を撮る時の決まり文句、「ハイ、チーズ」。ひょっとして、今は死語?
とにかく、写真は笑顔がいい。

葬式の時に遺影(写真)を掲げる家は多い。
今や、葬式に遺影を用意するのは常識みたいになっている。
ある程度の年配者になると、自分の葬式を考える人も多く、遺影にも使えるようなきれいな顔写真を撮っておく人も少なくないように思う。

私が知る老人の一人は、毎年の正月に撮る写真を遺影にも使えるように撮影して家族に残している。
正月は毎年キチンと和装をするから、ついでに遺影用の写真も撮っておくのだ。
新年に希望を持ちながらも、自分の寿命を考えて、近いうちに来るであろう死の準備を粛々と整えておく。
こういった心構えを私も見習いたいと思う。

一般的に、遺影の写真は行楽などで普通に撮ったスナップ写真を使うことが多いようだ。
フィルム(ネガ)がなくても大丈夫だし、写真が小さくても着衣が正装でなくても問題はない。
小さく写った顔は拡大できるし、着衣は切り貼りで着せ替えることができるから。
便利な分、何だか味気ないような気もする。

学生時代の友人から食事に誘われた。
招かれた所は、高級とまではいかないが、わりと値段も高めのレストランだった。
勤務先の会社で昇進したらしく、随分と機嫌もよく饒舌だった。
その肩書がついたのは、同期の中でも早い方らしく、本当に嬉しそうだった。
大きな組織で働いたことのない私には分からない感覚だ。
こういう時は、少々おだてて祝ってやるのがマナーなのだろうから、白々しいくらいに誉め倒しておいた。

酔いもまわり、気持ちが大きくなってきた友人は、「今日は俺がおごるから遠慮するな」と、高いワインや食べ物を頼みはじめた。
安い居酒屋しか知らない私は、何がでてくるのかちょっと期待した。

ほどなくして、私達のテーブルに小さな円柱形の木箱がでてきた。
木箱には横文字が入り、全体的に濡れていた。
友人は、慣れた手つきで木箱を開けて中の白い物を取り出した。

「ハイ、チーズ!」
「おー、チーズか!」(旨そう)
「俺、ワインとチーズにはうるさいんだよ」
「食通なんだな」(おだてといてやるか)
「これは○○産の○○チーズで、すごく旨いんだよ!」
「へぇ~」(高そうだな)
「この匂い、嗅いでみろよ」
「どれどれ・・・グホッ!」(何だ?この臭いは!)
「これを臭く感じるようじゃまだまだだな」
「そうか・・・」(この臭いは・・・)
「んー、いい匂いだ」
「・・・!」(腐乱臭!)
「この匂いがたまんないんだよな!」
「た、確かに・・・たまんないな」(ホントにたまんねぇよ!)
「モグモグ・・・旨い!」
「よかったな・・・」(よく食えるなぁ)
「ん?遠慮しないでオマエも食えよ」
「ああ・・・」(食えない!)
「あれ?ひょっとして、この匂い苦手か?」
「んー・・・あまり得意じゃないな」(慣れた臭いだけど)
「そんなんじゃ、通になれねぇぞ」
「そうか・・・」(通になれなくたっていいよ)
「○○産の○○チーズはな、良質の脂肪分が高くてコクがあるんだよ」
「へぇ~」(別の物が頭に浮かんでしまう)
「それだけデリケートでな、常温に置いたままにすると溶けてくるんだよ」
「なるほど~」(分かるような気がする)
「やっぱ旨いなぁ、口に入れると溶けるよ」
「・・・口で溶けるのか・・・」(なんか凄そうだな)
「子供じゃないんだから、オマエも一つくらい食ってみろよ」
「俺はやめとくよ」(子供でもいい)
「もったいねぇな~めったに食えないのに」
「俺の脳が、食わない方がいいって指令を出してるんだよ」(一生食えなくたっていいよ)
「何?訳わかんねぇこと言うなよ」
「まぁ、鼻と胃の問題じゃなくて、脳が拒否してる訳よ」(脳、No!)
「変なヤツ・・・あー旨かった!」
「御馳走様」(あー臭かった!)
「オマエ、食ってねぇじゃん」
「脳が満腹になったよ」(コイツにも話さない方がよさそうだな)

「でも、ある意味オマエは偉いよなぁ・・・よくやってるよ、その仕事」
「全然、偉くなんかないよ」(色々あるんだよ)
「所詮は、俺の代わりなんて、会社にも社会にもゴロゴロいるんだよ」
「そんなことないだろぉ、オマエは出世頭なんだろ?」(でも、代わりはいくらでもいそうだな)
「でも、オマエの代わりができる人間なんて、そうはいないだろ?」
「だろうな・・・自分で言うのもおかしいけど」(いいこと言ってくれるじゃん)
「いくら金を積まれたって俺にはできねぇよ」
「それが普通さ」(ホントそう)
「死体が腐った臭いってスゴイんだろ?」
「まぁな・・・」(食事の場でその質問をしてくるとは、なかなかいい度胸してるな)
「例えて言うと何の臭いに似てる?」
「んー、食通はそんなこと知らない方がいいと思うな」(オマエが食ったばかりのモノだよ!)
「もったいつけないで教えろよー!」
「聞いて後悔するなよ?」(仕方ない、教えてやるか)
「しない!しない!」
「○○産の○○チーズにソックリな臭いだな」(言ってしまった)
「えっ!?・・・」
「あれ?ひょっとして、その臭い苦手か?」(苦手に決まってるか)
「ゲプッ・・・」
「オマエは食通、俺はショック通」(ハハハ)
「・・・わりー、ちょっとトイレに行ってくる」
「胃の高級チーズを粗末にするんじゃないぞ」(トイレ掃除は得意だけど、俺にやらせんなよ)

写真の話に戻る。
私は、わりと写真に写るのが好きな方だ。
そして、たいていは笑顔で写ることにしている。
たいして楽しい気分でない時でも。
知人の結婚式、新郎新婦と一緒に撮った写真で一番笑っていたのは自分だったこともあるくらい。

