長野県で生まれ育った者にとって、海は憧れと羨望の対象である。私のようにただ憧れて海を見ているだけで終わっている者と実際に逞しく海に出る者には大きな違いがある。夫婦船とあえて題をつけたがヨットのことである。11日土曜日私たち夫婦は友人夫婦に招かれてヨットでセーリングをさせてもらった。同じ長野県生まれでも友人はただ海を見て喜んでいる私とは違う。10日間雨の日が続き台風が3つ発生して天気はずっと悪かった。住む町にある海岸を通る有料道路にはこのところずっと「高波警報」が表示されていた。11日はうって変わって朝から快晴だった。気温も30度を超すと天気予報が出ていた。
招待されたのは2箇月ほど前だった。どんなお呼ばれにもダボハゼのように喰いつく私は、今回も考えることもなくパブロフの犬なみの反応で快諾した。不安は日ごとに増し、当日が近づくにつれ天候の悪さを“天の助け”と感じていた。連絡メールが9日に入った。ヨット経験が40年を超す友人は「今週の土曜日ですが、取あえず晴れとの天気予報なので、予定通りセーリングに出かけたいと思います。台風が3つ来ていて11号の動きが気になりますが土曜日の時点では小笠原の南に位置するようですのでほぼ影響は無いと思います」
天気予報の読み方が違う。覚悟を決めた。妻に頼まれた日焼け止めを買いに行った。妻は酔い止めを用意した。11日の朝、信じられないほど晴れ渡り青空を久しぶりに見た。家を出る前に妻に日焼け止めを入念に塗ってもらった。酔い止めも服用した。有料道路の入り口の「高波警報」は「高波注意報」に変わっていた。
友人がヨットを停泊させているヨットハーバーへ行き、友人夫妻に会った。いつも会っていたのは家の中だった。カンカン照りの太陽の下、赤銅色に日焼けした二人に圧倒された。普段から太陽の光を避けている我ら夫婦はオーブンに入れられる前のパン生地のようだった。すでに出航の準備を終えていた。出発した。操舵輪をつかむ夫、狭いすき間を身軽に駆け巡りロープを扱う妻。二人は会社のヨットクラブで知り合った。40年以上夫婦でヨットに乗ってきた。二人の連係はまさに夫婦船そのままである。3月にはオーストラリアでヨットを楽しみ、数か月前に20日間かけて九州瀬戸内海をヨットで回った。2年前に奥さんが定年退職した後、二人はヨット三昧である。
エンジンを始動させて港から海原へ出た。風が弱いと言っていたがだんだん帆を張っても帆走できそうな風が出て来た。夫は舵をとり、妻は独楽鼠のように船上をあちこちして帆を上げる。ヨットを操作するのは重労働である。二人とも筋肉だけでその上に丈夫な皮膚が覆っている。鍛え抜かれた体である。揺れる船上での二人の息の逢った動きに見惚れていた。やがてヨットは風を帆にいっぱい受けて波の上を滑走するように進んだ。「ヨットはこうなるとほとんどやることがなくなる」 4人そろって腰かけてゆっくり話すことができた。
今回、酔い止めの薬が効いたのか4時間以上船に乗っていたのに船酔いすることはなかった。ただ強い陽ざしを浴びたせいで後半、眠気に襲われ船内のソファに横になった。波の揺れが揺りかごのように気持ちよかった。横たわりながらデッキ上の3人の話声が子守唄のようだった。夫婦は二人で荒れた海を航行する夫婦船のようだ。最後の日が来るまでお互いを信じ、助け合ってヨットを操船前進する友人夫婦のように生きようと自分に言い聞かせながら眠ってしまった。