プラハの哀悼

 
 
 ヤクプ・シカネデル(Jakub Schikaneder)は、膨大に展示されているチェコ絵画のなかで、最も印象に残りやすい画家の一人だろう。
 分かりやすいし、ムードもあるので、日本人受けする絵だと思う。実際、観光客に人気があるらしく、ポストカードなどのグッズも多く見かけた。誰か、詳しく調べて紹介してくれないものかな。

 シカネデルが惹かれたのは死のモティーフ。けれども、そのために好んで描いたのは、古都プラハの小暗い情景だった。
 プラハの片隅や路地裏、ヴルタヴァ(モルダウ)川のほとりに佇む人々は、貧しく、はかなく、老い、病んで、社会からも神の守護からも見放されたように、悲嘆に打ち沈んでいる。季節はうら淋しい秋や冬、時刻は黄昏や夜。霧に霞んだほのかな薄明かりのなかに、人々はメランコリックな物語を担いながら、情景に柔らかく溶け込んでいる。

 私にはシカネデルの絵は、一連の物語のように見える。そして、同じ人物が繰り返し登場するように見える。例えば、誰かの死に立ち会った女性が、数十年後、老いた姿で、過去に立ち会った死を悼んでいるような。

 受け売りだが、略歴をまとめておくと……

 ドイツ系。貧困だが芸術愛ある家庭で、絵を学ぶことができた。
 この芸術愛は血筋らしい。プラハに移住したシカネデルの祖父は、モーツァルトと交流を持ち、「魔笛」のリブレットを書いてパパゲーノを歌った、エマヌエル・シカネーダーの長男に当たる。
 プラハのアカデミーを終え、ヨーロッパを広く周遊。特にミュンヘンには長く滞在し、同郷の著名画家、ガブリエル・フォン・マックスの、古典的に美しくも神秘的な作風に、大いに感銘を受けたという。

 経済的困窮から、片っ端から絵の依頼を受けるが、美術学校に職を得てからは余裕が出、イングランドやスコットランドなどを旅行している。海を持たないチェコの画家なのに、暮れなずむ海岸風景がしばしば登場するのは、そのせいかな。 
 晩年の十数年は、絵の制作・発表からも遠ざかったらしい。

 画像は、シカネデル「万霊節」。
  ヤクプ・シカネデル(Jakub Schikaneder, 1855-1924, Czech)
 他、左から、
  「悲しみの道」
  「フラッドチャニ区の黄昏」
  「市電のある岸辺」
  「黄昏の街路」
  「溺死」
  
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黒い湖の心象

 

 以前、チェコの国立美術館で出会った最も傑出した画家の一人が、ヤン・プレイスレル(Jan Preisler)だった。
 で、帰国後調べてみたのだが、ほとんどの解説がチェコ語で、私の語学力では何が何やら。こりゃ、自分が感じ取った印象を大事にしろ、って啓示かな。

 プレイスレルは、近代ボヘミア絵画の先駆者の一人と見做されている。プラハのアカデミーで学び、後にはそこで教鞭を取ったが、46歳で死んでいる。

 私の勝手な感想を述べると、プレイスレルというのは心象の画家。この心象を彼は、あるときはボナール的な、またあるときはゴーギャン的な、そして全生涯にわたってはムンク的な、画家の偏愛を感じさせる感覚的な色彩で、延々と描き出す。

 プレイスレルの執着した内省的なイメージは、同じテーマ、同じ構図、同じモティーフとなって、自叙伝的な含意を持ちつつ執拗に登場する。おそらく画家自身の分身だろう、白馬を伴った裸の若い騎手。あるいは、身体をくまなく覆うシンプルなワンピースを着た女性。あるいはカップル。彼らが呪縛霊のようにそこにいるのは、黒い湖。
 ボヘミアの森には、“チェルネ・イェゼロ(Černé jezero 黒い湖の意味)”という湖が実在する。ので、プレイスレルの描く湖も、多分それだと思う。が、彼にとってこの湖がどういう実存であるのかは、チェコ語が分からないのでちんぷんかんぷん。

