入学試験の合格発表が行われ、各地で合否の結果を受けて、受験生の悲喜こもごもの物語が展開されているであろう。
私も過去に長く受験産業に携わっていた。毎年1月から3月が終わるまで胃が痛む季節であった。当時はまだ新聞に合格者の名が記載されていた。毎朝、配達された新聞の大学別の合格者欄を調べた。誰がどの大学を受験したか分かった。今は合格者の氏名は公開されていない。もう私は受験にまったく関係がない。塾の仕事をやめて、すでに30年以上経っている。それなのにまだ合格発表の夢をみる。特にテレビなどで受験風景が映される時期になると、夢見る回数が増える。決して良い夢ばかりではない。自分の指導が良くなかったと自責の夢もみる。
忘れられない教え子の受験がある。成績優秀で運動部でも活躍した生徒がいた。私は、この生徒ならきっと合格するだろうと思っていた。1年目不合格。浪人した2年目も不合格。志望校を諦めて、私立の大学に入学した。ずっと後になって私は彼の結婚式に招かれた。そこで彼は、あの受験で何があったのか話してくれた。彼は、極度の緊張でひどい下痢を起こしてしまい、試験会場に入ることができなかったそうだ。試験を受けられなかったのだから、合格するわけがない。2年目も同じことが起こった。志望校の受験だけでの現象だった。親にもその事は言わなかった。私立を受験した時は、何も起こらなかった。私立大学を卒業して、彼はもともと志望していた国立の大学院に入った。今は京都の大きな会社の技術者として働いている。
受験の季節になると思う。合格者の陰に、多くの試験を受けたくても、何らかの理由で受けられなかった受験生がいるに違いない。日本では、大学の序列が偏差値で決められていて、どこの大学を卒業したかで、人生にまで影響してしまう。
現在、日本の国力は、衰退しつつあると言う人が多い。事実、円安が進んで、収入はちっとも増えない。物価は高騰して、税金も高い。それらに関わる政治屋も官僚も会社役員も皆、偏差値の高い大学、特に東京大学出身者が多い。それなのに政治も経済もちっとも良くならない。
日本にはアメリカのマイクロソフト、アップル、テスラなどのような会社が生まれない。私はカナダで教育を受けることができた。日本の高校では、まったくの落ちこぼれだった。しかしカナダでは、それ相当に良い成績をとれた。それは日本と全く違う教育だったからだ。カナダと日本の違いは、カナダの教室では、日本の教室で面倒くさいと敬遠されることを、こまめに丁寧にする。印刷されたテストもあるが、レポートの添削やスピーチの評価や面接の口頭尋問のテストも成績に大きく反映される。偏差値だけでの評価でなく、総合的な分野から、その生徒の可能性を見出すための作業をしているように思えた。
日本にアマゾンやアップルやマイクロソフトのような会社が出てくるためには、今の受験システムでは無理だ。隠れた才能を持つ生徒は、偏差値では測れないからだ。こう批判していながら、私自身が受験産業に身を投じていた事を恥じている。
今度岐阜県の高山に慶應義塾大学の宮田裕章教授を学長とする大学が開校するという。宮田教授は、「詰込み型の受験勉強を終わらせ、“生き様”で学生を入学させたい」と言う。期待したい。暗記試験から想像力・表現力・説得力などを重視した教育。レポートに添削をびっしり書き込むことのできる教師教授がいる教育現場に変わっていくことを願う。