プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★マスコミの影響力と良心

2006-07-22 09:35:02 | 日記・エッセイ・コラム

 靖国参拝に関する昭和天皇のお心を記したメモが出てきて、波紋を呼んでいる。ポスト小泉の有力候補だった福田元官房長官が総裁選に出ない事態にまで発展した。

 解釈の仕方は、人それぞれの価値観に基づくので、論評する気は無い。だが、首相の靖国神社参拝の是非とか、合祀・分祀論議、更にはポスト小泉の政争の具に利用しないで欲しい。候補者は、まず日本外交の戦略的構想を明確にすべきだ。議論の帰結として、候補者がたどる道筋も透けて見えてくるはず。

 総理大臣の国家像や精神文化が曖昧なままでは、天皇陛下のお心を察することは出来ないと思う。更には、この機会に、我々国民一人ひとりが日本国のあり方について、自分の頭を整理する切り口にしたいものだ。戦後60年を経て、社会環境が全く異なった。憲法改正論議も高まって来ている折り、21世紀に相応しい憲法なのかどうかは、政治家任せに出来ない問題のはず。

 中央紙に限らず、テレビ・ラジオ等々、マス媒体が世論形成に及ぼす影響力は絶大だ。当然、世論をリードする社会的責任の自覚が求められる。とりわけ、視聴率稼ぎの低俗な番組や泰平をむさぼるグルメ番組等、品性の低い企画は反省して貰いたい。そういった番組は、畠山容疑者のセリフではないが、もう本当にうとましくなる。


★スポーツの原点は心!

2006-07-21 08:49:46 | スポーツ

 昨夜、FIFAがジダンとマテラッティの処分を決定した。量刑の加重よりも、ジダンの社会奉仕活動3日間に学びたい。

 現在、夏の甲子園を目指して全国各地で地域予選の真っ最中だ。過去、代表校になったチームが、監督や部員等の不祥事で、出場辞退を余儀なくされる事例が何度も起きている。当事者だけでなく、地域の人たちにとっても残念な出来事だ。

 そこで、不祥事の中身にもよるが、ペナルティを出場辞退ではなく、関係者全員による地域社会への奉仕活動にしたらどうだろう。興味本位で喫煙・飲酒するのと暴力や窃盗行為とでは、事の重大さが違うので、社会奉仕の内容や期間で調整すればよい。

 道路わきに捨てられたタバコの吸殻や空き缶を回収すれば、公共のマナーを学ぶことが出来る。河川や下水溝に捨てられたゴミ袋や不燃物を見れば、環境汚染の学習効果も期待できる。産廃施設の補助作業でも、地域の社会福祉活動でも構わない。

 罪を憎んで人を憎まずで、殺人等の凶悪犯罪は別として、一時の慢心や歓心が惹起した行為であれば、出場辞退よりも社会的制裁を科した方が教育上も有効だ。文部科学省が、アマチュア・スポーツを管轄しているのも教育分野に属するとの解釈からのはず。応報刑よりも教育刑主義の方がスポーツの精神に通じると思うのだが。


★欽ちゃん球団解散!

2006-07-20 08:55:55 | 日記・エッセイ・コラム

 萩本欽一さんが”茨城ゴールデンゴールズ”を解散すると発表したニュースはショックだった。解散理由は、選手の不祥事。「まさか!」「何もそこまでしなくても」「欽ちゃんらしい」等々の声が聞えてくる。地元のファンだけでなく、人気低迷中の社会人野球の活性化に貢献していただけに残念だ。

 私は、プレーした経験はないが、野球に対する思い入れは人後に落ちない。星稜高校といえば、ヤンキーズの松井ですっかり有名になったが、甲子園では数々の名勝負を演じている名門校。箕島高校との延長18回の死闘は語り草だが、もう一つ私の記憶に残る勝負がある。1976年(S51)夏、小松投手(後に中日に入団)を擁して、甲子園大会でベスト4に勝ち進んだとき、母校でもないのに、休暇をとって夜行バスで応援に駆けつけた。突然の休暇願いに上司にこっぴどく叱られたが、当時の興奮は、今なお鮮明に残っている。

