カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

勉強より作業やろう

2010-02-10 23:59:00 | カナリア舎

間伐な日々。山へ上がったり、木を落としたり運んだり燃やしたり。





チェーンソーって長時間続けてやらないように、燃料タンクが少ししか入らないようになっている。だから一時間ももたないで山下りて休憩せざるを得ない。で、あんまりパワフルなチェーンソーでないので、なかなか進まなくていらいらする。





あぁ間伐に専念したい。(無理だけど)




今日はこうせつ君が、まだ特色化の発表前なのに来た。明後日の発表でもし合格してたら、もう来なくてもいいのにと思うが、受かってもまだしばらく来ます、とか殊勝なことを言う。
「合格したら遊びなさいよ」と言っておく。






お借りしていた「イントゥ・ザ・ワイルド」、3回見て彼にお返しした。




教室で借りて~教室で返却~♪(はいどうも)



この数日で、更に中1の男子二名が面接を経て入ってきた。どちらも一対一。



近くのS中もこうせつ君のM中と同じく小規模校もいいとこ。1年生は20数人らしいけど、これで6人目。





いずれも数学など30点いかない子達ばかり。特にこの学年は小学校時代から学校始まって以来の劣等クラスと言われ続けて来たらしい。中には一桁、0点もいる。




どうしてそんなになっちゃったの?って正直思う。もう小学校5年くらいから多分わかってないのだ。
いや、わかるところもあるのだろうが、問題は、学習をする気やできる自信を失っているということだ。






先日NHKで、学力不足の子ども達という番組を見たが、そのようなことになる原因として、一つは家族の崩壊(親があまり子どもを見ていない)、そしてもう一つは日本の学年主義だということだった。





一クラスの人数が多いこともあって、日本では子ども達が学習内容をわかってもわからなくても、次の学年の単元に進んでしまう。
対してヨーロッパなどでは習得主義と言って、少人数で習得することをまず目指す国が紹介されていた。




以前の自分らの時代は、一クラス40人なんていて、そういう時代は仕方なかったろうけど今は少子化。空きクラスも多いという。学校は何やってるのかなぁ。選択肢のない部活に土日全てを使ってる場合じゃないと思うけど。







どの子も全く違った個性で、活発な子、おとなしい子、いろいろ、でもそれぞれ可愛い。





なんとか「できた。楽しかった」という経験を積ませてあげたい。それが一番と思っている。不安や大人の論理でいくらコントロールしようとしても、子どもってまずやらない。あれ?、なんだ、教えてもらったら答え出たじゃんっていう、本人の中の小さな気づき以外にないと僕は思っている。楽しくなければ続かない。おやつタイムも大切。





わからなくなったところからやることも必要。でも公文みたいにたくさんプリントないから、取り敢えず小6のドリルを最初の30分くらいやってみようかと思っている。







でもね・・・「一番好きなことは何?」という僕の問いに、遊びが一番好き!という子ども。それでいいじゃないかと思う。
ねこも杓子も皆15になったら高校へ行かなきゃいけないということはないんだよ。勉強が嫌いなら別の道で行けばいいさと思って面接でも言うのだが、なかなか子どもの立場も大変なようだ。






最近思うのだけど、そんなにあんな量の勉強が必要かしらと思う。因数分解なんてまずたいていの親は忘れてるよ。択捉(エトロフ)、札幌って漢字で書けますか?僕なんか埼玉の県庁所在地はまだ浦和かと思ってた。読み書きそろばんって言われたけどそんなものでいいんじゃないか?
むしろ量を減らして農業とか昔の知恵、色々な技術を教えたりする方がいいんじゃないか?なんて感じている。






明日はやっと雨っぽい。
午後から2コマ入っているので、午前中は久々に作業はお休みできそう・・・・かな?