「もういくつねると お正月
お正月には凧あげて
こまをまわして遊びましょう
はやく来い来いお正月」(作詞:東くめ 作曲:滝 廉太郎)
小学生まで、毎年、この歌の「はやく来い来い」の部分ほど自然に唄えた歌は他になかった。その歌詞は、ひと言ひと言が自分の祈りであり願望であった。お盆もクリスマスも比ではなかった。2月ころから“はやく来い来いお正月”の気持ちが日を追うごとに強くなる。それは音楽記号のクレッシェンド(だんだん強く)が長く続くようであった。夏休みが過ぎると「来い来い」の気持ちは、更に強くなった。9月下旬の頃から「あと何日?」が頭に浮かんだ。
それほどまで待ちに待った正月の何が私をそうさせたのか。それがいまだにわからない。お年玉?そうではない。貧乏な我が家ではお年玉はないに等しかった。札でなく必ず硬貨だった。わざわざお年玉をくれる親戚もいなかった。
正月の食べ物?大晦日に確かに普段食卓に上らない食べ物が多くあった。魚屋が一匹丸ごと新巻鮭を購入した家庭を廻って出刃包丁で切り身にしてくれた。その鮭を酒粕で煮たものが最高のご馳走だった。他に里芋の煮物、角切りの大根と人参のナマス、ごまめ。どれも私に「はやく来い来い」と思わせられるほどのものではなかった。NHKの紅白歌合戦が始まる頃、全員が食卓に着く。その直前まで父親は、支払いや集金に忙しく駆け回っていた。紅白歌合戦を家族で出演者を「だれだれに似てる」「この人大嫌い」「この歌好き、静かに聴いて」とワイワイガヤガヤ楽しんだ。でもそれが楽しみで「来い来い」とずっと思い続けたのではなかった。
紅白が終わると、タクシーが迎えに来て、別所の北向観音へ二年参りに行った。年に一回タクシーに乗れるのは嬉しかったが、二年参りがしたくて「来い来い」思っていたわけではない。
正月元旦、分厚い新聞が届いた。新聞の中に別冊でエジプト特集とかこれからの宇宙計画とかの特集が驚くほどの数のチラシと一緒に挟まれていた。エジプトなどの歴史特集は好きで取っておいて読んだ。でもそれを待っていたわけではなかった。
年賀状も私宛などに来たためしがなかった。書いたこともなかった。
我が家では、大晦日に母親が家族それぞれに新しい下着をくれた。下着は年一回しか買ってもらえなかった。夜が明けて新年を迎えると新しい下着をはいた。嬉しかった。でも下着に「来い来い」したわけではない。
いったい私は何故正月をあれほどまでに待ち焦がれたのだろうか。元旦、私は妻と日の出を見に海岸へ行った。大勢の人が来ていた。天気予報では日の出が見られると言っていた。雲が立ち込めていてわずかにこぼれ出る日の出だった。去年だった昨日と何の変りもない日の出を何故人は見に来るのだろう。私は「今年こそ…」と思った時、答えが出た気がした。そう、正月って去年をリセットして新しい時間を与えられるのだ。365日を1単位として人は生きる。日本だけではない。世界中で人々は、大晦日11時59分55秒からカウントダウンする。0時00分新しい年が始まる。去年は消え、今年が始まる。この高揚感こそ私が「来い来い」していたものだ。それだけ私は毎年毎年、次の年に期待しなければならなかったほど、その時を真面目に生きていなかったのだ。今年こそそれを改めようと1月2日の今日思う。