団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

高級国民と裁判

2020年10月12日 | Weblog

  73歳の私の老化が他の人より異常に早いのではないかと疑る。2019年4月19日、東京の池袋で横断歩道を渡っていた松永真菜さんと長女の莉子さん3歳が、旧通産省工業技術院の元院長飯塚幸三被告が運転する車にはねられ死亡した。被告は当時87歳だった。

 私は、老化を日々感じる。運転免許証をまだ所持している。運転は、妻の駅への送迎と近くの買い物にのみ使用している。老人が、まだ幼い若い、人生これからという人を事故に巻き込むニュースをみるたびに、自分の運転能力に自信を失う。バックは、しんどい。モニター画面にカメラを通して、後ろの様子が映し出される。その画面の中の案内の指示線に沿ってバックする。横の妻は、「右に曲がってるよ」あるときは「左に曲がっているよ」と言う。画面から車外のサイドミラーに視線を移す。モニター画面の感覚とサイドミラーのとは、違う。雨など降っている時は、カメラ画像は曇り、サイドミラーは雨のしずくで見えない。バックは、するたびに不安がつのる。

 過去に一度だけ、アクセルとブレーキの操作を誤ったことがある。いわゆる急発進というやつである。どんなに慎重に運転していても、体や神経に衰えを感じる。咄嗟の出来事に対する反射的行動が、のろくなった。

 先日、買った商品の支払いをATMから振り込んだ。家で口座番号をメモして駅のATMへ行った。前の人がずいぶん時間をかけていて、待つ時間が長かった。少しイライラした。自分の番が来て、ATMの操作を始めた。メモした口座番号を見ながら、慎重に打ち込んだ。受取人の名前が違った。年寄りは、勝手に想像した。あの人も相当歳だったので、たぶん名義を息子さんに買えたのだろう。完了のボタンを押した。帰宅してから、心配になった。振込先へ連絡してみた。まったく違う人に振り込んでしまった。落ち込んだ。妻に相談して、銀行に連絡した。誤振り込みの書類を作成した。あとは受け取った人の善意を信じるしかない。私は、運転ばかりではない。もう社会生活にさえ、支障をきたし始めている。

 私が高齢者であることは、どうしようもない。しかし私は絶対に他人に迷惑はかけたくない。ましてや、人生これからの人たちの命を奪うことなどもってのほかである。

 最近、お世話になった元大使だった80代後半の方から手紙をもらった。昨年、彼は、奥さんを亡くされ、現在ひとりで生活している。もちろん運転免許証は、とうの昔に返上している。「…当方は、お陰様で、独居生活を楽しんでおります。後期高齢者に対する福祉施策の充実のお陰で、訪問介護士やヘルパーさん始め、毎週20名以上の方々のお世話になっております。同署、御習字。ピアノのレッスン、24時間小生の側にいる愛犬のプードルによる慰安など多くの娯しみに恵まれています。…」 

 飯塚被告を高級国民と世間では呼ぶ。何を根拠に彼をそう言うのか、私にはよくわからない。しかし手紙をくれた元大使を高級国民と言うなら、私は納得できる。周りの人々への感謝を忘れず、孤高に、歳相応に生きている、と感じる。私もそうなりたいと思う。

 これから無罪を主張して、原因を車の不具合とする飯塚被告の裁判が続く。アマゾンプライムでアメリカの裁判ドラマ『ブルBULL 心を操る天才』を観た。裁判で科学的手段を駆使して、依頼者を勝たせる。奥さんと長女を奪われた松永拓也さんにドクター、ジェイソン・ブルのような人がいて、助けてくれたら。それがだめなら、せめて遠山の金さんタイプの裁判官と、私は望む。現実は、かくも不条理で残酷である。

 


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