写真って、思い出として後から見るもの。
笑顔の自分を見ると気持ちが和むし、ちょっとは楽しい気分になる。
そして、その時また笑顔になれる。

人の笑顔っていいもんだ。
残された人生を歩くときも、来たるべき死を覚悟するときも、満面の笑顔でいたいもんだ。

何でもいいから、まず笑顔。
「ハイ、チーズ!」


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2006-09-11 18:16:42
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俺の靴、世の靴

2024-10-25 06:45:21 | 特殊清掃
身の回りには色々な靴がある。
色んな仕事に、色んな靴がある。

私は、仕事用に三種類の靴を使っている。
一つは遺体処置と遺体搬送用で、黒い革靴。
ホワイトカラーのビジネスマンが履いているような、一般的な靴だ。
もう二つは特掃用の靴だ。
安全靴タイプ(紺)とスニーカータイプ(黒)の二つ。
手袋と違って、靴は使い捨てにはしない。
たまに消臭剤やエタノールをかけたり、そして、すご~くたまに洗ったりしながら使っている。

そんな特掃靴を、私は時々可哀相に思うことがある。
察してもらえる通り、特掃靴を履いて行く先は、並の場所ではないからね。
見積の時も作業の時も、容赦なく腐敗液の上を歩く。
ウジも潰すし、ハエも踏む。
靴が腐敗粘土に埋もれてしまうことも日常茶飯事。

私は、現場に行く度に思う。
「うわぁ・・・靴がヤバイことになっちゃったなぁ」
「この現場が終わったら、この靴ともサヨナラだな」
でも、作業が終わってみると、「次の仕事を最後にしよう」と思い直す。

情を持っている訳ではないのだが、私の靴は、どんな現場でも一番先に最前線へ突入していく、頼りになる有能な隊員。
まっ先に、しかも誰よりもヒドク汚れるイヤな役回りだ。
そんな靴を簡単に捨てることはできない。
結局、そんなことの繰り返しで、汚い靴を履き続けている。
物を大切にするのはいいことだしね。

思えば、靴によって助けられていることってたくさんある。
靴が汚れてくれるお陰で私の足は汚れないで済むし、靴が痛んでくれるお陰で私の足は痛まないで済む。

承知の通り、私が遭遇する汚れはハンパじゃない。
もし、店に売られている靴に買い手を選ぶ権利があったら、どの靴も私に買われることを拒むだろう。
無理矢理にでも買っさらっていこうものなら、靴は勝手に逃げてしまうかもしれない(靴だけに、逃げ足は速そうだね)。
私に買われた靴は災難だ。

金のため自分のためとは言え、私は世の靴みたいな役割をやらせてもらっている(?)。
そうだとすると、誰よりも汚れること、誰よりも汚い目に遭うことが、靴(私)の役割と存在価値(?)。

そう考えると、私の仕事がある故に、汚れなくて済む人がいるということか。
また、痛まなくて済む人がいるということか。
だとすると、少しは気分も軽くなる。

私の記事には、自分や自分の仕事を卑下するような文が少なくない。
その自覚も持っている。
ただ、決して、自己憐憫に陥っている訳でもないし、自分を謙虚な人間だと誤解している訳でもない(と思う)。
また、謙遜な人間になろうとしているのでもなければ、自分を虐めることに快感を覚えるSM嗜好も持っていない(と思う)。
もちろん、同情や理解が欲しい訳でもない(ホントは欲しいのかな?)。

現実を書こうとすると、おのずとそうなってしまう。
私を取り巻く現実に比べれば、これでも控え目に書いているつもり。
一般の人が想像する以上の戦いが、自分の内にあり、外にあるのだ。
ま、私が置かれている現実を少しは知ってもらうことで、それを知った人が何かの実を採ることができれば幸いだと思う。

この仕事をいつまで続けることになるか分からない。
一生やることになるのか、意外に早く止めることになるのか・・・先のことは誰にも分からない。
でも、やっている限りは世の靴になれるように頑張ろうかな。
汚く汚れて、クタクタになって捨てられるまで・・・

・・・できることなら捨てないでー!!


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2006-09-10 15:33:40
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真友(後編)

2024-10-14 05:41:15 | 特殊清掃
汚染部分の解体撤去から出た廃材を片付ける私に、依頼者の男性は意外なことを質問と依頼をしてきた。

「そのゴミはどうするのですか?」
「可燃ゴミですから、焼却処分します」
「もっと別な処分方法はありませんか?」
「?・・・リサイクルはできませんし・・・廃棄物ですからねぇ・・・」
「この廃材も、○○さん(故人の名前)の身体の一部のような気がして、ゴミとして捨てるのは偲びなくて・・・」
「んー・・・あとは、遺品の類でしたら、供養処分することがありますが・・・」
「そうですか!でしたら、その供養処分をお願いします」
「え!?費用が余分にかかりますよ」
「大丈夫ですから、供養して下さい」

故人の愛用品や人形・布団、仏壇などの供養処分を依頼されることは多いが、廃材のそれを頼まれるのは極めて珍しい。
さすがに不思議に思って、そこまでやる理由を尋ねてみた。

「○○さんは強く・厳しく、まるで姉のような人でした・・そして、誰よりも優しかった」
男性は抱える事情を話し始めた。

かつて、男性は自分で商売をしていた。
景気のいい時代もあり、その頃は仕事も遊びも充実し、他人にも気前よく楽しくやっていた。
交友関係も広く、親しい友人もたくさんおり、更に色んな人が男性と仲良くなろうと近づいて来た。
故人もその時代に知り合った一人だった。

ところが、ある時から不況の闇雲が立ちこめ始め、次第に商売にも陰りが見え始めた。
同時に、経済的にも精神的にも行き詰まっていった。
そして、それに合わせるように、今までいい顔ばかり見せていた友人達も離れていった。
肩書も金も失っていく男性のもとから、友達・仲間だと思っていた人々が去ったのだ。