 愛というよりは若き日の初恋を想起させる、メランコリックな男女たち。生とか死とか、そうした生命の根源ほど普遍的ではないにせよ、個人的にはきっと深い意味を有する悲哀や憂愁。それらがセンシャスな画面を作り出し、夢とも現ともつかない、おぼつかない勢いで、じわじわと訴えてくる。
 どういう若者だったんだろう、プレイスレル。チェコ語が分からないのでちんぷんかんぷん。

 画像は、プレイスレル「黒い湖」。
  ヤン・プレイスレル(Jan Preisler, 1872-1918, Czech)
 他、左から、
  「お伽話」
  「春」
  「恋人たち」
  「湖の女と騎手」
  「黒い湖の女」

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我は汝、汝は我なり、自然と精霊

 
 
 ノルウェー絵画史に、ときどきひょっこり、「新ロマン派(Neo-Romanticism)」なるタームが登場する。音楽や文学の分野では、よく使われるターム。

 絵画史のなかでロマン主義の流れは、それを乗り越える形で写実主義・自然主義が現われる一方で、写実・自然主義の対立軸として、精神や内面、主情をより重んじる諸種の表現様式において脈々と受け継がれる。20世紀になると、それが、物質文明や合理性一辺倒への嫌忌、自然や神秘への憧憬や懐古、民族的アイデンティティの現われとしての伝説・伝承への回帰などと相俟って、自然イコール精霊、というような、アニミズム的な独特の雰囲気を作り出すようになる。
 これがまあ、私のなかの新ロマン主義のイメージ。

 ニコライ・アストルップ(Nikolai Astrup)は、ハラルド・ソールベリやテオドール・キッテルセンらと並んで名の挙がる、新ロマン派のノルウェー画家。この画家は、相棒がCDジャケットから見つけてきた画家で、以来、私のお気に入り。

 稀薄な大気のなかに広がる、荒々しくも瑞々しい風景。この山と湖の景色は、アストルップの故郷ヨルスター。
 その情景のムードは、物語というよりは、自然との交感を描いたよう。「風景の親密画」とも呼べそうな、淡々としたロマン。それを描き切る、強烈で明瞭な、ノルディックな色彩。

 ほとんど故郷ヨルスターしか描かなかったアストルップだが、西ノルウェーを、さらにはノルウェーそのものを描き出した画家として、ノルウェーで最も愛されている画家の一人なのだという。

 略歴を記しておくと……
 幼少より、牧師だった父が赴任していた西ノルウェーのヨルスターで育つ。父は長男の彼に自分と同じ牧師になることを所望するが、彼は絵の道を選択。オスロの美術学校で学び、ハリエット・バッケルの画塾にも通った。
 ドイツを周遊した際には、世紀末を風靡していた死の画家ベックリンにやはり心惹かれ、後に生まれた長男には、アルノルト・ベックリン・アストルップ、なんて命名している。
 故郷に戻り、エンゲル・スンデと結婚。8人の子を儲け、経済的には大変厳しかったという。長い間、病弱だったらしく、47歳で肺炎で死去。

 画像は、アストルップ「春の宵」。
  ニコライ・アストルップ(Nikolai Astrup, 1880-1928, Norwegian)
 他、左から、
  「三月の朝」
  「聖ヨハネの火」
  「岩の上の鳥」
  「冬の夜」
  「ヨルスターのスンデ」

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聖書あれこれ:ダニエルの幻視(続)

