特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

敵は強者

2006-07-06 09:32:11 | 遺体処置
特殊清掃の仕事を遂行する上で立ちはだかる壁としての代表格は、悪臭・腐敗液、そしてウジ・ハエ。常連の読者に今更言うまでもないことだろう。
悪臭は忍耐力と薬剤を駆使して、なんとか押さえ込む。
腐敗液は、脳の思考を停止させて、なんとかきれいにする。
生きたハエは外へ追い出し、死んだハエは塵として処分する(死んだウジも同様)。


問題は生きたウジ!
彼等は一体どこからどうやって発生してくるのか不思議で仕方がない。
一見、密室に見えるような部屋でも、遺体にはウジが湧く。特に、腐乱死体にはほぼ100%の確立でウジがついている。
彼等はどこからやって来て、どうやって死体に湧いてくるのか・・・。
そして、その生命力と繁殖力には凄まじいものがある。

「敵ながら、アッパレ!」だ。


ウジに関する思い出は尽きないくらいあるが、その中でも強烈だった一事例を紹介する。
まだ、「腐乱」とまではいかず、腐敗が始まった程度の遺体。
腹部は黒緑色に変色してきており、明らかに腐敗の進行が見てとれた。
もちろん、異臭もあり。

死後処置では、口・鼻・耳などに綿を詰めて体液漏れを防ぐ処置を施すのだが、口の中に大量のウジを発見。腐敗初期の遺体なので、ウジの大きさもかなり小さい。
口の中に無数のウジが這い回っているだけでも、結構な気持ち悪さがある。
「口の中に大量のウジがいる」ということは、「鼻にもいる」ということ。
鼻の穴を覗いてみると、案の定、彼等はいた!しかも、無数。
念の為、耳も見てみると、残念ながらそこにも居た。
ここまではよくあるケース。

更によく見ると、目蓋の隙間にも小さなウジが見え隠れしている。
「ひょっとして、眼球にも?」と驚きながら、目蓋を開けてみた。
そこには、眼球を覆い尽くす程のウジが集っており、さすがに背筋の悪寒が走った。
さすがに、「ギョエ~ッ!!」って感じ。
遺体の目の次は、こっちの視覚もやられてしまった!
可能な方は想像してみてほしい。目の玉がウジで覆われている状況を(寒)。
それらを一匹づつピンセットで摘みだしていく作業は手が震えるくらいに精度の高いテクニックが必要。なにせ、遺体腐敗がその段階のウジはとにかく一匹一匹が小さいもので、摘みにくい上に気が遠くなるほどの数がいる。
しかも、遺体の眼球を傷つける訳にはいかないし。
しかし、あまりモタモタやっていると、身の危険を察知したウジ達は肉を通して眼球の裏側へ逃げて行く。
全く、恐るべし!


そんな嫌われ者のウジだって、世の中にとって何かしらの存在意義があるのだろうと思う。
私と同じように(苦笑)。
かつては、

「世の中にウジが居なくなったら、どうなるのだろう」

と真剣に考えたこともあった。ホント、どうなるんだろう。
社会的評価は低いけど、彼等は彼等なりに社会貢献している部分もあるはず。これも私と同じように(苦笑)

普段は敵対関係にありながらも、似たような境遇にあるウジと私。
しかも、頻繁にお目にかかるので、敵ながらも妙な親近感が湧いてくる。
喧嘩友達とでも言えるだろうか。
新たな現場に行って、

「アレ?ここはあまりいないなぁ」

と肩透かしを食らいながら、汚染された床のカーペットを捲り上げると、期待通りに?ウジ達がビッシリ所狭しとウヨウヨしている。
それを見た私は「よ~し、いるいる!」(興奮)ってな感じで、