「世間は冷たい」
「頼れる者は自分だけ」そんなことは商売を始めた時から肝に命じて、シビアにやってきたつもりだった。
しかし、現実の厳しさはその時の覚悟を越えていた。
自分がその境遇に置かれてみて、世間の本当の冷たさを知った。
みんな、自分個人(人格)ではなく、自分の持つ肩書(社会的地位)と金(経済力)になびいていたに過ぎなかったことを痛感。

それを知って愕然とした。
人間不信に陥った。
強い虚無感に襲われた。
先のことが考えられなくなり、自殺願望にも囚われた。

しかし、故人だけは違った。
何も変わることなく、損得を抜きにして、以前と同じように付き合ってくれた。
そればかりか、金銭的にも精神的にも随分と支えになってくれた。

結局、男性は取り返しがつかなくなる一歩手前で商売をたたんだ。
その決断には勇気が要った。
それも、故人が後押ししてくれなかったら決断できなかった。
あのまま商売を続けていたら、本当に首をくくることになっていたかもしれない。

男性は故人に返しきれない恩を感じていた。
借りた金も、全額は返しきっていないようだった。
そして何よりも、故人が腐乱死体になるまでその死に気づかなかった不義理を悔やんでいた。

せめてもの罪滅ぼし・恩返しのつもりで、この腐乱現場の片付けと故人の供養を担ったらしい。

いちいち息子を伴っている理由も、その辺にあった。
息子にも、自分の弱さ、故人の強さ、世間の冷たさ、真友の温かさを教えたかったようだった。

今は亡き故人は、死んだ後も男性に大切なものを与え続けていた。

親友をたくさん持つ人は多いだろうけど、はたして、その中に真友はどれだけいるだろうか。
今の肩書と金を失っても、変わらず付き合って(助けて)くれる友はどれだけいるだろうか。

また、相手の社会的地位や経済力が変わっても、何も変わることなく付き合える(助けられる)自分であるだろうか。

幸か不幸か、私は別の面で世間の冷たさを知っている(そう言う私も世間の一人)。

そして、今の私には肩書も金もない。
その分?友達・またはそれらしき人も少なく、極めて狭い人間関係の中で生きている。
みんなが自分を守ることに精一杯、戦々恐々としている世の中で、たいした人格を持たない私には、それが合っているのだろう。


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2006-09-08 08:18:55
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真友(前編)

2024-10-13 15:37:46 | 特殊清掃
初老の男性から特掃の依頼が入った。
現場は古いマンション、トイレで腐乱していたらしい。
故人は年配の女性で身寄りがないらしく、依頼者の男性は「生前の故人に世話になった者」ということだった。

腐乱場所が風呂やトイレの場合、かなり酷い状態になっていることがほとんど。
私は、今までの経験から、相応の覚悟を持って現場に向かった。

依頼者の男性は、その息子と現場に現れた。
息子は、そこに連れて来られた意味が分からなそうにして戸惑いの表情を浮かべていた。
そして、腐乱現場にはビビっているようだった。
臆せず部屋に入る私と男性、息子はその後ろを恐る恐るついて来た。

男性との世間話から、故人は生涯独身・子供もなく、今で言う「キャリアウーマン」だったことが伺えた。
故人が女性と分かり、急に男性との関係が気になり始めた下衆な私だった。

さて、汚染場所に案内された私は驚いた。
予想していた状況とは逆で、軽い腐敗臭はするものの腐敗液・腐敗粘土の類が見当たらなかったのだ。
明らかに誰かが掃除をした後だった。

「ここで亡くなっていたんですよ」
と、男性はトイレと脱衣場を指しながら、
「でも、発見が遅れてしまって・・・」
と、後ろめたそうに言葉を濁した。

確かに、よく観察すると木部にシミや隅々に汚染痕が確認できた。
しかし、そこは私の出る幕ではないくらいに掃除されていた。

「ここは清掃されてますよね?」
「ええ」
「どなたが掃除されたんですか?」
「私です」
「!・・・よくここまできれいにされましたね」
「いえいえ・・・」
「大変だったでしょう?」
「でも、私にはやらなきゃいけない訳がありますから・・・」
「?・・・ところで、私は何をやればいいですか?」

私は、男性が掃除したと聞いて感心した。
汚染痕から想像するに、ライトな腐乱だったとは思えなかったし、その清掃作業の大変さは誰よりも分かっているので。
男性が一人で掃除している姿を思い浮かべると、ホント、頭が下がる思いだった。

男性の要望は、腐敗痕と腐敗臭を完全に消して欲しいとのことだった。
これ以上の清掃もあまり効果を期待できず、「要望に応えるには汚染箇所の解体撤去しかない」と判断、その旨を伝えた。
併せて、その費用を誰が負担するのかも確認(私にとっては大事なことなので)。
費用は全て男性が負担するとのことだった。

「清掃作業といい費用負担といい、身内でもないのにそこまで負うとは・・・」
ちょっと不思議に思った。
そして、嫌がる?息子をわざわざ連れて来ている訳も。

「何か、相応の事情があるんだろうな」
下衆の勘繰りに拍車がかかった。

数日後、汚染箇所の解体撤去を行う日。
男性は、また息子を伴って来た。

ビニールクロスを剥がしてみると、その下のベニア板には腐敗液が生々しく染み着いていた。
一時的に濃い腐敗臭が甦った。
ま、これはよくある状態。
壁も一部壊す必要があった。
隅々や細かい隙間にウジが潜んでいることがよくあるのだが、幸いここでは彼等と会うことはなかった。
汚染箇所を切り取るような作業は、特掃というより内装工事に近いものだった。

作業も終盤、悪臭のする廃材を片付ける私に、男性が意外なことを言ってきた。

つづく


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2006-09-07 08:38:29
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人間のクズ

2024-09-20 05:06:10 | 特殊清掃
この季節、朝夕には鈴虫の声が聞かれるようになってきた。
昼間は、まだ蝉が威勢よく鳴いている。
蝉は数年間、陽のあたらない地下生活をした後、最後の一週間だけ明るい地上にでて最期の時を燃焼・満喫するらしい。

蝉の一生には自分と重なる部分がある。
今は陽のあたらない生き方をしている私だが、いつかは陽のあたる明るい日が来るもしれない?
でも、仮にそんな日が来ても「長続きはしない」と思った方がいいかもね。