 その後、縁あってNTT北陸野球部の応援団部長を3年間務めたあと、立場代わって選手の採用事務を3年間経験した。自分がかかわった選手の何人かがプロ野球にスカウトされた。NTT北陸野球部はその後、経営合理化の波にもまれて解散したが、当時の監督が現在、星稜高校の監督に就任したのも何か因縁を感じる。

 欽ちゃんが私財を投入して”野球に対する夢”を追い続ける姿は、野球少年そのものの純粋さだった。その夢は、彼一人のものではなく、多くのファンの夢でもあった。欽ちゃんらしいケジメのつけ方をしたのだから、ある日とつぜん、「帰ってきたよ!」と笑顔でグラウンドに姿を見せてくれると信じたい。


★自然災害と避難回避

2006-07-18 10:00:15 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年のように発生する集中豪雨期の河川の氾濫や土砂崩れに伴う被害。北陸地方でも、各地で被害が続出し、加賀の動橋(いぶしばし)地域では、昨日、1万戸に対し避難勧告が発出された。

 今日も危険な状態は続いているが、テレビの現地中継を観ていたら、ある住民が、大丈夫との自分の判断で避難しない映像が映った。その民家の裏山は今にも土砂が崩れ落ちそうな気配で、リポーターが退去を勧めるのだが、「臨機応変に対応する」と言って、忠告に一向に耳を傾ける様子が無かった。

 土地勘があるとの過信が言わせるのだろうが、土砂崩れの勢いは臨機応変に避けることが出来るはずもない。住み慣れた家を一時的であれ、離れることは辛いし誰も歓迎しない。個々の事情もあるだろう。しかし、事故が発生してからでは遅いのだ。

 安全対策には一定の限界がある以上、自ら危険回避する勇気も必要だ。避難したあと、何事も起きず、自分の判断が正しかったと非難すれば良い。取り返しのつかない事態が発生したら、恨みごとも言えなくなる。行政機関の損な役割に同情したくなった。


★企業ブランドとモラル

2006-07-17 09:54:10 | 日記・エッセイ・コラム

 パロマのガス瞬間湯沸かし器で、一酸化炭素中毒事故が相次ぎ、85年以降15人が死亡した問題は、簡単に葬り去られてはいけない。自社の製品で死者が出ているのに、「事故は、修理業者の不正改造が原因だ」と他人事のように言い、利用者に知らせようともしなかった企業姿勢に怒りをおぼえる。

 最近、トヨタの部長らがリコールを怠ったとして書類送検されたが、さきの三菱自動車のリコール事件の場合も会社ぐるみで隠蔽しようとした。いずれも、人命にかかわる事業を営む大手企業としてのモラル欠如が原因だ。

 いずれも、業界の大手だけに企業ブランドとは何かを真摯に問い直して貰いたい。ブランドに対する信頼感は、ファッション業界なら個人の趣味・嗜好で評価する要素もあるが、こと人命にかかわる商品に関しては、安全が最重要事項のはず。

 一方、石油温風機で事故が発生した松下電器産業は、昨年暮れ以降、マスコミ媒体をフル活用していまもなお回収を進めている。しかも、当該商品は、耐用年数切れの古い機種で、とっくに廃棄処分になっている可能性が高いものだ。テレビCMを観るたびに、「もういい加減に止めても良いのに」と何度思ったことか。同時に、松下電器の創業者の精神が浸透しているのだと感銘を受け、我が家の電化製品は、今後すべてナショナルに切り替えることに決めた。

 企業が事故防止に努めるのは当然だ。が、いったん事故が起きた後、どう対応するか。消費者はそれを見ている。顧客の視点を忘れた企業は確実に衰退するというマーケティングの基本姿勢を見失って欲しくないものだ。