カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

明日は群馬へ逃避

2019-01-22 22:52:29 | つれづれなる想い

ざわざわすることが続く新年。


 

一昨日は集落の総会新年会。

昨日は隣人の葬儀にこいけと出席。お花も一輪もない、僕ら以外は故人の妹のみ。

 

 



 

集落からは、妹さんからの強い拒否の要望もあり、一人の参列者もなかった。



同じくらいの年回りの兄妹、経済的にも貧しく、公費の保護を受けていたようだが集落からは長く差別を受けてきたのだろうと思う。僕らも会えば普通に会話したり、車でバス停まで送ったりくらいはしていたが、どちらかと言えばやはり差別する側の人間だった。

 

 

言葉を尽くせば長くなりいつまでも書けない。

 

その彼が徐々に腎臓や足などに病を抱え弱ってきていることは明らかだった。この二週間ばかりの間に5回も救急車を呼び、その都度僕らもひやひやした。



両脇を抱えられながらも歩いて救急車に乗る姿も見ていた。昼間は駆けつけたりもしたが、まさか亡くなるほどとは正直思っていなく、最後の晩も風呂(外)から部屋までが上がれないとの妹さんからの要請を僕らは結果的に断ってしまった。



そしてその後彼は救急車内で亡くなったようだ。その日は初窯を朝から焼いていて、200mほど離れた彼の家から、彼の声が聞こえたりしていて、むしろあれだけ声が出れば大丈夫くらいに思っていた。




そのことを彼女は隠したかったのだろうが、救急病院から地元のお寺さんとの付き合いの深い葬儀社に運ばれたそうで、そういうことは田舎はインターネットよりも早く伝わるようだ。



救急搬送から二日間そのことを知らなかった隣の僕らが、救急搬送は都度知らない同じ班の長老から知らされた。



僕は実はこの集落では葬式の組には(大変そうなので)お願いして入っていない。



 

葬儀はプライベートなものだと思っている。




ここは数十年前までは土葬で、墓穴を掘る役人(やくびと)の習慣が今でも回りべんたである。昔の薪代代わりに出棺の朝同じ組の人がわざわざ1000円ほど持ってその家に集まるという習慣も残っている。

 

 

古い習慣だと思ってはいても、昔自分の親がそうやってお世話になったのに、自分のところからその習慣をやめるわけにはいかないということだ。ということでいつまでも終わらない。





彼の親が亡くなった数十年前、おそらくその頃も経済的に貧しかったために、十分なお返しができなかったこともあったのだろう、また兄妹も口下手で、ある長老から「お前の親の葬儀で集落に迷惑をかけた」と兄が以前言われたらしく、それは彼らを深く傷つけており・・・・長老からの「周囲の手伝いのお願いはないのか」といういきなりの不躾な申し出に、普段大人しい妹が毅然と断ったのだった。



幸いに近所のお坊さんが火葬の後、お寺に遺骨を安置してもらえることを区長を通じて新年会で知り、一安心すると共に、葬式の組としては何もしないとの暗黙の合議がなされたことも知った。




翌日の火葬されるという朝、僕らはすでに家を出ていた妹に電話、参列の許可をもらい、葬儀場に向かった。本当に僕らと妹だけだった。お坊さんの読経で出棺し、火葬場への同行も許されて、彼の骨も3人で拾った。




100kgくらいあっただろう彼は一時間以上かかって骨壺に納まった。60歳。




亡くなる二日前ほど病院から帰宅した彼らをわずかな距離、車で送ったのが最後となってしまった。あっけない。切ない想い。体調も悪くなりせきも出てきた。



が、明日は何か月も前から予約していた数年ぶりの群馬湯檜曽温泉行。



帰りに富岡方面にもできれば寄ってこられればと予定している。

 

往復500km、僕の長距離運転もいつまでもは無理だろう。健常な人のようでいて、驚くほど行動半径が狭い自分。外国などは一生無理だろうが、こいけにもたまには楽させないと。お互いに生きているうちに。

 

 

 

 

 

順調に推移したが、一昨日窯出しで(長老と立ち話している間に)発火してしまい、おじゃんになった初窯。