「今日も正々堂々と闘ってやるぞ!」

と一気に戦闘モードへシフトチェンジ!・・・やっぱ、感覚がおかしくなってんな、私は(笑)。


以前にも書いたが、市販の殺虫剤(ウジ殺し)はあまり効かない。
腐敗液に汚染された床を覆い這いまわるウジに大量のウジ殺しをかけても、彼等は気持ちよさそうに?その中を泳ぐ(実際は苦しくてもがいているのかもしれないけど)。

その様はまさに・・・
まず、フライパンに炊いたご飯を入れ、そこにご飯がヒタヒタになるくらいの牛乳を入れる。隠し味に醤油を適量加えて、想像力を膨らませながら見ると・・・恒例の?食べ物シリーズ第二弾で、美味しいドリアのレシピを教示しようと思ったけど、記事の流れから私が何を考えているか先読みされたと思うので、この先はやめておこう。


私も男だ。抵抗できないことをいいことに生きたウジを踏み殺すような卑怯な手は使わない(実際は、気持ち悪くて踏めないだけ?)。
直接触って片付けるのが正攻法。気合を入れて摘んで集めて、ポイッと始末。


対ウジ戦は苦戦することもあれば、楽勝の時もある。
今のところは連戦連勝。
しかし、残念ながら最終的にこの戦いを制するのはウジの方と決まっている。
何故なら、この私にもいつかはハエが集りウジが湧く日が必ずやってくるからである。
当然、読んでる貴方も他人事では済まされないよ。


誰にも、いつかは必ずウジが湧く日が来るのだから。


-1989年設立―
プロの遺体処置専門会社
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別れの時

2006-07-01 09:50:39 | 遺体処置
私は、もともと

「熱しにくく冷めやすい」

性格の持ち主だった。



乾いたクールさを格好いいと思っていた(勘違いしていた?)年頃でもあったのだろうか。
それが歳を重ねるごとに変化している。
妙に、

「情に脆くなった」

というか、

「涙もろくなってきた」

というか・・・。


そんな私であったから、若い頃は極めてクールにこの仕事をこなしてきた。割り切る所は割り切って(仕事でやっている以上は、今でもそういう時はあるが)。
そういう具合だから、20代の頃は、現場で涙を流すようなこともほとんどなかった。
しかし、そんな私でも、感極まった覚えが何度かある。



そのうちの一件。それは遺体処置の仕事だった。
亡くなったのは、当時の私と同年代の男性。業務上の事故死だった。

「事故死」

と言っても、特に目立った外傷はなく、まるで眠っているかのように健康的に見える故人だった。


彼は、まだ新婚ホヤホヤだった。
つい、何日か前に結婚式を挙げたばかりだったとのこと。
幸せな人生の節目を迎えたばかりの二人に、突然、悲しい別れが襲ったのである。



結婚式を挙げた数日後に葬式を出す事になった両家。
新妻はもちろん、それぞれの両親が集い、親達は遺体を取り囲んで号泣している。

「号泣」

とは、まさにこういう状態のことを指すのだろう。
ただ一人、新妻だけが放心状態、涙も枯れてしまったという感じで呆然としていた。


そんな過酷な雰囲気の中にいても、私は何とか職責をまっとうすべく冷静さを保っていた。
もちろん

「気の毒だなぁ」

とは思っていたけど、余計な感情移入や同情心は、逆に故人や遺族に失礼だという考えを持っていたのである(それは今でも変わらない)。



ちょっと脱線。
遺族に合わせて、わざとらしいくらいの悲しそうな表情をつくる偽善的演技には大きな抵抗がある。私は、どんな遺族に対しても柔和な自然体が一番いいと思っている。

もちろん、礼儀は重々わきまえなければならないし、誠実な気持ちで臨まなければならない仕事であることは充分に承知済み!