特掃の依頼が入った。
現場は古い一戸建、埃をかぶった生活用品(ゴミ?)が山積み状態。
昼間なのに家の中は薄暗く湿っぽい感じで、どことなく不気味な雰囲気だった。
いつもの様に私は、誰にでもなく「失礼しま~す」と言いながら奥へ進んだ。

汚染場所は奥の和室だった。
汚腐団は、例の木屑のような茶色の粉(以降、腐敗屑と呼ぶ)に覆われ、所々に小さな山ができていた。
「死後2~3ヶ月経過」「遺体は白骨化」ということは聞いていたので、この状況は想定の範囲だった。

周辺にはウジの死骸が無数に散乱(ハエの死骸は少なかった)。
前にも書いたが、ウジの死骸はサクサクの菓子のよう。
具体的に説明すると、柿の種と米菓子をかけ合わせたみたいなもの(分かるかなぁ)。
それをサクサクと踏みながら、更に近づいてみた。

すると、腐敗屑の中に無数の何かがシャワシャワと動いている。
「ん!?」
更に近づいてみると、それは得体の知れない虫の大群だった。
世間では見たこともない虫、名前も分からないその虫は、腐敗痕の上を腐敗屑と混ざり合いながらワサワサと動いていた。

「何だろう、この虫は・・・」
「ウジ・ハエを前座に、真打登場か?」
私にとっては「気持ち悪い」というより「興味深い」光景だった。
子供がカブト虫でも眺めるみたいに、私は目を輝かせて?しばらくその虫を眺めていた。

しかし結局、それが何の虫で、何のために居て、何をしているのかは分からなかった。
ずっと眺めてばかりいても仕方がない。
私は見積作業を開始した。

特掃作業は翌日になった。
ウェットな現場が大半の特掃業務、乾いた汚染箇所を片付けるのは新鮮だった。
気のせいか、熟成された腐敗臭もやわらかく感じられた。
私は、得体の知れないその虫と腐敗屑とを一緒にすくってサラサラと汚物袋に入れた。
腐敗屑には頭髪が絡み合っており、この原形が人間だったことを思い起こさせた。

腐敗屑は、腐敗液や腐敗粘土とは違って簡単にすくい取ることができ、爽快感すら覚えたくらい。
生きていても死んでいても、湿っぽいよりカラッと乾いていた方がいい。

ここでは当然、畳や床板もバッチリ汚染され腐っていた。
でも、これらも乾いていたので作業はしやすかった。
それらも全て撤去し、作業は無事に終了。

私はこの仕事を通じて、「人間も、腐って虫に食われれば屑になるんだな」としみじみ思った。
そして、屑になった人体は風に吹かれて消えていく。

現在の埋葬法では無理な相談なのだろうが、自分が死体になった時も、焼かないで自然の腐敗にまかせてほしい。
虫にたかられたって、虫に食われたっていい。
孤独死+腐乱では困るけど。

死んだら、私も人間の屑になりたい・・・
え?死ぬ前にもうなってる?



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2006-09-05 16:25:26
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残り香(後編)

2024-09-14 15:04:35 | 特殊清掃
うちは死体業が本業なのだが、たまに死体に関係ない仕事も入ってくる。
ゴミの片付け、消臭・消毒、害虫駆除etc。

今回のハウスクリーニング業者が依頼してきたのは消臭。
消臭は成果が目に見えないので、簡単にはできない仕事である。
特掃とは違った難しさとプレッシャーがある。

現場は今風のアパート。築年数も浅く、見た目にもきれいな建物だった。
相談してきたハウスクリーニング業者とは、建物の前で待ち合わせて一緒に部屋に入った。
私とは違って、腐乱死体のことは夢にも考えていないようだった。

部屋の中も見た目にはきれいだったが、確かに異臭がした。
軽い異臭なのだが、その臭いを嗅いだ途端にピン!ときた。
予想していた通り、腐乱死体臭と酷似していたのだ。
そして、部屋の細部を観察すると、更にピン!ときた。
極めて目につきにくい所々に、妙な汚れ痕がある。
私は内心で腐乱死体現場であることを断定した。

しかし、私はすぐにはそれを伝えなかった。
自信がなかった訳ではなく、問題が大きくなるのを避けるために。

ハウスクリーニング業者は、ある程度の改装が済んだ後の仕上げクリーニングだけをやるためにこの部屋に呼ばれているので、腐乱現場の可能性があることは全く知らず、考えてもいない様子だった。
念入りに観察するフリをしながら「これからどうしよう・・・」と思案した。

私は一旦外に出て、この物件を管理している不動産会社に電話した。
そして、この部屋に何か特別な事情がないかをそれとなく確認した。
始めは、何も言いたくなさそうにとぼけていた不動産会社も、私が死体業者である素性を明かすうちに態度が変わってきた。
そして、「私は10年以上も死体の臭いを嗅ぎ続けているんで・・・」の一言に真実を話し始めた(私のような者の存在に驚いたんだと思う)。

やはり、この部屋は腐乱死体現場だった。
遺族が自力で清掃して、素人目には気づかないくらいまできれいにしたらしい。
近隣住民に知られることを最も警戒しながら。
確かに、素人だったら気づかないであろうレベルまできれいになっていた。
元々の汚染度も軽かったのだろうけど。

しかし、腐敗臭はそう簡単に片付くものではない。
不動産会社は腐乱現場であることを伏せたうえで、ハウスクリーニング業者に作業を外注したのだった。
そして、手に負えなくなったハウスクリーニング業者がうちに相談してきた訳。

一口に「消臭」と言っても、「特掃+消臭」or「消臭のみ」では、はるかに「消臭のみ」の方がやりにくいし、やりたくない。意外?
清掃後だと、汚染箇所や汚染度、汚染物質が特定できないからだ。
今回のようなケースがまさにそう。

