団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

年金が少ない

2015年07月03日 | Weblog

  6月30日午前11時半過ぎ、書斎で作業をやめ昼食を食べ始めていた。テレビでニュースを観ようとリモコンで電源を入れた。画面が出るとすぐにテロップが流れた。「東海道新幹線新横浜―小田原間で車両火災発生」 妻はもう東京で働いている。おそらく車両の整備不良か何かで火災が発生したのだろう。最近、JRでは頻繁にやれ『信号トラブル』『異音発生したための点検』『線路内への人の立ち入り』だとか言って遅れたり運転が中止される。昼食を食べ終わって再び書斎に入った。

 午後4時に買い物に出て夕飯を作り始めた。妻から「東京駅。遅れていた3時台発の新幹線に乗れました。いつも通りに到着します」とメールが入った。5時半に駅へ妻を迎えに行こうとメールをチェックした。「新横浜の手前で止まったまま動きません。動いたらメールします」 心配になりネットで新幹線の運行状況を調べた。驚いた。午前中の新幹線の車両火災は車両内で焼身自殺をはかった男の仕業だった。50代の女性が心肺停止状態で病院は病院へ搬送されたという。妄想の動画が私の頭の中で暴れ始めた。午前11時半に妻が新幹線に乗っているはずがない。それでも50代の女性は妻となり、反射神経も運動神経も取り分けて良いとは言えない妻が逃げ遅れて倒れる図が駆け巡る。居ても立っても居られない。

 再びメール。「今動きました。到着時間わかったらメールします」 私は即返信。「小田原駅で降りて。改札で待つ」 妻からの返事も待たずに車で小田原へ向かった。運転中、目は現実の世界を見て、頭は地獄絵図の妄想に占領された。この目で妻を見ない限り妄想は消えない。

 新幹線は速い。私が小田原駅の改札に着くと妻はすでにベンチに座っていた。公衆の面前であっても構わず抱きしめたいほど嬉しかった。「家で待っててくれればいいのに」と妻はさらっと言った。

 車で家路についた。助手席で妻の話に耳を傾けた。妻は私よりずっと車両火災のニュースを詳しく知っていた。71歳の林崎という男が“のぞみ225号”の1号車でガソリンを被りライターで火をつけたのだという。巻き添え犠牲になった乗客の52歳の女性は気道熱傷による窒息死だったそうだ。

 この事件の詳細は次々に報道された。その中で焼身自殺の原因が「年金が少ない」というのがあった。犯人が死んでしまったので真実は解明されない。あれだけの事件を犯すにはそれ相当の原因はあるに違いない。71歳といえば、私より3歳年上である。私と同年代である。人生の終わりをどう迎えるかの年齢だ。死の恐怖はだれでも持っている。どうせ死ぬなら大勢を道連れにしてやる、と考える卑怯な輩もいる。ドイツの格安航空会社のパイロットが乗客を乗せたまま旅客機をアルプスに激突させた事件もあった。

 私は近く68歳を迎える。年金は焼身自殺した男の5分の1だ。日々肉体の衰えを感じている。それでも私は毎日精一杯根をつめて生きる。そして疲れはてて限界を認め、そこで死を願ってもない休息だと思えるような最後を迎えたいと願っている。誰の道連れもいらない。だから生きている限り年金に感謝して大切に使う。妻を愛おしんで妻が一人になっても生きられるよう毎日創意工夫して準備をしている。


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子供は両親が家で話すことを町で話す

2015年07月01日 | Weblog

 アメリカのサウスカロライナ州チャールストンの黒人教会で6月17日、銃撃事件が発生、黒人教会関係者9人が死亡した。21歳のディラン・ルーフ容疑者が逮捕された。

 彼は犯行の目的をネットに載せて公にした。そこで彼は黒人やユダヤ教徒、中南米系を侮辱した。北東アジア人には連帯感を示した。理解に苦しむ内容である。特に日本人にとっては有難迷惑な気がする。容疑者は高校を中退して定職を持っていなかった。犯行に使った銃は誕生日のプレゼントとして父親から贈られたという。

 この事件を知ってユダヤの聖典にある『子供は両親が家で話すことを町で話す』を思い出した。ディラン・ルーフ容疑者の家庭では、白人以外の人種への罵詈雑言が当たり前のように飛び交っていたのではと私は想像する。その環境が21年かけてディラン・ルーフ青年の犯行に至らせた。

 私の離婚後、私の長女は私のカナダ留学時代に知り合った日系人先輩がシアトルに住んでいてその先輩の家族に預かってもらった。長女が通った小学校のクラス担任から日本の私に手紙が届いた。下記のような内容だった。“クラスの生徒のひとりが、長女に「うちの両親は日本人が大嫌いだって」と言った。長女はその夜、その子の親に直接電話をかけ「あなたの娘さんから、ご両親は日本人が大嫌い、とお聞きしました。私は、私の気持ちをお伝えしたくて電話しました。私はアメリカが大好きです。アメリカ人が大好きです。おやすみなさい」翌日、その両親がそろって学校に来た。そしてクラスで話がしたいと担任教師に告げた。両親は、クラス全員の前で長女に謝罪した。そして最後に、二人は交互に長女を抱きしめたという。クラス全員が立ち上がって、拍手した。”

  アメリカの長女の同級生である白人少女が両親の日頃言っていたことを長女に伝えたのは、ユダヤの『子供は両親が家で話すことを町で話す』の教えの一つの例であろう。たまたま長女に謝罪した親は、それなりの良心を持ち合わせていた。わざわざ学校に夫婦で出向いて直接謝罪するには勇気がいる。その家族に大きな教訓になりえた。私は長女が両親に電話をかけて自分の考え気持ちを伝えたことに長女の成長を感じた。嬉しかった。親の離婚、環境も言語もまったく違うアメリカの家族に預けられ、思ってもみなかった人種差別さえ受けなければならなかった。自らが選んだ道でなかったにも関わらず、逆境と戦っていた。

  私たちは学校を選ぶことができ、嫌なら退学することもできる。しかし誰も生まれてくる家庭を選ぶことができない。親も選べない。生まれて死ぬまで家族という血縁は断ち切ることができない。ほとんどの人の家庭で過ごす時間は、家庭外で過ごす時間よりはるかに長い。家庭という環境で人間形成が進む。悲しいことに得てして多くの親は自分の影響力を自覚できていない。自分たちの日常が、何気ない会話が、どれほど子供に影響を与えているか知る由もない。

 差別はどこにでもある。私の心の中にもある。それを黙らせるのは教養である。教養のある人とは鎌倉の円覚寺に掲げてある『気配り目配り手配り』のできる人だ。銃は人を殺す。教養は人を生かす。


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