団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

シャインマスカット、ピオーネ、クイーンニナ

2020年10月08日 | Weblog

  宅急便が届いた。長野県東御市のこばやし葡萄園からだった。中にシャインマスカット、ピオーネ、クイーンニナが一房づつ白いお包みにまとわれていた。ブドウの上にメモがあった。「…今年もブドウを注文して頂きありがとうございました。七月の長雨、八月の猛暑と作物には大変な年でしたが、無事にブドウ作りができました。ありがとうございました。少しですがブドウを送らせて頂きました。…」 ただ店頭に並ぶブドウを見ているだけだと、農家の苦労など知る由もない。その苦労の甲斐あって、商品として出荷される。農家の収穫の喜びが、文面から伝わる。

  私は毎年、家族親戚知人友人にこばやし葡萄園からブドウを送っている。2004年妻が外務省の医務官を辞めて、日本に帰国した。それ以来続けている。16年間続いた。後期高齢者になり、交際の範囲が年ごとに縮小する。年賀状を出すのを止めた。礼に欠くのは承知している。これも終活だと割り切った。届いた賀状にだけ、返事を書くだけになった。それでも関係を断ちがたい人々がいる。私は、生きている限り、まだ生きていますよ、と知らせるつもりでブドウを送っている。私はなんとかまだ生きているが、受け取ってくれる人々がポツリ、またポツリと鬼籍に入った。それは矢島渚男の「船のやうに 年逝く人をこぼしつつ」の感である。旦那さんが亡くなっても奥さんに、奥さんが亡くなっても、旦那さんにブドウを届ける。哀しい。でも私は、ブドウを一粒口にした人が、「ああ、あいつまだ生きている」と瞬間的にわかってくれることだけ期待する。

  2004年、こばやし葡萄園では“巨峰”だけしかつくっていなかった。シャインマスカットが出てきたのは、つい最近だ。こばやし葡萄園でもシャインマスカットを作り始めた。勧められて、シャインマスカットと巨峰を半々にして送ることにした。世の中の変化はめぐるましい。私たち夫婦が海外で暮らすようになった1990年頃、携帯電話は普及していなかった。パソコンも家庭で使える人は少なかった。今ではパソコンも携帯も誰でも使うようになった。農業も進化している。品種改良が進んでいる。ブドウもリンゴもトマトも、次から次へと新種が出て来る。去年ピオーネが追加された。今年、こばやし葡萄園からクイーンニナが登場した。すべて種なしで、皮ごと食べられる。

  ブドウを受け取った人たちから連絡が来る。期待はしていないが、嬉しい。電話。葉書。メール。礼状。連絡が来ない人もいる。もしかしたら…。予感が当たることもある。

  こちらが生きていることを知らせる。あちらからも、そうであることを知らせてもらえる。童謡の『やぎさんゆうびん』の歌が浮かぶ。

  今年は特にコロナ禍で、家にこもりがちである。私はこれということもせず、うつ病患者のように家にいる。農家は、長雨だろうが、猛暑だろうが作物を育てる。収穫すると、今度は宅配業者が、それぞれの宛先に届けてくれる。感謝しつつも、社会活動から離脱している自分を責める。

  今年も何とかブドウを届けられた。そう私はまだ生きている。台所へ行って、冷蔵庫を開けて、シャインマスカットを一粒口に入れた。妄想、迷い、不安、怒りが、かみ砕かれた皮と果実と果汁と一緒になった。


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