団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

雨粒・涙・水飛沫

2015年07月07日 | Weblog

  6日は一日中雨だった。朝、窓ガラスを叩くように雨粒が当たりガラスに筋を描いて流れ落ちていた。8時に女子ワールドカップサッカー・カナダ大会の決勝戦日本対アメリカがキックオフされた。開始2分にアメリカの見事な先制シュートが決まりあれよあれよという間に4対0。今回の日本の選手の中で私は宇津木選手のプレーに注目していた。しかし宇津木選手の動きにキレもサエもなかった。今までの日本の試合すべてをアメリカは徹底的に分析でもしていたのであろうか。宇津木選手は前半20分過ぎから動きがよくなった。手を固く握って腕を振り回して応援した。結局5対2で負けた。全身から力が抜け虚脱状態になった。ティッシュで目の周りを拭いた。しかし爽やかでもあった。今回の世界大会が昔十代だった私が学んだカナダで開催されたことも理由の一つ。エドモントンにもバンクーバーにも思い出はたくさんある。

 私はカナダという白人の世界で青春を過ごした。嫌な思いもした。スポーツ、特にサッカーはよく代理戦争だと言われる。私も過去の嫌な経験の敵討ちを日本女子チームに過度に期待していたのかもしれない。相手国チームに平均身長が7センチとか5センチ低いなどと身体的な差をものともせずに巧みで大胆なパスワークで果敢に相手ゴールを狙う姿に過去の若かりし自分を重ねた。

 かつて北海道や樺太の極寒の地を探検した間宮林蔵は日本人が外に出て行けないのは食べ物のせいだと言った。環境の悪い寒冷地で生き抜くには動物性のタンパク質や脂肪が必要なのに日本人の間宮には携行食としての干し飯しかなかったのだ。私もサハリン(旧樺太)に住んだ時、市場で豚の背脂の塩漬けで一番値段が高いのが脂だけの真っ白な部分だと知り驚いた。マイナス40度の寒さに耐えて生き抜くには、良質な脂が必要なのである。

 今回の女子ワールドカップサッカー大会、長年肉と乳製品を摂り続けてきた国々のチーム相手にやっと百数十年前の明治維新を境に肉や乳製品を食べ始めた日本は戦った。日本は身体的には劣っていても、運動神経や知的ゲーム展開では負けていない。平均身長が低くて体が小さくても決勝戦まで勝ち進めたのもスポーツの痛快な醍醐味である。日本人の食生活も変わってきた。まだ時間はかかるだろうが、これからも身体的な改善は進むに違いない。千年を超す貧しく質素な食生活をあっという間に変えたからといって、体質が変わるわけがない。まだまだ日本は国際試合で身体的な不利な条件を背負って戦っていかねばならない。そのために日本人は知恵を絞り努力を重ねる。

 6日の午前中にいろいろなニュースがあった。ギリシャの国民投票でギリシャ国民はEUの緊縮財政勧告にNoを表明。世界文化遺産では一旦日韓の外相会談で双方の文化遺産への登録に協力すると決めたにも関わらずユネスコの文化遺産会議で韓国は従来通りの態度を取った。大分県で10人家族の家が火事になり4人の子供が焼死した。父親の放火だった。

 重苦しい気分に押しつぶされそうになった。こんな時は散歩だ。私は傘をさして家を出た。海の近くの国道の歩道を歩いていた。突然、車に水飛沫を全身に浴びさかけられた。ずぶ濡れ。笑った。私は声を出して笑った。目が覚めた。何が起きても生きていたら前に進むしかない。「風呂に入ろう」と私は傘もささずに家に向かった。


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