しかしながら、冷酷に思われるかもしれないが、仕事で接する遺体は、所詮、私にとっては赤の他人。気の毒に思ったり、一人一人の死を厳粛に受け止めたりすることはあっても、悲しさを覚えることはほとんどないのが正直なところ。

分かり易く例えると、知らないオジさんが死ぬとの、自分の父親が死ぬのとでは、感情・気持ちがまったく違うのと同じ。
それと同じ様なことが、死体業にも当てはまるのである。



話を戻す。
泣き叫び続ける遺族の動きに注意し、タイミングを見計らって死後処置を施した。
そして、柩に納棺。遺族がそんな状態だったものだから、いつもより余計に時間がかかり、神経も使った。
最後に柩の蓋を閉めようとした時、新妻が申し訳なさそうに私を静止した。
そして、

「結婚式場に着て行ったスーツだよ。天国に着て行ってね。」

と小さな声で呟きながら、遺体にスーツをかけ、その頬に最期の口づけをしたのである。

その時、私の目から涙がこぼれた。クールさを保っていたはずなのに・・・理由は自分でも分からない。とにかく、スーッと涙が流れ出てしまったのである。

・・・一体、何故、この新妻がこんなめに遭わなくてはならないのか。何故、この男性は死ななくてはならなかったのか・・・。
人生とは、皮肉な一面も持っている。そんな時は、善悪の感覚さえも麻痺してくる。
同情を超えた悲壮感と、憤り近い矛盾への不満感が私の中に湧き上がってきたのである。

私は泣いたのではない。とにかく、勝手に?涙が流れたのである。
今でも、ハッキリとしたその理由は分からない。その時涙が流れた本当の理由を知りたければ、まだまだ鍛錬を積むしかないのかも。


あと、これは私がやった仕事ではなく、ずっと以前に同僚(女性)がやった仕事なのだが、これも究極的な話なので追記しておく。
ある妊婦が、出産を終えて直ぐに亡くなった。生まれたばかりの赤ちゃんも一緒に。

母親は赤ちゃんを胸に抱き、赤ちゃんは母親の腕に抱かれるようにした状態で二人を柩に納めたとのこと。
二人の死の原因は、知ることはできなかった(知る必要もない)が、その話を聞いて気分が暗闇に落ちた。

「なんで?なんでだ?なんでなんだ?・・・」

と、前記の新婚カップルの時と同じような気分になった。
夫の気持ちを考えると・・・言葉に詰まる。
ただ唯一、二人を別々ではなく一つの柩に納めることができたことが、わずかな救いだった。



今回は、悲しくも現実である二つの別れを紹介した。
これを読んで、思う事や感じる事、受け取り方は人それぞれ異なると思う。それでいい。
だた、私は、それぞれ残された妻と夫が、先に逝った愛すべき人を想いながら、今は元気に立ち直って明るく生きていることを願うばかりである。



そして、私は、今日も誰かの別れの時に携わるのである。

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知らぬが仏

2006-06-24 08:38:38 | 遺体処置
特殊清掃と遺体処置のダブル依頼で現場へ。故人は中高年女性。

何人かいた遺族にお悔やみを述べ、

「よろしくお願いします」

と言われて家の中に入った。泣いている人も何人かいたが、一人だけ態度に落ち着きがなく、私にピッタリくっついて離れない人(中年女性)が居る。故人と同居していた長女らしい。


「妙な人だなぁ」

と思いながら、とりあえず遺体の安置されてある部屋へ。遺体には不自然なくらい(顔が隠れるくらい)に布団が深く掛けてある。それを見て更に妙に思った。
長女は、私に何かを言いたそうにしているのだが、他に人がいるから言えないといった様子で、歯がゆそうに私の動きを逐一監視していた。

その様子を感じ取った私は、

「遺体処置作業の都合」

ということで長女だけ残して他の遺族には席を外してもらった。葬儀では長女が喪主を務めるということだったから、ちょうどいい口実だった。
長女は、二人きりになってもしばらく黙っており、何となく気まずい雰囲気。
突然、