更に悪いことに、この部屋には中途半端な内装リフォームが入っており、余計にやっかいだった。

不動産会社は、近隣住民に事情が知れるのを避けたいようだった。
確かに、腐乱死体が原因でアパート一棟が丸ごと空部屋になってしまうことも有り得る。
仮にそうなっても、新しい入居者は獲得しにくいし。
それを考えると、不動産会社が受ける打撃と秘密したい気持ちは容易に察することができる。
しかし、商売を優先するあまり、他の住人に対して秘密にしたままで処理するのは不誠実だと思った。

ハウスクリーニング業者には適当なことを言って、その後の作業を引き継いだ。

翌日になって私が出した結論は、「内装全解体」「それができないなら、この仕事に責任は持てない」というものだった。
結果、見積も結構な金額になった。
不動産会社からの返答は、「検討してから連絡する」というものだった。

それからしばらくして、忘れた頃に連絡が入った。
「なかなか結論がまとまらないので、あの部屋はしばらく空部屋のままにしておく」とのことだった。
「まぁ、それもベターな選択かもしれないな」と、私は思った。
他の住人に知らせたかどうかは知らないが。

まったく、腐敗臭というヤツは人々を困らせる。
私の身体にも、腐敗臭の残り香があるだろうか。
たまには、女性の移り香でも残してみたいものだ(冗談)。

エロい話には無縁な私、グロい話ならたくさん持っている・・・腐るほどね。


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2006-09-04 08:48:27
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残り香(前編)

2024-09-13 07:40:57 | 特殊清掃
死体業をやるうえで臭覚は大事。
ある程度は臭いを嗅ぎ分けられないと仕事にならない。
基本的な部分は臭気測定機でもクリアできるが、やはり最終的には自分の臭覚が頼りになる。
また、臭覚には大きな個人差があることを理解しておくこともポイント。

ちなみに、私は自分の臭覚は標準レベルだと思っている。
あまり鋭い臭覚を持っているど、かえって仕事の障害になるかもしれない。
なにせ、いつも私が嗅いでいる腐敗臭はハンパじゃなく臭い!ので、鋭い臭覚を持っていたらそれだけでダウンしてしまうかもしれないから。

ホント、希望する読者がいたら一度は嗅がせてあげたいくらいだ。
惰性の(退屈な)生活には、抜群のカンフル剤になるかもよ!

私の仕事には、悪臭とウジは当然のつきものである。
いちいち言うまでもないことなので、最近は記述することを省略しているが、ほとんどの現場がそれらも含まれていることを承知して読んでもらえると幸い。

話を戻そう。
臭気測定機では臭いのレベルしか測ることができず、その内容まで追うことができない。
更には、メンタルな臭気はとうてい測ることはできない。

「メンタルな臭い」とは、臭気測定機は通常値を示し、更に私の臭覚でも問題のないレベルになった現場においても「まだ匂うような気がする」と言われるケースのこと。

このケースに当てはまりやすいのは近隣住民と賃貸物件の大家。
腐乱死体から受けた精神的なショックから抜け出せていない証拠でもある。
こういう人がいる場合は過剰なくらいの消臭作業を行い、同時に丁寧な説明が大事になる。
作業効率ばかりを優先してそれを怠ると、逆に作業効率を落とすことになりかねない。

片や、依頼者や遺族は少々の匂いくらいだったら「匂わない」とするケースが多い。
身内(関係者)が腐乱死体になったことを過去のものとしてさっさと葬り去りたいのだろう。

こういったケースでは、当然、私は客観的な感覚と第三者的な立場をキープしなければならない。
お金をくれるのが依頼者側であっても、できるだけ客観公正なスタンスで臨む。
それが、結果的に依頼者のためでもあるから。

ある時、ハウスクリーニングの専門業者から問い合わせが入った。
賃貸物件の引越後をクリーニングする会社だ。

「何の臭いだか分からない」
「どこから臭うのかも分からない」
「とにかく変な臭いがする」
「何とかならないか?」
と言う相談だった。

「出番かな?」
私は、イヤ~な予感を抱えながら現場に向かった。

つづく


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2006-09-03 08:38:04
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出会いと別れ

2024-09-12 07:29:17 | 特殊清掃
人生は色んな人との出会いと別れの繰り返しである。
私が書く「別れ」だからといって、なにも死別とは限らない。
別れの中の死別はごく一部。
学校・仕事・生活etcを通じて色んな人との出会いと別れがある。

考えてみると、私のような者でも、数えきれない人達との出会いと別れを経ている。
その中でも、一生を通じて付き合える人とはなかなか出会えないでいる。
「この人は一生の友だ!」「ずっと仲良くしていたい!」と、熱くなっていてもそれは一過性のもの。
一時期、どんなに仲良くしていても、学校・会社・住居などの所属コミュニティーを異にすると、またそれぞれに新しい出会いがあって、旧来の人間関係は次第に希薄になっていくパターンが多い。
特に、それ自体が淋しい訳ではないが、人との出会いに早々と別れ想像してしまう自分にどこか淋しさを覚える時がある。
こんな私と同じような経験を持つ人は、少なくないのではないだろうか。

私の場合は生きている人と同じくらい、いやそれ以上に?死んだ人との出会いが多い。
おかしな表現だか、出会う前に別れていると言った方が正確かもしれない、そんな出会いだ。

ある日の午後、特掃依頼の電話が入った。
故人の遠い親戚からだった。
他の仕事を抱えていた私が現場に着いたのは夜だった。
外はもう完全に暗くなっていた。

現場は狭い路地の奥、古い木造アパート。
玄関ドアの前に立っただけで、いつもの腐敗臭がプ~ン。
私は、教わった場所の隠しキーを使ってドアを開けた。
中はかなり暗くて、珍しく不気味さを覚えた。
例によって余計なことは考えないよう努めて私は中に入った。

とりあえず、電気ブレーカーを上げて明かりをつけた。
余談だが、このブレーガーがやたらと落ちやすくて困った。
いきなり落ちて部屋が真っ暗になる度に、心臓が止まりそうになった。
「故人の仕業か?」と、余計なことを考えてしまったものだから、そりゃもう大変だった。

