朝からワラビ採り→看板の補修、(こいけの要望で)庭木の剪定などでもうお昼。
汗をふいて、千葉の休もう会へ。
節約のため下の道を通って行ったら、20分の遅刻。
新しく来られた方々の自己紹介はすでに終わっていた。
一人づつの自己紹介を順繰りに終えたところで僕の番。
「なぜ自分がここに座っているのか」と話し始めてしまったため(しまったなぁ)、また長めにしゃべってしまった。もちろん自分の現在抱えている悩みの一つとしてK君のお話も。(反省)
そのあと、一人の方から、僕のスタンスについてコメントがあった。
それは、僕の親の会に出席する資格を疑問視するかのような印象を持った。
でも、その方の言われることももっともなところもあり、僕は沈黙していた。
しばらくここへ来るのも遠慮しようかな、もう帰ろうかななどとも考えていた。
しかしながら・・・このまま帰るのは、この親の会のみならず、他の親の会やネモとの関係さえも自分の中でぐらつきかねないと思った。
なんとかこの方の真意を聞きたいと思っていた。自分の居場所を失うかも知れないのだから僕も真剣だ。
しばらくして、その方が中座される時を見計らって声をおかけした。隣りに座っていた知人のNさんも同時にいらして、ホールで語り合った。
お互いの両親との関係を中心に、即席のACの自助グループのようだった。
そして、彼女はこういうことを話したかったのだな、というように僕には思えた。
まず自分と子どもとの話や、お初に(親の会へ)来られた方のお話を優先すべきという思いから、ご自分の親との関係、そこからくる生き辛さなどを語るのは遠慮されてきたみたいに思えた。
なんのかんの一時間半くらいしゃべったのではなかろうか。
(不登校の子を持つ)親としての枠組みではなく、一人の生き辛さを抱えた大人のための会もネモにあるといいね、と話が盛り上がった。
親の会でそれを話しても僕はいいと思うのだけど。
母親もまた、母を持つ娘でもあるのだ、ということを改めて気づいた。
そして、いかに親からの(100%でないにしても)肯定が子どもにとって必要かということ、逆にそれが得られなかった子どもが、いかに大人になってからも長い間生き辛さを抱えて生きていかねばならないのかを思った。コミュニケーションの大切さも。
結局(聞きたかった)お初の方々のお話を聞くことは今回はかなわなかったけれど、次回以降にとしたいと思う。
そのあとも色々お茶を付き合って下さった皆さん(N君も)ありがとう。
それから・・・なんとEL&PのCDを焼いてきて下さった方がおられた!
まじびっくり。ありがとうございました。
人生って不思議だなぁとか車中で色々なことをぼんやり考えつつ、聴きながら帰宅しました。
親の会、なかなかやめられまへん。(親じゃないけどさ)
サイモンとガーファンクル(Simon and Garfunkel)
明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water 1970)
1978年3月22日 LP"ALL ABOUT S&G" より録音
歌詞はこちら。(以前授業で使ったもの)
明日はチェリーの3回忌です。早いものです。