いちにちに。
髪を洗って、乾かしながら。
ドライヤーは使わない。
なかば濡れ髪のまま眠り、しぜんに乾くのを待つので。
街角の風景。
それと、浜田到さんの歌から。
春近き柱にもたれそのままに夕映えゆきし無臭のひとよ
わたしは、彼の歌や詩が大好きなのだけれど、ときどき困惑することがある。
彼はセンシティヴで、筆触はかぼそく、抒情的な前衛短歌を詠う。
ときどき、彼の詩歌は、自分の歌ではないかと思うくらい、シンクロします。
でも、ふっと距離を感じることも。
彼の世界観は、優美繊細、なのに、冷たすぎる気がして。
無臭、という単語にひっかかりました。
生きていることは、あたたかく匂ひゆたかなことではないのかしら。
今夜もまだ、ドラセナが咲いている。
少しずつ、小花と蜜を滴らせながら。
夜来香って、こんな匂いだろうか?
ベジャールのバレエ「春の祭典」によせて。
彼の際立った眼光と。
今日は常ならず暖かい。なにかが騒ぎ出す気配。地の底から?
それとも血の根源から?
ストラヴィンスキーが聴きたくなる。
現代短歌風に、朝。
でも、現代ってなんだろう?
ソボクな疑問。
「~ねばならない」と束縛されてしまったら、のびのびと詠えない。
節度は必要だけれど。
どこに枠組みがあり、様式があるのか、わからない。