さて、いつもの腐乱現場を想像していた私は驚いた。
床を埋め尽くす程のウジ・ハエの死骸はいいとして、汚腐団が木屑のような粉状のもので覆われていたのだ。

「ん?この状態は前にもどこかで見たことがあるぞ」
よく思い出してみると、死後経過日数がかなり経っていた現場だった。

私は依頼者に電話して、警察が推定した死後日数を尋ねてみた。
「約二ヶ月」
「白骨化していた」
依頼者の返答自体には驚かなかったが、「なんで、そこまで発見が遅れたんだ?」と、そっちの方に驚いた。
現場は住宅が犇めき合っているような所で、同じアパートにも住人はいるのに。
近隣には、随分前から悪臭が漂っていたはずなのに、誰も関わろうとしなかったのか・・・。

私も無用な人間関係を煩わしく感じる(敬遠する)タイプなので、近隣住民を「冷たい」と批判する気持ちは毛頭ない。
ただ、「腐乱臭によく我慢できたな」と、そっちの方に感心した。
他人と関わるより腐乱臭を我慢した方がマシだったのか・・・?

都市部を中心に「地域社会」というコミュニティーも崩れてきているのは事実だと思う。
私もそれに加担している一人。
これも、時代の流れか。
日本は人口が少なくなっていく傾向にあるようだし、人同士の関わり方も浅いものになっている。
その分、出会いと別れの機会もだんだんと少なくなっていくのだろうか。

時が経ってみると、「あの人と出会えてよかった」と思うことより「あの死体と出会えてよかった」と思うことの方が多い現在。
あくまで、「時が経ってみると・・・」だが。

残された人生にも、色々な人・死体との出会いと別れがあるだろう。
それが、いい出会い・いい別れであって欲しいと思う。

そして、死体との出会いがない人が可哀相でもあり羨ましくもある。


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2006-09-02 14:54:09投稿分より

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夏の終わりに

2024-09-09 07:33:36 | 特殊清掃
暦はもう秋、朝晩は涼しさを感じるようになってきた(気持ちいい)。
今日から9月である。

毎年のことだが、夏は特掃業務が更に過酷になる季節。
現場も凄惨を極める。
そんな現場で汗と脂にまみれて働く。
腐敗液に自分の汗が滴り落ちるのを見ながら、神妙なことを考えたり、自分を励ましたり、くだらない事を考えたりする。。
やけに哲学的になってみたり、センチになってみたり、バカになってみたり。

どうしようもない時は外に出て小休止。
荒くなった呼吸と心臓の鼓動、脳ミソを落ち着ける。

そんな夏も終わろうとしている。
今年の夏もいい?思い出がたくさんできたが、リアルタイム過ぎて紹介できないのが残念。

私は、今までに何体もの死体に会ってきた。
何件もの腐乱現場に遭遇してきた。
病死・事故死・自殺・自然死etc・・・。
死に方にも色々ある中で、そんな私が今まで一体しか扱ってない遺体がある。

「何?」と思われるだろう。
「他殺体」である。
私が20代の頃だから、もうだいぶ前の話になる。

当時は大きなニュースになったので、ここでも詳しい表記は控えるが、故人(被害者)は20代前半の学生だった。
楽しい夏休みの最中、惨劇が襲った。
犯人の末路を見ても、とても「一件落着」とは思えない事件だった。

遺体には大きな解剖痕があった。
遺族の要望で、生前に袖を通すことがなかったお気に入りの服を着せた。
作業中、遺族が立ち会っていなかったことで、若輩の私は余計なプレッシャーを受けずに落ち着いて仕事ができた。
遺族に何と声を掛けていいのかも分からなかったし。

子供や若者には、いい意味で無責任に生きられる特権が与えられている(代わりに責任を背負っている人がいるのだが)。
比較的、自由に生きられる特権だ。
人を悲しませない範囲であれば、その特権を自由に行使していいと、私は思う。
そこに若年の輝きが見えるから。

故人も、一人の若者として学生生活を謳歌していたことだろう。
楽しい夏休みを最期に、人生の幕を閉じることになることなんか知る由もなく。
そして、9月1日の新学期を迎えることなく突然逝ってしまった。

「人生って、いつ何が起きるかホントに分からないものだ」
と、あらためて痛感した時だった。
そして故人に、何故か犯人にも深い同情心が湧いてきたのを憶えている。

いつ何が起こるのか分からないのが人生だけど、いつ何が起こっても素直に受け入れることができる器量が欲しい(無理かな)。
苦しいこと・辛いこと・悲しいことは有限、気持ちいいこと・楽しいこと・嬉しいことは夢幻の人生なのだから。

夏の終わり、9月の曇空を見上げながら、先に逝った人達に想いを馳せる。


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2006-09-01 09:27:47投稿分より

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うにどん!

2024-09-06 05:59:08 | 特殊清掃
「食欲増進の巻」

私が初めてウニを食べたのは大人になってからである。
「美味!」と聞いていたウニは、私にとっては生臭くて食感も悪く、とても美味とは言えなかった。
美味しく感じなかった一番は原因は、食べ慣れていなかったせいかもしれない。
でも、何度か食べているうちに少しづつ味が分かってきて、だんだん好きになってきた。
今は、「大好物」とまではいかないけど好物の一つになっている。

そんな私は長い間ウニ丼に憧れを持っていた。
それまで、私の口に入る ウニは回転寿司の軍艦巻程度。多分、安物。
「テレビのグルメ番組にでてくるようなウニ丼を一度は食べてみたいなぁ」と、ずっと思っていた。
東京でも数千円だせば食べられるのだろうが、馴染みの寿司屋なんかない私には、美味しいウニ丼がありそうな寿司屋に飛び込む度胸もなく、結局いつまで経っても食べられずじまいだった。

二年程前になるだろうか、そんな私にウニ丼が食べられるチャンスが巡ってきた。
親しくしている人に海の近くの寿司屋に連れて行ってもらった時だ。
酒が入っていたせいもあるのだろう、ウニ丼に対する想いを熱く語ってしまった私。
カウンター越にそれを聞いていた板前が、「ウニ丼、出しましょうか?」「うちのは自慢のウニですから」と言ってくれた。

板前は、店のメニューにはないウニ丼を、わざわざ私のために作ってくれたのだった。
目の前に出て来たウニ丼は、私が期待していた通り、鮮やかな黄色で一つ一つが大きくホッコリしている。
決して溶けだすようなことはなく、表面のツブツブ感もしっかりあった。
私がいつも食べているような軍艦巻ウニとは大違い。

それを見て、増々テンションを上げた私。
テレビのグルメリポーター張りのオーバーリアクションでウニ丼を一気に掻き込んだ。
その食感はシッカリとあり甘味もコクも格別、本当に美味かった!