「事情がお分かりですか?」

と尋ねてきた。

「ん?事情?」

と、私は少々けげんな顔をしてしまったと思う。

でも、遺体を見てすぐ分かった。

掛布団めくってみると、首には季節はずれのマフラー?スカーフ?みたいなものが当ててあった。内心

「首吊りかぁ・・・」

と思いながら、その布をとってみた。やはり、首にはクッキリと紐の痕がついていた。

「事情って、このことか」

と思いながら、長年の経験がある私は首吊自殺くらいでは驚きはしないから、長女には

「慣れてるから平気」

であることを伝えた。


しかし、長女が気にしていたのは全く違うことだった。

「故人が自殺死であるということは、家族・親族内では自分以外誰も知らないし、これからも隠し通したい。」

と言うことだったのである。


これには、ちょっと驚いた。早朝、首を吊った母親を発見し、自分一人で降ろして、布団に寝かせ、家族には突然死(自然死)に見せかけたというのだ。救急隊員や警察にも、他の者には知られないようにお願いしたとのこと。

そんな話を部屋から声が漏れぬようヒソヒソ話。そして、私への要望は、

「遺体を誰が見ても首吊自殺だと分からないようにして欲しい」

というものだった。

その要望自体は大して困難な作業ではないので、快く引き受けて無事完了(細かい作業内容は内緒)。その仕上りに、長女も私も満足。
作業が終わってから部屋を開放し、遺族の皆さんに集まってもらった。
皆が皆、自然急死だと思っているので、故人の子供や孫達をはじめ、かなりの人が

「お母さん(お婆ちゃん)、可哀想に・・」

等と言いながら泣いていた。


長女は、肩の荷が軽くなったようで、表情も穏やかになった。仕事を終えた私は、遺族で混み合った家の中で長女と目で会釈を交わしから現場を後にした。


故人の死去を聞いて駆けつけてきた親類に対しては時間稼ぎもできるし、何とか隠すことができても、同居している夫や子供達にまで隠し通していたのは見事であり、表現がおかしいかもしれないが感心した。

長女には長女なりの情があった故のことだろうし、その家族・親族にも他人には分かり得ない事情があったのだろう。


何がともあれ、これが、長女が母親にしてあげられる最期の親孝行だったのかもしれない。


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遺体痛い?

2006-06-20 09:30:52 | 遺体処置
世間には、色々な事情から解剖を受けざるを得ない遺体がある。それなりの必要性があってのこととは言え、解剖遺体には痛々しさを感じる。解剖を担当する医師も、生きている人の手術とは違うので、作業の丁寧度はあきらかに違うのだろう。


少しでも見識を深めるため、私は、以前、某所で検死解剖を見学したことがある。川で水死した老人の遺体だった。
事故か自殺か、はたまた他殺かを調べるために解剖へ回されてきたのだろう、警察の寝台車輌に乗せられてきた。

私は、解剖作業をガラス越に見学するのだが、その作業は、とても見るに耐えなかった。遺体に対する尊厳の「そ」の字も、思いやりの「お」の字も一切感じなかったのである。

その医師はまるで魚をさばくかのように、はたまた大工仕事をするかのように、遺体の解剖作業を乱雑!に進めていったのである(「魚屋さんや大工さんが乱雑な仕事をする」と言っているのではなく比喩論として)。

更に、その医師は、私が羨望の眼差しで見ていると勘違いしたのだろうか、手際と度胸がいいところを見せてやろうと思ったのか、私の視線を意識して余計に調子に乗って悪さをしているように見えた。
乱暴極まりない動きで、色んな臓器を乱暴に取り出しては、助手が重さを測って写真撮影。

頭を開けるときも頭を解剖台にガンガン打ち付けながらメリメリと無理やり頭皮を剥がしたかと思うと、おもむろに電気ノコギリで頭蓋骨を切開。脳も乱暴に取り出して助手が同様の作業。

