カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

生きてきたからこそ

2007-01-21 00:19:00 | ひきこもり・不登校

市原の親の会<けやきの会>とネモネット合同の親サロンへ。

15、6人はいらしていたかと思う。後半はもっと増えていた。

はたから見たらいかにもネモネットの理事というような顔をして座っていましたが、ただの会員です。

皆さんのお話を伺いながら、さまざまなことを考える。
ため息が出るような気持ち、駆り立てられるような気持ち、否定的な気持ち、応援したい気持ち、思わずしゃべっちゃいたくなるような気持ち、(今年の目標も聞き上手だったね)、やっぱりしゃべっちゃったけどね。

自分の母親と皆さんを比べたり。

愛情の反対語は憎しみではなく、無関心だという言葉がある。

皆さん、どなたも子供さんの言葉や状態からなんとか学んで受け入れようとしようとする方ばかりだ。なんだかうらやましい気持ちにもなった。

僕のようにあんまり手のかからないいい子を無理してやっていたら、親も安心しきってしまうかも知れない。
僕のようにひきこもりや或いは不登校になって、改めて関心をもつものなのかも知れない。そういう意味で彼らの家族はある意味幸せだなぁと思ってしまう自分がいる。

母は一昨年脳梗塞から高次脳機能障害となってしまったが、
彼女がこの場にいて、僕もいて、
彼女(母)が皆さんにこんなことをしゃべる。

「学歴だけ作ったってそれで安心なんかできないですよ。(僕を指し)この子なんか一千万以上もかけましたけど、結局やっと会社に入ったところで、ひきこもりですもん」と言って笑う。

それを聞いた僕は「よく言うよ、僕だって、でも随分一時期は期待の星を演じたんじゃないの?ははは」と言って二人で笑う。皆も仕方なくて釣られて笑う。

そんな場面を妄想した。

思いがけない人との出会いもあった。

なんと中学→高校の先輩がいらしたのである。
8年も先輩だったのだが、当時の先生の記憶には共通する記憶が多く懐かしかった。

それだけではない。彼は大学で教員免許を取得するために1975年に母校の中学へ教育実習生として戻ってきたというのである。
僕は当時中3で確かにあの中学へ居た。
彼は当時一年の担当だったというのだが、実はその時一年には弟がいたのである。(急いで弟に確かめたが弟のクラスではなかったようだ)

彼の授業を受けたのかどうかは、記憶が定かではないのだが、いずれにしろ僕ら兄弟と同じ建物で何日かを過ごし、少なくともすれ違ったりはしたはずだ。

そう32年ぶりの再会だったのだ、きっと。

こういう出会いがあるから、とりあえず人生は生きてみるものだね。

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