積年の望みを果たした喜びとウニの甘味がプラスされて、何とも言えない幸せなひと時だった。

一度食べればもう満足。
今は、ウニ丼への熱い想いは落ち着いている。



「食欲減退の巻」
場所は、寿司屋ではなく風呂場。

浴室のいたるところに付着している焦茶色の腐敗液と、あちこちに貼り着いている皮が、警察の遺体回収が困難を極めたことを物語っていた。
特に、浴槽の側面に垂れたまま乾燥していた腐敗液は視覚的にグロテスクだった。

浴槽の中を覗いて見ると、底に何がが溜まっている。
皮とウジは分かるものの、あとは何なのか判別不能だった。
まぁ、人体の一部の末路なんだろうが。

幸いなことに排水口は詰まっていなかった。
風呂やトイレの場合、排水口が通っているか詰まっているかは私にとっては天地の差がある。
通っていると俄然やる気がでてくるし、詰まっていると意気消沈してしまう(意気地がない?)。
始めに固形物を除去。
皮・髪・ウジ、そして得体の知れないモノ。
皮と髪は浴槽に貼り着いており、削り落とした。
大量のウジは一匹一匹を相手にはしていられない、まとめて掬い取るしかなかった。
それらはまとめて汚物容器に。

そして、私は得体の知れないモノに手をだした。
表面は茶色、固いモノだと思って道具を当てたら中からドロッと黄色い半液体がでてきた。

「何だこりゃ?」
「なかなか珍しい色だなぁ」
と思いながらそれも容器に取った。
ウジ山はその汚物に隠れた。

固形物を取り除いたら、あとはひたすら戦場・・・いや洗浄。
排水口が通っているということは水が流せるということで、気持ちいいくらいにきれいできた。

さて、最後に廃棄物のチェック。
私が汚物容器に見たものは、そう・・・。


いつかまた、美味しいウニ丼を食べたい。
頑張って仕事しよう。



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2006-08-29 09:05:07投稿分より

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ロールケーキorサンドイッチ

2024-08-15 06:31:30 | 特殊清掃
腐乱死体が布団を汚していることは多い。
言い換えると、布団に入ったまま亡くなる人が多いということ。
そんな場合は、ほとんどの依頼者が「布団だけでも先に持って行ってくれ!」と依頼してくる。
腐敗液をタップリ吸った布団は、見た目も臭いもとてもヒドイから。

できる限り依頼者の要望には応えるようにしているが、見積と作業は別物。
作業を小刻みに分けると、効率も悪くコストも上がる。
何よりも、汚物処理作業は一発で済ませたい。

でも、困りきった様子で依頼してくる依頼者も無視できない。
昔は、そんな現場は仕方なく作業をしていた。
依頼者には悪いが、嫌々やっていた。

普通の布団をたたむのは誰でもわけないことだが、汚腐団(お布団)はそういう訳にはいかない。
できるけ小さくたたんで専用袋に入れるだけ作業なのに、ちょっと油断すると腐敗液が身体に着いてしまう。

以前は、腐敗液が身体に着かないように作業手順をよーく練ったうえで、慎重に慎重を重ねてやっていた。
まさに、汚いモノにでも触るかのように。
それでも、なかなかうまくいかず、身体を汚してしまったことが何度もある。
その逃げ腰・及び腰の姿勢が逆効果であることに気づくのは、しばらく先になった。

何度もやっているうちに、一つの失敗が一つのノウハウになることを覚えた私は、「どうせ汚れるんだったら失敗例を蓄積しよう」と考え方を変えた。
皮肉なことに、汚いモノが着かないように気をつけていた頃に比べると、汚いモノを気にしなくなってからの方が圧倒的に汚れなくなった。

腐敗液をタップリ吸った布団は重い!もちろん臭くもある。
持つとズシリとくる。
実際の重さに増して精神的な重さがある。
私より腕力のある人でも、そう簡単には持てないかも。

昔は、梱包した布団でさえ汚く思えて、身体につかないように持っていた。

今は、抱えるどころか背負うことにも抵抗感はない。
それを背負うと、遺体そのものを背負っているような錯覚に陥る。
そんな布団に対する私の感覚は、汚物と人間の間を行ったり来たりする。大袈裟に言うと、汚物に親近感みたいなものを覚えることもある。
ただ歳をとっているだけじゃなく、人間として成長しているのかも?

仕事も人生も、楽をしようとして近道を行くと、かえって遠回りになってしまうことがある。
身の丈を考えず階段を飛び越えようとすると、踏み外して転げ落ちることがある。
何事も、小さな積み重ねが大事。
続けることが大事。
知恵を持つことが大事。
こんな仕事にも独自のノウハウがある。
それを得るためには経験・継続・蓄積が必要。
私には、誰にも真似できない(したくない?)それがある。
死体業をコツコツやってきたことが、ホコリのような私の誇り・・・かな?