 
 ダニエルはベルシャザル王の治世第三年にも、再び幻を見る。

 川岸に一匹の牡羊がいた。牡羊には二つの長い角があり、一方は他方よりも長く、後から伸びたものだった。牡羊は西、北、南に突進し、これに立ち向かえる獣はいなかった。

 すると、一匹の牡山羊が西から飛んで来た。牡山羊には眼と眼のあいだに一つの大きな角があった。
 牡山羊は牡羊に立ち向うと一撃し、牡羊の二つの角を砕き、地に打ち倒して踏みつけた。牡山羊が強大になると大きな角が折れ、代わりに四つの角が生えてきた。
 その角の一つから、一つの小さな角が生えた。それは天の軍勢に達するほど大きくなり、天に敵対し、その常供の燔祭を退け、その聖所を倒した。

 すると、ダニエルの前に天使ガブリエルが立ち、幻の真意を解く。

 この幻は終わりの時に関わるものだ。二つの角のある牡羊はメディアとペルシャの王、大角の牡山羊はギリシャの王だ。大角は第一の王(アレキサンダー大王)、角の折れた後に生えた四つの角は、四つの王国だが、第一の王のような勢力はない。
 王国の終わりの時になり、罪人の罪が満ちるに及んで、一人の王(アンティオコス・エピファネス)が立つ。猛悪な容貌で、怖ろしい破壊を為し、聖徒たる民を滅ぼすだろう。だが、やがて彼は人の手によらずに滅ぼされるだろう。
 幻は真実である。だが、お前はこれを秘しておかねばならない。
 ……と。
 
 ダニエルは疲れ果て、数日間病み患う。

 To be continued...

 画像は、リヴィエール「王に対するダニエルの返答」。
  ブライトン・リヴィエール(Briton Rivière, 1840-1920, British)

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聖書あれこれ:ダニエルの幻視

 
 バビロニア王ベルシャザルの治世元年に、ダニエルは次のような夢を見る。

 突然、大海が大風で波打ったかと思うと、四つの大きな獣が現われた。それぞれ姿が異なっていた。
 第一の獣は獅子のようで、鷲の翼があったが引き抜かれ、地から起こされて、人間のように二本足で立たされ、人間の心が与えられた。
 第二の獣は熊のようで、横ざまに寝、口に三本の肋骨を咥えていたところを、「立ち上がり、多くの肉を食らえ」との声がかかった。
 第三の獣は豹のようで、背に鳥の翼が四つ、頭も四つあり、この獣に権力が与えられた。
 第四の獣は、怖ろしく、物凄く、強大で、大きな鉄の歯があり、食らい、噛み砕き、残りを足で踏みつけた。他の獣と異なり、十の角があった。そこにもう一つの小さな角が生え、そのせいで先の角の三つが根から抜け落ちた。小さな角には人間のような眼と口があり、口は尊大なことを語った。

 さらに王座が据えられ、日の老いたる者が座していた。その衣は雪のよう、頭髪は羊の毛のように白く、王座は火の炎、車輪は燃える火で、彼の前から一筋の火が流れ出た。千々の者が彼に仕え、万々の者が彼に侍った。
 審判の主が席に着き、数々の書物が開かれた。その間にも小さな角は尊大な言葉を語っていたが、その獣は殺され、屍は壊されて燃える火に投げ込まれた。他の獣は権力を奪われたが、その命は来るべき時まで延ばされた。

 さらになお、人の子のような者が天の雲に乗り、日の老いたる者の前に来て、権力、栄光、王国を受けた。彼の権力は永遠で、その王国は滅びることがない。

 ……ダニエルは憂え、この幻に悩む。そして、そこに立つ者の一人に真意を尋ねる。すると、彼はダニエルに解き明かす。
 これら四つの大きな獣は、地上に起ころうとする四人の王だ。十の角は十の王で、小さな角は他王と異なり、聖徒と戦って勝利するが、やがて審判の後に滅亡する。王国は神の聖徒らに与えられ、永遠となる。と。

 To be continued...

 画像は、ルーベンス「獅子の穴のなかのダニエル」。
  ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577-1640, Flemish)

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