最期は取り出した脳も臓器類をメスで細かく切り刻んで腹部へ収納(細かく切り刻まないと、きれいに収まりきらないので)。そして、荒く縫合して解剖は終了(ちなみに、その老人は入水自殺ということになった)。
最後に、助手がまるで車でも洗うかのように、ホースから遺体へ水をバシャバシャかけて血を洗い流して終了。


もともと、解剖遺体の縫い目はかなり粗い!頭皮・頭髪・皮膚もザックリと大きく縫い込んである。医師と言えども解剖は仕事であり、労働者であることに違いはない。死んだモノにいちいち丁寧な作業はやってられないのだろう。

ある解剖遺体などは、荒い縫い目から新聞紙がハミ出ていたこともある。内臓を取り出したら腹が凹み過ぎたため、代わりに新聞紙を入れたのだろう。ちなみに、取り出した内臓類はビニール袋に入れて遺体の脇に置かれていた。

万が一にも、身内の誰かが解剖されているところをマジックミラーか何かを通して家族が見ることができたら、その場で気を失うか、激怒するケースが少なくないのではないかと思う。


その後、その医師と面談する機会があったのだが、特殊清掃現場とは違う意味で吐き気がした。彼は経済力・社会的地位は私とは比べ物にならないくらい高いけど、人格は最低だと思った。

俗に、

「先生と呼ばれる職業に就く人間にろくなヤツはいない」

という話を聞くが、こんな医師は一部であって、医師免許を持つほとんどの人間が相応の人格と誠実さを兼ね備えた人間であることを信じたいものである。


どちらにしろ、腐乱死体で発見されるのもイヤだけど、死んでも解剖はされたくないと、つくづく思った日であった。


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おしどり夫婦

2006-06-19 08:35:25 | 遺体処置
今回は、特殊清掃というより、遺体処置の話である。

現場(自宅)に行くと、なんと遺体が二体ある。二人ともかなりの高齢で、入院先の病院でほとんど同時に亡くなったとのこと。

かなり珍しいケースで、遺族も悲しんでいるというより、微笑ましく思っているような感じだった。そういう私自身も、何とも言えない温かい気持ちを覚えた。

生前の二人がどんな夫婦だったか知る由もないが、喜怒哀楽・羽陽曲折・七転八起、楽しかったことも嬉しかったことも、苦しかったことも辛かったことも、みんな二人で受け止めて二人で歩いてきた人生だったに違いない。そして、最期も二人仲良く一緒に。

そう思うと、

「お疲れ様でした」

という気持ちが自然にでてきた。印象に残る現場だった。



もう一つ夫婦の話。
中年夫婦が自殺した。年老いた母親と成人した娘達を残して。
目立った外傷は見えなかったので、

「練炭自殺か?服毒か?」

と思いながら、遺体を柩に納めた。遺族は皆号泣。皆が泣きながら、二人の亡骸に思い思いのことを言っている。

遺族は、悔しくて悲しくて仕方がないのだ。
何度経験しても、ホント、こういう場はいたたまれない。

自殺ネタは何度かブログに書いているが、夫婦で一緒に死ぬケースはなかなか珍しい(表現が不適切だったら御容赦)。
一緒に死ぬくらい仲がいいとは、羨ましいような羨ましくないような、複雑な心境だった。

どうしても、自殺理由を想像してしまう。

「家も家族もごく普通だし、金銭トラブル(借金)かなぁ・・・最近、多いらしいし」

等と考えながら、作業を進めた。


ちなみに、少しして、レンタカーを使っての練炭自殺であることが分かった。レンタカー会社の人によると、自殺に使われた車はどんなに汚れてなくても、どんなに新しくても廃車にするとのこと。もったいない。
でも、世に中には裏があるのが常。特選中古車として、どこかの中古車屋に並んでたりして。



何はともあれ、配偶者をお持ちの方、お互いに思いやりを持ってお互いを大切に。一緒に居られる時間は限られているから(思っているほど長くはないかもしれないよ)。


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