今回は、とりとめもない文章になってしまった。夏バテ気味か・・・。

表題の「ロールケーキorサンドイッチ」は、汚腐団のたたみ方のコツ。
中に入る具は色々あるが、読者の想像にお任せする。

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2006/08/24 19:27:34
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お化け屋敷(後編)

2024-07-13 06:25:10 | 特殊清掃
休暇をとった管理人は、身内の法事に行ってきたらしい。
その割には赤く日焼けした顔が、どことなく気まずそうにも見える。
人手が足りない時は特掃隊に編入しなければならない哀れな?身の上だから、まぁ、黙認した方が親切というものか。
管理人を労う書き込みも多かったし。

前編から話を続ける。
そして、その顔が私に近づいて来るような気配を感じた私は、声にならない悲鳴をあげて家から飛び出した!
全身に悪寒が走り、息を吸うことができなくなった私。
霊感がないのが少ない取り柄のひとつだったのに・・・とうとう見てしまったのか!?
そして、私が見てしまったモノの正体は!?
さすがに気持ち悪くなった私は、再び家の中に入ることはできなくなった。
本当は二階の状況も確認しなければらなかったのだか、結局、二階は想像見積。
間取りと遺族の話と一階の状況を考え合わせて推測した。

幸い?肝心の腐敗痕は一階だったからよかった。さすがに汚染箇所は、想像で見積できるような代物ではないから。

頭部が当たっていたと思われる段ボール箱は丸く凹んでいて、腐敗液にくっついた頭皮と頭髪が残っていた。そして、大量のウジも。
一般の人にとっては、腐乱死体痕の方がよっぽど恐いのだろうけど、私にとってはそんなものはどうってことない。

それよりも、二階に見たモノの正体ばかりが気になっていた。

さて、施工の日。
明るい昼間でも、何だかイヤ~な気分だった。
いつもの流れで、まず一階の汚染箇所から着手。
一階をほぼ片付け終えたところで問題の二階へ。
階段を見上げる決心は、なかなかつかなかった。
ウジじゃあるまいし、いつまでもウジウジしてたって仕方がない。
勇気をだして恐る恐る階段上を見てみた。
すると、どうだろう。
壁にモノクロの写真が掛けてあった。
多分、御先祖の遺影だろう。
「な~んだー、そういうことかぁ」
過日の夜は、それが外からの淡い月明かりにボンヤリ照らし出されて、顔が宙に浮いているように見えたらしい。
「ちょっと顔が違うような、もっと近くに見えたよう気がしたけど・・・」と少々怪訝に思ったが、深く考えないことにした。
とりあえず正体が写真と分かって(決めて)安堵した。

遺族からは「家の中の物は全部ゴミ、全て捨てていい物」と言われていたが、この遺影は捨てる気にならず遺族に渡すことにした。
二階で写真を梱包していると、誰かが私の背中をポンポンと軽く叩いた。
「ん!?」と思ったが、私はあえて振り返らなかった。
そこには、私の他に誰もいるはずがなかったから。


トラックバック 2006/08/07 10:34:16投稿分より
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お化け屋敷(前編)

2024-07-11 09:23:02 | 特殊清掃
人それぞれに怖いもの(苦手なもの)を持っていると思う。
私の場合は、高所・蛇・歯医者・お金・心霊写真・暗闇etc。

当然、この中に死体は入らない。
気持ち悪いことはあるけど、恐くはない。
どちらかと言うと、道端に転がっている動物の轢死体の方が苦手。いつも目を背けて通り過ぎてしまう。

逆に、一般の人にとって人間の死体は上位にランキングされるものらしい。
その理由の中核を探ってみると面白いことが発見できるかもしれない。
やはり人は、死をイメージさせたり感じさせたりするものを根本的に嫌うのである。
葬儀習慣に限らず一般世間の習俗や慣習にも、それを感じさせるものが多い。
その延長線上には死からの逃避願望があり、やはり死ぬことは恐くて考えたくないものなのだろう。

ある日の夕方、特掃の依頼が入った。
「できるかぎり早く現場を見てほしい」とのこと。
何の仕事が入るか分からないので、昼間の予定はできるだけ業務用に空けておきたい私は、その日の夜に行くことにした。
「鍵は開いているので、勝手に入っていい」とのことだったし。

現場に着いた頃は、外はもう真っ暗。
目的の家は老朽狭小の一戸建。
電気は止まっており中も真っ暗、懐中電灯を照らすしかなかった。
庭には、手入れをしてない木々がうっそうと茂り、外灯の明かりもなく、淡い月明かりが不気味さを照らし出していた。

玄関の前に立っただけで、いつもの腐乱臭を感じた。
自分で自分を脅しても仕方がないので、余計なことを考えないようにして玄関ドアを開けた。
それから、誰もいるはずのない家に、いつもの様に「ごめんくださ~い」と言いながら入った。

狭い屋内は、ゴミなのか生活用品なのか分からないような物が散らかっており足の踏み場もないくらいだった。
腐敗箇所をいち早く見つけて汚染具合を確認。
まぁ、腐乱死体現場としたら並のレベル。
ウジはいたけど馴染みのハエは二軍落ちし、その代わりに蜘蛛の巣と蚊がまとわりついて弱った。

廃棄するゴミの量もキチンと把握しなければらないので、建て付けの悪い押入も開けてみた。
そこで思わず「あ゛ッ!」
暗闇の中に人の首・・・押入の中には頭部だけのマネキンが並べられていた。
「なんでこんなもん持ってをだよ!ドリフのコントじゃないんだから、こんなもんで脅かさないでくれよぉ」
心臓の鼓動か静まらない私は、勢いよく戸を閉めた。

そのうち、どこからか「キィーキィー」と泣き声のような音が聞こえてきた。
「ドキッ!」、心臓は再び高鳴り始めた。
気のせいにして無視しようとしたけど、確かに聞こえてくる。
放っておく訳にもいかないので、嫌々その音(声)がする方を探した。
それは流し台の収納スペースから聞こえていた。
思い切ってその戸を開けてみた。
そこで思わず「あ゛〓ッ!」
いくつものネズミ獲り(粘着シート)に無数のネズミがかかってもがいていたのである。
中にはもう死んで腐ってるのもいて、それはそれは悲惨な状態。
「見なかったことにしよう」
全身鳥肌の私は、機械的に戸を閉めた。

一階を見分し終えて、次は二階。
脅され過ぎか気の張り過ぎか、心身ともに疲れてきて、身体にも力が入らなくなっていた。
「もう少しの辛抱」と、暗くて狭い急階段の上を見上げた。
そこて思わず「あ゛〓〓ッ!」
あまりのことで悲鳴は声にならなかった。
なんと!宙に浮いた人の顔が、ジーッと私の方を見ていたのである。
そして、その顔が私に・・・

つづく


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